眼を見て他人の心を読む方法
著:Tobias Grossmann(バージニア大学 Associate Professor in Psychology)
眼は、日々の人との出会いの中できわめて重要な役割を果たし、時には隠喩的に「魂の窓」と呼ばれることもある。他人の心に関する多くの情報を、彼または彼女の眼から収集できるという説を裏付ける、否定しがたい証拠を今ここに紹介しよう。まず、ひとつのPOC(概念実証:コンセプトの妥当性の事前証明)として、英国ケンブリッジ大学のサイモン・バロン=コーエン氏のグループが開発した「眼中思考読解テスト」(RMET)が、我々は相手の眼とその周辺部位を見ることでその心理状態を識別する能力を持つ、という証拠を示した。他人の眼が彼らの思考について伝えてくれる情報の範囲は、いくぶん限られたものかもしれない。それでも、そこに示される証拠は、「他者の心の中は直接観察できない」とする懐疑主義の哲学者たちの長年の見解に真っ向から反する。「観察できない」どころか、人間の眼は、他者の心の内面に直接アクセスし、自己と他者とを結ぶ橋を形成するのだ。
この現象は、ヒトだけに見られるものだ。実際、全霊長類の約半数の種と比較した結果、ヒトの眼は形態学的にも反応的にもユニークであることがわかっている。眼の輪郭(りんかく)部分の水平方向の長さと、強膜と呼ばれる眼球外縁の露出組織の量は、どちらも霊長類中最大。しかも、白色の強膜を有する種は霊長類ではヒトだけだ。現存する霊長類の中で我々に最も近いチンパンジーと比較してみると、ヒトは相手の顔を眺めるとき、眼の領域にしっかりと焦点を合わせる。14ヶ月齢までの段階で、ヒトの視線はほぼ例外なく相手の眼を追うようになる。それに対し、他の大型類人猿では、より頭部に近い方向に視線をもっていく。
他人の眼への感受性は、ヒトの発達の初期に現れる。生後間もない乳児は、まだあまり視力がないにもかかわらず、出生直後から相手の顔への嗜好を表現する。具体的には、眼を閉じている顔よりは、開けている顔を見ることを好む。また、黒の虹彩に白の強膜という、ごく自然な外観の眼をもつ顔だけを好み、虹彩が白、強膜が黒の、人為的に作られた顔は好まない。また乳児は、大人が他人の心の状態を理解する際に用いるのと同じ脳領域をフル活用し、実際に相手の眼を見つめることによって、他人の心に関わる感情情報を収集するようだ。驚いたことに、乳児は7ヶ月齢に至るまでにはすでに、相手の白目の部分のみを手掛かりにして感情のシグナルを検出し、直接的な視線と避けられた視線とを区別するという。
眼のシグナルに対する反応を司る結合神経ホルモンに、オキシトシンというものがある。研究によると、鼻腔を通してこのホルモンを投与された被験者は、相手の顔を見るとき、その眼に視線を固定する傾向を強める。またこのホルモンは、眼のシグナルから相手の感情や心理を読む能力を著しく高める。
相手の眼と、その眼が発するシグナルに対する感受性の低下は、自閉症スペクトラム障害の発症の初期に見られる警告徴候の一つと言われている。最新の研究では、新生児にもともと備わっている相手の眼への志向性が、同障害に伴って、その後2~6ヶ月齢の時期に減退することもわかっている。視線のシグナルに対する脳反応の特徴的相違が6〜10ヶ月齢で観察される場合には、それは36ヶ月齢での自閉症診断につながる同障害の初期兆候だと疑われる。さらには、それより高い年齢層の自閉症の子供たちが、鼻腔内へのオキシトシン投与後、眼のシグナルに対する脳反応を増進させるという研究結果も出ている。オキシトシンと心を読む能力との関係が、確かに示唆されるのだ。また研究では、オキシトシン分泌に関わる遺伝的差異と、胸からの直接授乳経験という二つの要素が、7ヶ月齢という早い段階にある乳児の、相手の眼に対する感情反応に影響することも示されている。
概して言えば、他人の心を読む能力は初期の乳児期に発達し、他者の眼が発するシグナルに深く影響される。この発達過程では、他人の心をクリアに概念的に把握することは必要でなく、むしろ相手の感情・心理を直接経験することがベースになる。
もちろん人間は、これ以外にも様々な様式で他人の心を読む。たとえば触覚や、音声のシグナルなどだ。それでも眼のシグナルは、体に触れずに近距離でコミュニケーションをとる際のきわめて価値ある手段だと古くから見なされてきた。人間進化の早い段階において、危険な捕食者を避けつつ獲物を捕えることを切望する人間集団が協同して狩猟採集を行うにあたり、決して欠かせないものだったのだ。今日このシグナルは、あるいは人混みを通り抜ける時に、または仕事をうまくこなしていく際にも、我々が広く世界と交渉するのを助けてくれる。眼と眼を通したコミュニケーションは、誰かの心にアクセスし、最良の仲間を見つけて彼らと一緒にやっていくための、ひとつの助力だ。他者の心を見せてくれる窓としての眼は、生物としてのヒトの特性に深く根ざした、人間の社会的機能の神髄とも言えるものだと考えてよいだろう。
This article was originally published on AEON. Read the original article.
Translated by Conyac