STAP論文不祥事で露呈した、日本科学界の根強い無責任体質(コラム)
世界で「最も影響力のある50人」の幹細胞研究者で科学ブロガーとしても有名なカリフォルニア大学医学部のポール・ノフラー准教授は、STAP細胞研究進展のあらゆる局面で、その都度、的確な説明と展望を発表してきた。
今回の理化学研究所からの一連の論文発表の最初の段階から、鋭い視点で問題の指摘を行ってきている。同研究の結果が、もっとも期待を裏切る結末となったことを論評するとともに英科学誌ネイチャーのあり方にも鋭い分析を行う。そして日本の科学は、どこへ向かうべきなのか?
【掲載から論文取り下げまでが超特急、将来に期待】
長く感じられたが、実際には異例なほどの短期間の取り下げであって、まさに来るべきものが来たというべきとノフラー博士は慨嘆する。さまざまな深刻な問題が存在することはきわめて遺憾ではあるが、これで幹細胞研究全体が混迷から抜け出した新たな開始の日であるとして、望みを捨てるべきでない、という。
【理化学研究所は今後もSTAP研究をフォローすべきだ】
理研は今後、何ヶ月もかけてもSTAP細胞研究の見極めについて展開させ、何らかの結果をもたらすべきだという。一方、共著者だったチャールズ・バカンティ教授のハーバード/ブリングハム産婦人科病院などからは、もはや何も発表がない、という。
しかし、STAP細胞論文についての議論は、今日となれば、少なくともたんなる反省材料以上の価値があったとする。これを機会に、いまこそ反省すべきときであるとして、今回の一連の問題を今後に活用することを説く。STAP研究の再現実験については世界中の多くの研究者が多大な時間と研究費を費やしたことはすでに報じられているとおりだ。
【ネイチャー誌の責任も重大】
著者たちは論文取り下げに際してさらに問題点と誤りを列挙したが、ネイチャー誌側は注目すべき論評を行った。これに対しノフラー博士は「ネイチャーはその編集方針についてもっとオープンであるべきだったし、責任ある決定が必要だった」として、ネイチャー誌の論評を非難する。
たとえ査読者や雑誌側で今回のSTAP研究の一連の不正を見抜けなかったにせよ、これらの論文には当初から重大な問題が歴然としていた、という。ノフラー博士は一読してこれらのSTAP研究論文には重大な誤りが存在すると直感した、と述べる。ネイチャー誌は受理以前の段階でそのような判断に基づいて果断に処置すべきだったとしている。
【ソーシャル・メディアが不正を指摘、科学界では初めて】
論文の問題点指摘は世界中のいわゆるソーシャル・メディアが大活躍した、かつてない特異な例だったという。
それがなければ、おそらく少なくとも2015年まで論文取り下げが行われなれず、さらに再現実験のための研究時間、費用の無駄が起こっていただろう、と述べる。こうして迅速に収束させたことで将来へ問題を引きずることはないと、ノフラー准教授は楽観する。
【地盤沈下が著しい日本の科学の憂うべき状況 ── 日本の研究最前線の現場は、今どうなっているのか?】
元三重大学学長の豊田長康氏は「日本のお家芸と言われた『物理・化学・物質科学』分野の論文数が、2004年の国立大学法人化を契機に、明確に減少している」と警告し「何度見ても衝撃的」だとする。韓国、台湾、中国などが、日本が過去に優位性を保っていた産業競争力を凌駕したのは、たんに技術の流出や経営戦略の失敗が原因ではなく「大学の研究力を高めてその分野の学術論文数を増やすという正攻法でもって、日本を抜き去った」からだという。
7月25日、日本学術会議は「研究全体が虚構ではないかという疑念を禁じ得ない」として「(再現)実験と懲戒処分は切り分けて考えるべきだ」と声明し、小保方氏らの厳正な処分を急ぐように求めた。
名古屋大学での研究者現役時代には峻烈をもって知られていた野依良治理事長は、理研では切れ味のさえない措置を繰り返している。
早稲田大学では、小保方氏の博士論文はにつき26箇所の問題箇所を見出しながら取り消しを行わないと決定したが、ブロガーで企業家の山口巌氏は「早稲田大学は死んだ」とコメントした。
気象庁(東京都千代田区大手町)では、庁舎内の執務室で毎晩のように酒宴が行われ各階の湯沸室で酒肴を焼く匂いが庁舎にたちこめるというありえない非常識が常態化していた。同庁は3直で24時間執務中という最先端の科学技術を基礎にした現業官庁で、いわゆるオフの時間帯などは存在しない。東京大学の特任研究員による研究業績詐称事件は記憶に新しいが、他にも国立大学法人において業績に不審のある特任研究員などの不可解な存在は今や常態化している。
【不祥事に対して責任を取ろうとしない体質がまん延】
現在、日本の研究機関、政府機関のモラールの凋落ぶりは枚挙にいとまなく、一般の期待・イメージからはほど遠い。今回の事件は、このようなモラール(士気)の低下と、責任をもってそれを正す気概がなく追認することで正当化しようとする体制が背景にある。国民の税金で運営されているというもっとも必要とされる自覚はどこにも見出すことができない。
古代ローマの史家クルティウス・ルフスは「歴史は繰り返す」と言ったが、これら一連の不祥事にだれも責任を取らず、むしろ追認しようとする徴候は、かつて日本がたどった道でもある。日本を敗戦で滅亡の淵に追い込んだのは、まさにこの体質だったことを忘れてはならない。