マリリン・モンローはどんな人?人気の理由や若くして亡くなった理由とは
マリリン・モンローは、1950年代にアメリカだけでなく世界中で人気を博したハリウッド俳優だ。その人生は、今もなお語り継がれている。しかし、彼女の歩んだ人生や素顔などは知らない人は多いだろう。
この記事では、マリリン・モンローの人物像を詳しく紹介する。人気の理由や若くして亡くなった理由も解説しているので、ぜひ最後まで読んでほしい。
目次
マリリン・モンローのプロフィール
マリリン・モンローは、主に1950年代に活躍したアメリカの俳優である。ドラマや映画にヒロイン役としてひっぱりだこで、絶大な人気を得ていた。セックスシンボルの先駆けとして話題になるほど、世界的にも有名な人物である。
恵まれない幼少時代を過ごし、裸一貫でハリウッドスターにのぼり詰めた彼女の生き方は印象的だ。スキャンダルも多く、数々の伝説と共に語り継がれている。36歳という若さでこの世を去った彼女の最後は謎が多い。今でも陰謀論をテーマにした書籍やドラマが作られている。
芸名 | マリリン・モンロー |
本名 | Norma Jeane Baker(ノーマ・ジーン・ベイカー) |
生年月日 | 1926年6月1日 |
没年月日 | 1962年8月5日 |
享年 | 36歳 |
出身地 | アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス |
職業 | 俳優 |
主な出演作品 | 『ナイアガラ』(1953年)『紳士は金髪がお好き』(1953年)『七年目の浮気』(1955年)『お熱いのがお好き』(1959年) |
SNS | Instagram @marilynmonroe |
性格が悪い?賢く生き抜いてきたマリリン・モンローの人生
金髪や派手なファッションを好むマリリン・モンローは、知的で博識な人物像とはかけ離れたイメージだ。プロデューサーや共演者とも不仲だったという事実から、性格はあまりよくなかったと噂されることも多い。
しかし、読書家という一面をもっていた彼女は、自分を売り込むための知略にも長けていた。つまり、賢く生き抜くための手段として、あえて演じていた部分も多いはずだ。そうでなければ、ハリウッドスターになることはできないだろう。
芝居の個人レッスンを受けるために借金をしていたことや、演技学校に通っていたことも有名だ。売れるためには何が必要かを考え、戦略的に活動していたと想像できる。
マリリン・モンローはなぜ人気を得ていたのか
マリリン・モンローが人気を得ていた理由のひとつに「女性の性的な魅力(セックスシンボル)」がある。
当時のアメリカ映画は規制が厳しく、好色もしくは挑発的なヌードは禁止されていた。しかし、禁止事項をかいくぐって制作されたマリリン・モンローの出演作品は、魅惑的なシーンを限界まで描写していた。これにより、世の中の男性から大きな支持を得たのである。
一方で、マリリン・モンローは高い演技力も備えている。都合のいい女を演じる姿は、いき過ぎた印象を受けるほど。しかし、役柄を理解して視聴すれば、違和感なく楽しめるレベルだ。娯楽の少ない当時に人気だったのもうなずける。
恋人はいた?マリリン・モンローの恋愛遍歴
マリリン・モンローは3度の結婚と離婚を経験している。1人目は後見人の都合で結婚。2人目は大リーガーのジョー・ディマジオで、2人は新婚旅行で日本を訪れた。しかし、1年以内に離婚している。3人目は脚本家のアーサー・ミラーで、5年ほどで離婚に至っている。
また、恋人としてはジョン・F・ケネディとその弟との噂が有名だ。ホワイトハウスの通話記録から、個人的な電話を交わす仲であったともいわれている。しかし、それ以上の付き合いを示す明確な証拠は残っておらず、真相は分からないままだ。
他にも交際の噂がある人物は多く、とくに有名なのは以下の人たちである。
- チャールズ・チャプリン:世界的な人気俳優
- エリア・カザン:ハリウッドの巨匠
- マーロン・ブランド:映画『ゴッドファーザー』の主演俳優
このように、多くの著名人との噂が流れるほど、マリリン・モンローは人をひきつける力があったといえる。
死因に謎が残るマリリン・モンローの最後
