私はエクソンモービルから資金援助を受けた気候学者だった

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著:Katharine Hayhoeテキサス工科大学 Professor and Director, Climate Science Center)
 
 気候変動の現実と緊急性、そして、気候変動に関する虚偽の情報流布を目的とした偽装団体への寄付について人々に疑念を植え付けようとするエクソンモービルの計画的な企ては、いまや公知の事実となって久しい。

 2015年の調査報告では、エクソンは遡る1970年代と同等の規模で気候モデリングを実施している科学者たちを自社に擁していた。その研究とモデリングは単に正確だったのみならず、同社の将来を担う計画の立案にも重用されていた。

 そして、論文審査を経た研究成果が8月23日に発表されたが、エクソンが気候変動に関して社内で述べていることが同社の対外的な発表とは定量的に全く異なっていることがこの論文で確認された。特に、研究者であるジェフリー・スプラン氏ナオミ・オレスケス氏は、エクソンの社内文書と1977年から2014年に同社が発表した査読審査後の出版物の少なくとも80パーセントが科学界の認識と一致することを発見した。同社は、気候変動が真実であり、人間によってもたらされたことを認めており、当時の気候学者なら誰でも同意したであろう「合理的な不確実性」を認知していたのだ。それにもかかわらず、その時期にエクソン社が掲載した編集記事形式の有料広告の80パーセント以上は、その不確実性に疑問を投げかけるものであったこともこの研究によって明かされた。

 社内で議論されていた最先端の気候研究と、組織的に対外発信されていた気候に関するニセ情報とのあからさまな対比には、誰しも大きな驚きを隠せない。エクソン社内で何が起きていたのか?

 私は、他に類のない見方ができる。なぜなら当時、私はその場にいたからだ。

 1995年から1997年まで、エクソンは私の修士論文研究テーマに対し、部分的な資金援助を提供した。私の研究テーマは、メタンの科学的性質と燃焼放出物に関するものだった。私は、1996年にニュージャージー州にあるエクソンのアナンデール研究所でインターン研究生として数週間滞在していた。そして、共同研究を数年間行い、その成果として3本の論文を発表した。これらは、スプラン氏とオレスケス氏の新しい分析研究でも参照された論文である。

◆エクソンにおける気候の研究
 科学者たるもの、どこで働いているかに関わらず科学者である。エクソンにいた私の同僚たちもその例外ではなかった。思慮深く、慎重であり、気候に関する科学的なコンセンサスに完全に従う。これらは科学者のだれもが誇りとする信条であり、行動規範だ。

 エクソンは私たちの研究の題目を知っていたのか? もちろんだ。研究は慈善事業ではない。エクソンの研究開発は明確な目的を掲げて実施されていた。私の場合、メタン削減の有用性を定量化することで、気候変動政策に警鐘を鳴らす必要がないという確証を得ることが目的だった。

 メタンは、石炭や天然ガスの採掘時に大気中に放出される廃棄ガスである。また、排水処理プラント、牛、羊、ヤギをはじめとする反芻を行う動物のおならやげっぷ、廃棄物処理場の有機ゴミの腐敗、アフリカの巨大な白アリ塚、さらに、家族に乳糖不耐症の人がいれば、ごく微量ながらもその人から放出されるなど、メタンはいたるところで排出されるガスである。

 質量ベースで考えた場合、メタンは二酸化炭素に比べ約35倍の地球の熱量を吸収する。メタンは二酸化炭素ガスに比べてその寿命ははるかに短いため、その生成量もさほど多くはない。従って、二酸化炭素を削減しなければならない、という事実から免れることにはならない。しかし、地球温暖化が進行する速さに喫緊の懸念があるならば、炭素ベース燃料の撤廃へ向けた長期的な取り組みと並行して、可能な限り早急にメタンを削減することでその努力に見合う価値を得ることになる。

 ガス産業や石油産業にとって、メタンの排出削減はエネルギー節約を意味する。従って、私は研究に従事している間、強引な指導や高圧的な干渉を受けることが一切無かったのも驚くべきことではない、と言える。誰からも私の論文を見直すよう依頼されなかったし、研究の成果を都合よく「調整」する方法の助言を受けたことはなかった。唯一、要求されたことと言えば、エクソンが共著となった学術論文について、査読のための提出は、多くの連邦政府機関が展開している政策と同じような基準の社内レビューに合格してからにして欲しい、という依頼だった。

 私は当時、エクソン社内で他に何があったのかを知っていただろうか? 答えはもちろんノーだ。社内に渦巻く欺瞞など夢想だにしなかった。

 私はカナダからやってきたばかりで、気候科学を受け入れない人々が存在することに気付いていなかった。実際、自分の結婚相手がそういう存在だったことに気付くのに半年近い期間を擁したくらいなのだから、私が従事していた人間の気候に与える影響を低減する最適な方法についての研究をエクソンが支援していたのとまったく同時期に、同社が気候に関するニセ情報を組織的に対外発信することに資金を投じていたことなどは、ましてや私は知る由もなかった。

