日本の住所はわけがわからない!? 不規則な番地に困惑する海外出身者 欧米では「道+番号」
Only in Japan――。グローバル化時代を迎えて日本だけでしか通用しない常識が徐々に減ってきているように見えるが、独特な「住所表記」は、まだまだ来日する外国人を混乱させているようだ。世界では、欧米式の「〇〇ストリート〇〇番」といった道路名+建物番号式が一般的。数少ない日本式だった韓国も2014年から一斉に欧米式に改めており、日本のような住居表示はいまや世界で日本だけだと言っていいだろう。外国人観光客が急増するなか、ネット上では、この住所表記をめぐる話題が、英文サイトを中心に数多く取り上げられている。
◆日本の住所は「意味不明」
特異な日本の住所システムについては、2000年代後半くらいからネット上で語られ始めたようだ。最新のものは、車や交通関係の話題を取り上げるオピニオンサイト『JALOPNIK』に投稿された在日外国人女性ライターによる今年5月23日付の投稿だ。筆者のキャット・キャラハンさんは、「日本に来て最初に気づくことの一つは、ほとんどの通りに名前がなく、建物番号に秩序がないことだ」と記す。そして、それを「doozy(酷い)」「Insanely confusing(めちゃくちゃ分かりにくい)」と、最大限にネガティブに表現。「有名な観光地を目指すのならあまり問題にならないが、この地で運転するつもりなら大きな問題になる」としている。
同記事は、郵便番号に続く最初の「都道府県」からして、アメリカの「州」のように統一されていない点を嘆く。そして、ある埼玉県内の住所を例に出し、「日本語に堪能だとしても、何を意味しているのか初見では全く分からない」と書く。キャラハンさんがそのなかでも最も意味不明だとするのは、「番地」だ。外国人視点では、番地は具体的な「位置」を示すわけではなく、登記上の「あいまいな区域」でしかないものに映るようだ。「番」、「号」も、欧米式の「建物番号」のように、位置に従って秩序だっているわけではないとしている。
また、市町村とは別に、例えば「大井町」のように「町」「村」がつく地名があることや「区」があったりなかったりするのに加え、京都の「上ル・下ル・東入ル・西入ル」、地方に見られる丁目に代わる「イロハ」「甲乙丙」など、ただでさえ分かりにくい住所表記に地域のよってバリエーションがあることも、外国人の間で大きな混乱を招いているようだ。日本人である私自身も常々分かりにくさを感じているが、これらのほかに漢字の読み方で混乱することがある。5年前に地方に引っ越したのだが、例えば交差点名の「新井上(あらいうえ)」をずっと「しんいのうえ」だと思っていて、地元の人とミスコミュニケーションが発生するというようなことが非常に多い。
◆アメリカ人と日本人が道を訪ねるとどうなる?
「物事を多面的に捉えるのが大好き」だという米ミュージシャン・作家のデレク・シバーズさんは、そうした思考実験の「最もクールな題材の一つ」として、「日本の住所」を取り上げている。
シバーズさんはまず、アメリカ人の常識に則った例え話を出す。「シカゴの通りに立っていて、日本人に『このブロックの名前は?』と聞かれたと想像してほしい。アメリカ人は質問の意味がよく分からないまま、『ここはエリー・ストリートです。ワバッシュ・アベニューとラッシュ・ストリートの間です』と答えるだろう」。しかし、日本人にはこれが通じない。「違います。通りではない」と、地図上の通りに囲まれた空間を指し、「このブロックの名前は何ですか」と聞くだろうと…。
反対の例題はこうだ。アメリカ人が東京の街角で通行人に「この通りの名前は何ですか?」と聞く。すると、親切な日本人はこう答える。「ここは5番地です。向こうが8番地です」。アメリカ人は地図の道路の部分を指して問い直す。「そうではなくて、この通りの名前を聞いているんです」。そして、シバーズさんは太字でこう強調する。「日本では、ほとんどの通りに名前がないのだ!ブロックに数字がついている!通りはブロックとブロックの間にある単なる空白地帯なのだ。納得!?」
◆韓国では2014年に欧米式に改正
では、日本式の住所システムに何かアドバンテージはあるのだろうか?日本在住歴が長いIT技術者のスチュワート・ウッドワードさんが、情報交換サイト『Quora』で答えている。「通り名方式では、明快な法則に従って論理的に目的地にたどり着くことができる。しかし、まずは、目的の通りがどこにあるのかを見つけ出さなければならない。日本の住居表示の場合は、おおまかな地域にはたどり着きやすいが、目的地を見つけるためにその中を歩きまわらねばならない」
日本が今のような表記になった理由には、諸説ある。「欧米の都市は都市計画に基づいて形成されているが、日本の都市は自然発生的にできたから」という見方が一般的だろうか。ウッドワードさんは、「私が聞いたベストアンサーは、西洋の人々は道路沿いに家を建てたのに対し、日本人は空き地に家を建てたから、というものだ」と書いている。
同様の都市形成が進み、近代のインフラ整備では日本の影響が強い韓国でも、日本式に近い住所システムが取られていた。「いた」と過去形なのは、2014年に全国一斉に住所改革が行われ、通り名方式に改められたからだ。従来システムに慣れた一部の人たちからは「かえって分かりにくくなった」という声も出ているようだが、世界標準に合わせると同時に日本の植民地支配の名残をなくす政策の一環でもあったという。世界の「日本の住所」に対する視線は、どちらかと言えば冷たい。本家日本はそれでも、この“特異な伝統”を守り続けるべきだろうか?