マリリン・モンローは36歳という若さでこの世を去った。死因は、バルビタールと呼ばれる睡眠薬の過剰摂取と判定されている。実際、遺体の横に睡眠薬が置かれていたようだ。
しかし、胃の残留物からは錠剤類が検出されず、水を飲むためのコップも現場になかったとの話もある。ジョン・F・ケネディとその弟とも親密で、政府の機密情報を知っていたことから暗殺されたとの噂もあるが、確実な証拠がないため陰謀論として取り扱われている。
いずれにせよ、マリリン・モンローの死は、アメリカの人たちを中心に衝撃を与えた。実際、死の直後にアメリカ全土の自殺率が12%増加したとの報告もある。当初はマリリン・モンローが自殺した説もあったため、模倣を示す事例として医学的にも取り上げられている。
マリリン・モンローが出演していた映画作品
マリリン・モンローが出演する映画は、多くの人を楽しませている。作品名と公開年を以下にまとめた。
作品名 | 公開年 |
恋愛アパート | 1951年 |
ノックは無用 | 1952年 |
モンキービジネス | 1952年 |
ナイアガラ | 1953年 |
紳士は金髪がお好き | 1953年 |
百万長者と結婚する方法 | 1953年 |
ショウほど素敵な商売はない | 1954年 |
七年目の浮気 | 1955年 |
バス停留所 | 1956年 |
王子と踊子 | 1957年 |
お熱いのがお好き | 1959年 |
荒馬と女 | 1961年 |
動画配信サービスで視聴可能な映画もあるのでぜひ見てほしい。なお、マリリン・モンローを描いた作品『ブロンド』がNetflixで公開されている。
マリリン・モンローはオードリー・ヘップバーンと同じ時代に活躍していた
20世紀を代表するヒロインとして有名なオードリー・ヘップバーンも、実は1950年代に人気を博した俳優だ。『ローマの休日』(1953年)では、1日限りの自由を満喫する王女役を務めており、清純なイメージが強くある。マリリン・モンローとは対極の存在だからこそ、同じ時代で人気があったのだろう。
なお、人間性の評価も高かったオードリー・ヘップバーンは、米国映画協会が選定した「最も偉大な女優50選」で第3位に選出されている。
マリリン・モンローが遺した名言5選
マリリン・モンローは、記者への切り返しがうまく、インタビューを通じて数々の名言が生まれている。普段から自分の思いを言葉にしていたからだろう。実際に、詩や心境がつづられた自筆のメモが見つかっているくらいだ。数多くの名言を一部紹介する。
What do I wear in bed? Why, Chanel No. 5, of course.
(私がベッドで何を着るかって?もちろんシャネルの5番よ)
I’m very definitely a woman and I enjoy it.
(私は女だし、女であることを楽しんでるわ)
A smile is the best makeup a girl could wear.
(女性にとって笑顔に勝るメイクはない)
Imperfection is beauty, madness is genius and it’s better to be absolutely ridiculous than absolutely boring.
(不完全は美しく、狂気は天才。すごく退屈でいるより、すごくバカげているほうがいいわ)
A wise girl kisses but doesn’t love, listens but doesn’t believe, and leaves before she is left.
(頭のいい女の子は、キスはするけど愛さない。耳を傾けるけど信じない。そして捨てられる前に捨てる)
マリリン・モンローの華々しく壮絶な人生は今も色あせない
マリリン・モンローは孤児院出身という恵まれない過去を乗り越えて、ハリウッドの頂点までのぼり詰め、20世紀の大スターになった強烈なサクセスストーリーをもつ人物だ。華やかなルックスや高い演技力だけではなく、知的な一面も彼女の魅力である。出演作品は動画配信サービスでも閲覧できるので、ぜひ彼女の魅惑的な演技に触れてほしい。