気候変動における「2℃目標」がなぜそこまで重要なのか?
著:David Titley(ペンシルバニア州立大学 Professor of Practice in Meteorology, Professor of International Affairs & Director Center for Solutions to Weather and Climate Risk)
気候変動に関するどの記事を見ても、「2℃目標」について何かしら言及している。そこではしばしば、気温上昇が2℃になるとリスクが大きく増大し、それを超えると、私たちの世界に破局的な影響が出ると語られている。
最近発表された一連の科学論文には、温暖化を2℃以内に抑えられる可能性は5%、2015年の国連気候変動枠組条約パリ会議が理想として掲げた「人為による地球温暖化1.5℃以内」を達成できる可能性はたったの1%だと書かれている。さらに、世界中のカーボン・フットプリントを今すぐ魔法のようにゼロに減らしたとしても、1.5℃の温暖化は避けられないことが最近の研究でわかっている。
そしてもう一つ、また別の問題がある。「採用すべき正しい基準は何か?」ということだ。気候変動に関する政府間パネル(IPCC)は、19世紀後半に相当する気温上昇をしばしば引き合いに出す。しかしパリ協定では、気温上昇を産業革命前の水準、すなわち1850年以前の水準を基準に算定すべきだと述べている。その基準であれば温暖化の幅を効果的に0.2℃引き下げ、許容しうる上限値に近づけることができると専門家達は示した。
まあしかし、とにかく数字とデータのオンパレードだ。この分野に最も精通した人でも頭がくらくらするだろう。まずもって、気候変動とその政策に関わる国際社会は、いったい何を根拠に「安全な温暖化上限は2℃」という合意に至ったのだろうか? それはいったい何を意味するのか? もし仮にその目標を達成できない可能性が濃厚な場合、私たちはそれでも気候変動を抑えるための努力をすべきなのか?
◆「臨界点」の恐怖
学術文献、主要メディアやブログサイトのすべてが、「2℃目標」の歴史を完全に解き明かしている。じつはその起源は、気候科学界ではない。エール大学の経済学者ウィリアム・ノードハウス氏に由来する。
1975年の論文「二酸化炭素をコントロールできるか?」の中で、CO2の妥当な上限値について「大いに考える」とノードハウス氏は述べている。彼は気候変化を「通常の変化の枠内」に保つことが妥当だと信じていた。彼はまた、科学単独では上限を決めることはできないとし、重要なのは社会の価値判断と現実的に利用可能な技術の両方を考慮することだと主張した。その上で彼は、妥当な上限値は、産業革命以前のCO2レベルの2倍量がもたらす温度上昇幅、すなわち2℃であると結論づけた。
ノードハウス氏自身は、この考察プロセスに「まったく満足していない」ことを強調した。ところが、この彼の非常にざっくりした大雑把な推量が、最終的に国際的な気候政策の基礎となった。じつに皮肉なことだ。
後になって気候科学界は、ストックホルム環境研究所の1990年報告書に見られるように、気候変動の影響を数値化し、温暖化の上限値を勧告することを試みた。この報告書では、温暖化を1℃以内に抑えることが最も安全な選択肢としながらも、1℃はおそらく非現実的なので、2℃が次善の上限だという主張がなされている。
1990年代後半から21世紀初頭にかけ、気候システムが幾何級数的な壊滅的変化に遭遇する可能性が増しているという懸念が高まった。この懸念は、マルコム・グラッドウェル氏の著書「ティッピング・ポイント(臨界点)」によって広く知られるようになった。例えば、「継続的な炭素排出が、地球規模での海洋対流の停止や大規模な永久凍土融解をもたらす恐れがある」などといった懸念だ。
急激な気候変動に対するこのような危惧は、国際政治が温暖化上限を受け入れる誘因ともなった。「2℃目標」は、1996年にEU理事会、2008年にG8、2010年に国連の場において採択され、政策と政治の世界に組み入れられた。そして2015年のパリ会議で、参加各国は「2℃目標」を採用し、さらに望ましい温暖化上限を1.5℃と定めた。
「2℃目標」の短い歴史をふりかえると、この目標は、気候変動をある一定の範囲内にとどめたいという、恣意的だが妥当性のある願望によって作り上げられたものだということがはっきりわかる。その範囲とはつまり、「人間文明と自然生態系の壊滅的破壊に結びつかない、地質学史上の近過去に地球が経験したことのある範囲内」ということだ。
結果として、ここ30年ほどで、気候科学の専門家たちは1℃または2℃という温暖化上限の考え方を支持するようになった。彼らは、「1℃超の気温上昇によって破局的変化のリスクは増し、そのリスクはそれより気温が上がると顕著に増大する」ことを研究で示した。
◆もしも目標を達成できなかったら?
おそらく「2℃目標」が支持される最大の理由は、その数字が持つ科学的真実性ではなく、ことをまとめるにあたっての、「原則としてのシンプルさ」だろう。
気候システムは巨大かつ非常にダイナミックで、時間と空間にまたがる指標や変数があまりにも多い。それを素早くシンプルにまとめて伝えることは容易ではない。その点で、「2℃目標」は、細かな含意や深みに欠けるものの、非常にわかりやすい達成目標である。しかも測定可能で、今のところはまだ達成可能だ(私たちの行動様式がすばやく変化することが前提ではあるが)。達成目標と目標設定は、変化を促すための強力なツールだ。
もちろん「2℃目標」は、いくつもの欠陥をもった大雑把なツールではある。アメリカンフットボールに例えると、QBレーティング(「パス成功率」「平均獲得ヤード」「タッチダウン率」「被インターセプト率」の4要素から求められる指標)だけをもってクォーターバックのチームへの貢献度を測ろうとするようなものだ。だが、そこを差し引いても、195カ国もの協定締結国を集めるその力は、低く見積もられるべきではない。
だが、もし仮に、最終的に1.5℃または2℃の目標を達成できない場合―― そのときはどうなるのか? 最新のIPCC報告書は、今より2℃気温の高い世界における陸上でのリスク分析に始まり、気温上昇4℃に達するまでのリスクを連続的に示している。
これらのリスクの大半は、算術級数的に増加するとIPCCは評価している。つまり、「目標の2℃を多少上回ってしまった場合でも、サンゴ礁や農業活動に大きな被害が及ぶリスクは増すものの、そのほか大多数の領域では、いきなり破局が訪れることはなさそうだ」ということだ。
その他のあらゆる達成目標と同様に、「2℃目標」は、たしかに野心的ではあるが、達成可能なものだ。しかし、もし仮にそれが達成できないのならば、今度は2.25℃または2.5℃の目標を達成するために最大限の努力が為されるべきだろう。
これらの達成目標は、山道を下るトラックの速度制限に置き換えて考えることができる。例えば時速30マイルという制限速度は、あらゆるタイプのトラックが余裕を持って安全に坂を下れる速度設定だ。しかし、もしこれが時速70マイルになると、崖から谷底に転落するトラックが出る恐れがあることは誰の目にも明らかだ。
では、その2つの数字の間はどうだろう? 当然ながら、数字が大きくなるほどリスクも増える。つまりこの理屈が、気候変動の分野にも当てはまる。私たちが時速30マイルで坂を下ることができないなら、今度は35マイルか40マイルを試してみよう。言うまでもなく、時速70マイルが非常に悪い結果を招くことは私たち全員が知っており、誰ひとりとしてそのような結果を望んではいない。
This article was originally published on The Conversation. Read the original article.
Translated by Conyac