女性530万人がストライキ、スペイン 国際女性デーの歴史とは?
日本ではまだなじみが薄いが、欧米では「Happy Woman’s Day!」と女性同士メッセージを送り合う習慣がある国際女性デー(毎年3月8日)とストライキの歴史をみてみたい。
◆スペインのストライキ
BBCによれば、今年の国際女性デーに、スペインで行われたストライキはかつてない規模だったという。男女の不平等と性差別の撲滅がかかげられ、10組の労働組合と著名な女性政治家の支援のもと、530万人の女性が24時間のストライキに参加したという。またスペイン全土で数十万人の女性たちがデモに加わり、「私たちが止まれば世界は止まる」と叫んだ。
スペインでは、ストライキに参加した女性たちは、主催者たちに促され、その日の労働を止め、お金を使わず、家事を休んだ。有名な司会者は、テレビ画面ラジオ放送を欠席。女優のペネロペ・クルスは予定されていた公的行事を取りやめ、「国内」のストライキに行くと言った。マドリードとバルセロナの市長もストライキを支持している。
バルセロナでは、デモ参加者たちが幹線道路をふさいでいるので、警察に通報されたが、一部の地域は依然として停止状態だった。国内の公共交通機関はサービスや便が制限された。
夕方には、マドリッド、バルセロナ、ビルバオ、バレンシアといった200もの都市でデモ行進が行われた。そのマニフェストは、「性的迫害、搾取、暴力から解放された社会」を求め、「男性より悪い労働条件や、同じ仕事なのに男性よりも賃金が低いといったことを受け入れない」と述べている。37歳のPR幹部のアナ・レイエス氏は、AFPに対し、「人口の半分の重要性が認識され、実質的な変化をもたらすことを期待している」と話した。
欧州連合(EU)統計局のユーロスタットのデータによると、スペインでは、女性の賃金は公的部門と民間部門において、男性に比べそれぞれ13%、19%少ないという。
スペインのエル・パイス紙による1,500人の世論調査では、76%がスペインにおいて女性は男性よりも生き辛いと回答、82%がストライキを支持した。
そんな中、与党中央集権党は、このストライキは「フェミニストのエリートのためのものであり、毎日の問題を抱えた現実の女性のためのものではない」と述べている。また、自営業労働者連盟によると、自営業女性はほとんどが仕事を続けているという情報もある。
◆ストライキの歴史
最初の国際女性デーが祝われたのは、1911年3月19日で、8日ではなかった。この日はベルリンで1848年革命が起きた日で、それを偲んで選ばれた。ドイツ国内で配られた「Die Gleichheit(平等)」のチラシ250万枚には、以下のように参加を促すメッセージが書かれていた。「同志よ! 勤労女性と勤労女子よ! 3月19日はあなたの日、それはあなたの権利です。あなたの需要の背後には社会的民主主義、労働組合があります。すべての国の社会主義女性があなたと団結しています。 3月19日は栄光の日です!」(米ニュースサイトJACOBIN)
この1911年に、米国、スイス、デンマーク、オーストリアの女性労働者は3月8日を女性デーに選んだ。 そしてフランス、オランダ、スウェーデン、ボヘミア、そしてロシアもすぐに仲間入りした。
3月8日が国際女性デーとして世界的に祝われるようになったのは1914年のことである。「女性の日/1914年3月8日 – 女性参政権と一緒に」という言葉で飾られた、黒い服を着た女性が赤い旗をふる、印象的な構図のポスターがよく知られている。
そして国連が「国際女性デー」を定めたのは1975年のことである。アイスランドでは女性が1日休暇を取った。都市に住むもの、田舎に住むもの、賃金を得ている者、得ていないもの、すべての労働が重要であることを示すためのもので90%が参加した。彼らは休みと言ったが、 国際家事労働賃金キャンペーンではストライキと呼び、「女性が止まるとすべてが止まる」というスローガン掲げた(ガーディアン紙)。
それから40年以上が経過した今、この運動は世界中に広がりを見せた。サウジアラビアでは、この日ジョギングがイベントの一環で行われた。ムハンマド・ビン・サルマン皇太子の下で自由に対する制限が緩和されたので、新たな自由を味わった格好である。