 それでもエクソンの選択は、私たちの置かれている今日の状況に直接貢献した。今日の状況は多くの点で非現実的としか言いようのない混沌ぶりだ。選ばれた代表者の多くが気候変動への対策活動に反対票を投じたり、中国がアメリカにおいて風力発電太陽光発電の主導権を握ったり、さらにクリーンエネルギーへの経済的投資を行ったり、さらにはあの不運なワックスマン・マーキー法案に似た国内キャップ・アンド・トレード制度を成立させたりしている状況である。

◆個人的な決断
 この最新の調査は、多くの人々がこの重大な問題についてエクソンが故意に大衆に誤解を招いた責任を負うよう求める理由を強調している。しかしこれが科学者たちにとって、この議論とは異なるまた別の、それでいて同様な道義上の議論のきっかけとなりうるかもしれない。

 私たちは、世間の良心のご機嫌取りのために提供された資金援助を喜んで受け取る気になるだろうか?

 罪の償いを文字通り支払う、という考え方は新しいものではない。何もかも寛大だった中世から、カーボンオフセットに狙いを定めた批判が沸き起こる今日にいたるまで、私たち人間は、自らの行動の結果を未然に回避し、特に経済的な善行を積むことで良心の呵責を和らげようと努めてきた。今日、多くの業界団体が、私たちが慣れ親しんできたこの道筋を辿っている。右手では最先端の研究と科学を支援しながら、左手では科学を否定している有様だ。

 スタンフォード大学の世界気候エネルギープロジェクトは、エクソンを資金提供スポンサーに迎え、効率的でクリーンなエネルギー技術に関する基礎研究を実施している。慈善家で政治献金も行うデイビット・コック氏は2015年、スミソニアン国立自然史博物館に3,500万ドルというこれまで前例のなかった巨額の献金を行った。その後、30人を超える科学者たちが博物館を訪れ、コック氏は気候科学を「ニセ物呼ばわり」するロビー活動団体に資金提供している、として、博物館がコック氏とは縁を切るよう呼び掛けた。シェル氏はロンドン・サイエンス・ミュージアムの「アトモスフィア」プログラムの費用を負担し、これを利用して科学者が気候について知っている真実を曖昧にしてもみ消そうとした。

 他人を公然と非難するのは簡単なことだが、いざ自分たちが非難されるとなれば、他人の批判は賢明な策とは言えないだろう。研究や教育にもたらされる恩恵を取るか、もしくは、汚染された資金を拒否するか、いちばん大切なのはどれだろう?

 道義的に汚染された献金への適切な対処方法は、古くからの論題である。コリント書の中で、使徒パウロは、偶像に捧げられた肉をどうするべきか、つまり、食べても良いのか、あくまで拒否するべきか、という問いに対して答えを出した。

 使徒パウロの返答は、この問題の複雑さを反映している。肉は肉だ。パウロはそう答えた。これと同様に、今日、私たちは「金は金だ」と言えるのかもしれない。しかし、肉と金の両者の受容は、同時に提携や承認を意味し得る。そして、もし他人に影響が及ぶのであれば、より深い見識のある返答が必要になるだろう。

 私たちは、学者として何をするべきか? 広く開かれ、透明性も高い私たちの新たな出版業界では、資金援助者の宣言は重要であり、同時に必要である。研究機関との関係がいかに薄くて疎遠であったとしても、資金を提供する者は研究の成果に暗い影を落とすことになる、と主張する人もいる。一方で、資金は健全に使うことができる、と答える人もいる。どちらの主張に重きを置くべきか?

 気候科学のあらゆるところで20年間を過ごした私は、もはやかつてのような純真無垢な少女ではない。今なら私も気候科学のことを「自由主義的な作り話」だとして切り捨てる人たちのことを痛いほどよくわかる。そういった人たちは日々、フェイスブック上で私を攻撃し、ツイッター上で私を中傷し、時に手書きの抗議の手紙さえ送ってくる。その内容はともかく、その行為の芸術性を私に認めて欲しくてそのような行動を起こす。だから今、もしエクソンが私のところにやってきたら、私はどうするだろう?

 この質問に対する唯一無二の正解はない。自分自身について言えば、私はそれら資金を分別のある気候変動政策を支持する政治家に渡すように依頼し、支持しない政治家への資金の流入を断つように依頼するかもしれない。もしくは、コッホが資金を提供した謝礼金でシエラクラブの終身会員権を購入する、という私の同僚の1人が取った実践的な対応を私は賞賛する。

 即答できる簡単な答えはない、という事実に関わらず、これは日々、ますます多くの人々に問いかけられている質問なのだ。もはや私たちは曖昧な態度を取り続けることはできない。学者、そして科学者として、私たちは厳しい選択を迫られている。目を半分閉じたままで、その場しのぎのいい加減な判断を下すのではなく、しっかりと目を見開いてこれらの選択肢の持つ幅広い意味をきちんと認識してこそ正しい判断を下すことが出来るのだ。

This article was originally published on The Conversation. Read the original article.
Translated by ka28310 via Conyac

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