賃上げのために政府ができることはまだある…IMFエコノミストが4つの施策を提案
デフレ脱却を目的とするアベノミクスにとって、賃金上昇は極めて重要だ。16日は春闘の集中回答日で、大手企業多数が、労働組合の賃上げ要求への回答を公表した。おととしと昨年に引き続き、多くの企業でベースアップ(ベア)の実施が盛り込まれた。しかし大幅な賃上げが実現した昨年と比較して低い水準にとどまった。いくつかの海外メディアは、これをアベノミクスにとっての逆風と捉えた。デフレ脱却を目指して企業を賃上げに導くために、政府にできることは残されているのだろうか。
◆「アベノミクスへの最悪の打撃の1つ」
16日、多くの企業が賃上げを表明する中、海外メディアでも最も注目を集めたのはトヨタ自動車だった。昨年度(2015年3月期)、円安を背景に過去最高の純利益を記録したことを受け、今年度は4000円のベアを実施していた。今年度もまた過去最高益を更新する見込みだが、来年度のベアは1500円にとどまった。円高の進行や新興国経済の先行き不透明感などを背景として、経営陣が慎重な姿勢を強めているためだ。
こういった傾向は、他の多くの企業にも当てはまる。ブルームバーグは、日本企業は増収の鈍化、世界経済の見通しの悪化、円高の進行と格闘している、と語る。円高は、輸出の比重の高い企業にとってマイナス影響が大きい。
昇給額が減少したことについて、アベノミクスへの逆風だという見方が、いくつかの海外メディアで語られている。
フィナンシャル・タイムズ紙(FT)は、日本の企業は賃上げのペースを目立って落としたが、これは2012年のアベノミクス開始以来、アベノミクスへの最悪の打撃の1つである、と語っている。また、アベノミクスの最初の2年、企業は、政府の賃上げ圧力に応じていた――トヨタは率先して行っていた――が、今年、経営陣は中国経済の減速、円高と格闘しており、(政府の要求に対して)不従順だった、と語っている。
ウォール・ストリート・ジャーナル紙(WSJ)は、日本の企業は労働組合に対し、昨年より小幅の賃上げを回答しているが、このことは、衰えつつある成長を引き上げるために企業に対して直々に賃上げを迫っている安倍首相にとってつまずきだ、と語っている。
WSJは、昨今の状況下でもベアが実施されるのは、安倍首相の強い要請が効果を発揮していることを示している、という見方の人がいることも伝えている。
またWSJは、組合員は日本全体の労働者の17%でしかないため、春闘が必ずしも日本全体の基調を定めるわけではない、とも語っている。
◆賃上げなくして「経済の好循環」は成り立たない
賃上げが重要なのは、端的にいえば、消費を活発にするからだ。逆に、賃金水準が下がれば消費は落ち込む。これは日本がまさに経験してきたことだ。ブルームバーグも伝えるように、物価変動の影響を除いた2015年の実質賃金は前年に比べ0.9%減少していた。実質賃金は4年連続マイナスで、それが個人消費を抑制している、とブルームバーグは語る。
WSJは、2015年10~12月期の日本経済はマイナス成長だったが、これは一つには、実質賃金が何年間も下落していることでもたらされた個人消費の弱さのためだ、と語っている。
ブルームバーグが説明するところでは、アベノミクスでは、賃金上昇、消費の活性化、物価上昇が組み合わさって持続的な経済成長を推進するという好循環を目指している。しかし、トヨタの「反抗」(政権側から見て)は、この好循環が失速しつつあるかもしれないということの最新の兆候だ、としている。
国際通貨基金(IMF)のルーク・エバアート氏(アジア太平洋局アシスタントディレクター)とジョバンニ・ガネリ氏(アジア太平洋地域事務所次長)は、IMFのエコノミストらの見解を紹介するブログ「iMFダイレクト」において、日本がデフレから決別するには賃金上昇が必要で、これは全ての人が同意するところだ、と語っている。
◆日本で賃上げが進まない構造的理由とは
IMFの両氏は、正社員の賃金は、1995年以来、わずか0.3%しか上昇していない、と語る。賃金が伸びなかったことには構造的な原因があり、それが日本を長期的なデフレに落ち込ませた可能性があることをIMFの他のスタッフの分析が示している、としている。その原因とは、正規雇用と非正規雇用という労働市場の二重構造だ。
まず、大部分の(正規雇用)労働者は、終身雇用の下で働いており、ほとんど転職することはない。このため、被雇用者は、終身雇用と引き換えに、賃上げ要求を控えるようになっているという。
また、現在、労働者の37%が非正規の雇用契約の下で働いているが、これは他の同様の国や地域と比べ非常に高い比率だという。ある時から、企業は大幅に賃金の低い非正規労働者ばかりを採用し始め、労働組合の組織率は低下し、労働組合の賃金闘争における交渉力はほとんど失われてしまったという。
これらのせいで賃金が伸び悩んできたという主張だ。WSJやブルームバーグは、今年の春闘において、労組側が賃上げ要求を控えめに抑えたことを伝えている。
◆IMFエコノミストの提言・「第4の矢」で賃金上昇を狙え
アベノミクスが日本に根付いていたデフレ・マインドを払拭(ふっしょく)しようとしたことは、正しい判断だった、とIMFの両氏は語っている。金融政策の(旧第1の)矢は、インフレ期待を2%に引き上げ、賃金上昇とインフレがともに起こるメカニズムを作ることを目指したが、これは困難を極めた、と両氏は語る。その理由は、企業も労働者も未来を見ず過去を見て見通しを形成しているようだからだ、としている。
企業に賃上げを促す上で、モラルに訴えるとしても、効果を期待できるかは不確かだ、と両氏は述べる。そこで、(賃金上昇を目的に据えた)第4の矢を放つ準備をする必要がある、と主張している。具体的な措置としては、以下の4項目が提案されている。
・収益を上げている企業が、ある水準以上の賃上げを実施しない場合、その理由を説明する義務を負わせる
・賃上げのための税制上の優遇措置を強化する
・過剰な利益の伸びを従業員に還元しない企業に対し、税制上の懲罰的措置を設ける
・公共部門が率先して賃上げし、手本を示す
◆政府主導で賃上げを行うには難問が
けれども、こういった措置を実際に行うとなると、問題は山積みのようだ。WSJのもう1つの記事は、こうした政策は理論的には素晴らしいが、実務や価値観の面ですぐに疑問が浮かび上がる、と述べている。「過剰な利益の伸び」をどう定義するのか、どうやって企業に順守を義務付けるか、といった問題だ。また記事は、当局が民間企業の意思決定に立ち入ることには弊害があることを伝えている。
また、もし政府が企業に賃上げを義務的に行わせようとすれば、企業が国内での雇用を控えるという事態にもなりかねないのではないか。
デフレ脱却のために賃上げが必要なのは確かだ。企業側もそれを認識しており、それが今年の春闘のベア継続判断につながった面も大きいだろう。一方、政府や日銀は、これまでとは異なったアプローチを検討する時期にあるだろう。