英訳発売の村上春樹「多崎つくる」、実は古典的な設定? 英紙が注目する「罪」とは
国内では2013年の4月に発売され、オリコンが発表した「2013年年間“本”ランキング」で1位を獲得した、村上春樹の長編小説「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」英訳版が12日、海外で発売された。
毎年のようにノーベル文学賞受賞の候補に挙げられ、海外にも数多くの読者を持つ村上氏の新作は大きな話題になっている。同作発売に先立ち、英米主要各紙は同書の書評をこぞって掲載。注目度の高さがうかがわれる。同書は海外でどのような評価を受けているのだろうか。
【「無実の罪」を描いた古典に連なる作品】
英紙テレグラフは、同書を世界文学の中に位置付けて読むことを試みている。村上氏が2006年にチェコの文学賞である「フランツ・カフカ賞」を受賞したことに触れ、彼の作品に見られるカフカ的なものの存在を指摘。そして今回の『色彩を持たない‐』にカフカの『審判』に近づけて読解している。
同紙は「村上が巨大な読者層持つひとつ理由が、多くの重々しい作家と違って、プロットと同じくらい“散文”に関心があることだ」と分析する。
しかし、『審判』のヨーゼフ・Kに起きたことの「バリエーション」とも言える今回の作品では、村上氏が、不在の間に決められた罪を宣告される主人公を描くのに挑戦したと紹介している。とくに、多崎つくるの疎外を描いた序盤の部分は、『審判』やハインリヒ・ベルの『カタリーナの失われた名誉』、あるいはフィリップ・ロスの『ヒューマン・ステイン』といった、文学における無実の罪について描いた、ひとつのサブジャンルに連なるものだとしている。
また、テレグラフ紙は翻訳版の文章についていくつかの問題点を提起。訳者が村上氏の特徴的な文章をどこまで再現できているかを疑問視するとともに、出版社が用いたアメリカの慣習に従ったスペルや単語の言い回しがイギリスの読者を苛立たせたと綴っている。
同紙は文章の最後、今回の作品がカフカ的な両義性や雰囲気をよく表現したとする一方で、「村上は、残念ながら多くの謎を未解決のまま残した」と締めくくっている。
【村上作品の中で音楽が持つ意味とは】
英紙インディペンデントの記事は冒頭で、村上が小説家になる前に東京でジャズバーを開いていたことを紹介し、しばしば彼の作品世界を解き明かすカギになる「音楽」を軸に考察を進める。同書の中では音楽が重要な意味を持つ象徴的なシーンが何度も見られるが、とくにフランツ・リストの『巡礼の年』について「主人公が10代の頃に送った探究と苦悩の日々についてのピアノにまつわる記憶であり、ラザール・ベルマンとアルフレード・ブレンデルの支持された2つのレコーディングの形をとって、作中の行動や反響の“伴奏”になっている」と読み解く。
同紙はタイトルにもなっている「色彩を持たない」主人公については、テレグラフよりも詳しく説明している。多崎つくるが高校時代に緊密なグループを結成していた、苗字に色の名前を持つ4人のメンバーについて Ao(青)、Aka (赤)、Shiro(白)、Kuro(黒)と日本語の色の名称も合わせて記述。
またインディペンデント紙では、かつての仲間のひとりアカが「クリエイティブ・ビジネスセミナー」という自己啓発セミナーのようなビジネスを展開していることにも注目。『アンダーグラウンド』や『1Q84』といった作品に見られるように、村上氏がキャリアを通じ、人々がカルト宗教的なものに魅惑され、服従する様をしばしば取り上げてきたと紹介している。
【主人公の名前はなぜ「多崎つくる」なのか】
ニューヨーク・タイムズ紙の書評はパティ・スミスが執筆したことでも注目を集めている。記事はまず「かつてレコードショップでビートルズやボブ・ディランのニューアルバムを列をなして待った世代のように、読者たちが村上作品を待っていた」と切り出し、そこには幸福な期待があるとする。
この作品は「若い男性のトラウマ的な大人への入口、彼が後に通らなければならない暗い道」を描いたものだと理解され、主人公の名前に注目している。スミスは、多崎「つくる」という名前の意味を「作ること (To Make)」だと押さえた上で、この名前は村上氏の作家としてプロセスのメタファーだと指摘している。
書評では「運命が主人公にプレゼントした」2人の登場人物の詳細な描写とともに、先に挙げた2つに比べ、より作品の展開に即した分析を進めている。夢の世界の描き方は『1Q84』の色彩を感じさせ、壊れやすさと数多くの音楽への参照が『海辺のカフカ』に似ているとされる同書。雰囲気が不均質で、時に会話が誇張されている、といった問題点もあるが、「この作品には、人々がお互いにどう影響しあうかに関して、優美に表現されたひらめきの瞬間がある」と評価した。