俳優マコーレー・カルキンの波乱万丈な過去と現在 主な出演作も紹介
クリスマスシーズンの映画と聞いて、皆さんはどんな映画を思い浮かべるだろうか。
日本人にとって馴染み深いのは、やはり『ホーム・アローン』シリーズではないか。クリスマスが近づくと必ずどこかのテレビ局が放映しCMで予告映像を流すため、それを見てクリスマスシーズンの到来を感じる人もいるはずだ。
そんな『ホーム・アローン』シリーズで主役を務めたのが、当時10歳だったマコーレー・カルキンである。今回はマコーレー・カルキンの役者としての経歴、そして彼の波乱万丈の人生について取り上げよう。
目次
マコーレー・カルキンのプロフィール
名前 | マコーレー・カルキン(Macaulay Culkin) |
生年月日/年齢 | 1980年8月26日 |
星座 | 乙女座 |
出身地 | アメリカ・ニューヨーク |
身長 | 167.6cm |
SNS | Instagram:@culkamania |
マコーレー・カルキンはアメリカのニューヨーク出身の俳優で、7人兄妹の第3子として生を受けた。子役から舞台俳優として活動もしていた父親のマネジメントのもと、4歳から子役としてショービジネスの世界に身を投じる。
オフブロードウェイのバレエ作品や舞台への出演を経て、8歳で『ジブラルタル号の出帆(旅立ち)』で映画デビュー。その2年後には主役を演じた『ホーム・アローン』のヒットをきっかけに、ハリウッドスターとしての地位を確立した。
マコーレー・カルキンの主な出演作
公開年 | 作品名 |
1988年 | 『ジブラルタル号の出帆』 |
1989年 | 『いくつもの朝を迎えて』 『おじさんに気をつけろ!』 |
1990年 | 『ジェイコブス・ラダー』 『ホーム・アローン』 |
1991年 | 『オンリー・ザ・ロンリー』 『マイ・ガール』 |
1992年 | 『ホーム・アローン2』 |
1993年 | 『危険な遊び』 『くるみ割り人形』 『ゲッティング・イーブン』 |
1994年 | 『リッチー・リッチ』 |
2003年 | 『パーティー☆モンスター』 |
『ジブラルタル号の出帆(旅立ち)』に出演して以来、マコーレー・カルキンはコンスタントに映画に出演するようになる。
1990年に公開された『ホーム・アローン』シリーズは国内外で大ヒットし、マコーレー・カルキンの出世作となった。現在でも、『ホーム・アローン』シリーズはクリスマスシーズンの定番の映画として高い人気を誇っている。
1993年には『危険な遊び』で従来のイメージとは異なる悪役を演じ、大きな話題を呼んだ。
1994年に出演した『リッチー・リッチ』を最後に、マコーレー・カルキンは15歳で映画界を去った。しかし2003年に公開された映画『パーティー・モンスター』で9年ぶりとなる映画出演を果たし、ファンを喜ばせた。
マコーレー・カルキンの役者としてのキャリア
幼少期から芸の世界に身を投じていたマコーレー・カルキンは、若干10歳にして大人も羨む地位と名誉を獲得する。
果たして、彼はどのような経緯で映画界のトップスターの地位を築いたのか。役者としてのキャリアを覗いてみよう。
ホーム・アローンシリーズの主演を務める
マコーレー・カルキンの名を一躍世界に知らしめることになった作品が、1990年に公開された映画『ホーム・アローン』シリーズだ。
マコーレー・カルキン演じる主人公ケビンが、クリスマスの夜を荒らそうとする間抜けな泥棒たちを手玉に取る、笑いあり感動ありの痛快なホームコメディは、国内外で大ヒットを記録。興行収入は全世界で4億7,668万ドル、日本でも約34億に達した。
この映画のヒットによって国内外の知名度を高めたマコーレー・カルキンは、世界一有名な子役としてギネスブックに載るなど、一気にスターダムを駆け上がることになる。
子役として史上最高額の出演ギャラを記録
映画界で名を馳せたマコーレー・カルキンは、並ではない名声と富を得ることになった。
1991年に出演した映画『マイ・ガール』では100万ドル(1億1300万円)、そして1992年に出演した『ホーム・アローン2』では450万ドル(5億1000万円)のギャラを獲得する。
どちらも当時の子役史上最高額のギャラであり、マコーレー・カルキンは誰もが夢見るアメリカンドリームを実現したのだった。しかし、これが後の彼の人生に暗い影を落とすことになる。
マコーレー・カルキンの波乱万丈な人生
マコーレー・カルキンの俳優としての経歴は、まさに順風満帆という言葉がぴったりだ。しかし、映画界での大きな成功が彼にもたらしたものは、必ずしも良いものばかりではなかった。
果たして、マコーレー・カルキンの身に何が起きたのだろうか。ここではその詳細情報について取り上げていく。
全ての始まりは実の父親
マコーレー・カルキンの人生を最初に狂わせたのが、マネージャーも務めていた父親のキット・カルキンである。
仕事上で絶対的な権力を握った父親は、息子の出演作品やギャラ交渉に口を出すようになったのだ。その非常識な振る舞いと要求が原因で、マコーレー・カルキンと父親は親子ともども腫れ物扱いを受けるようになっていく。
また、父親はプライベートで、マコーレー・カルキンに対して精神的にも肉体的にも虐待を行っていたという。後年のマコーレー・カルキンのインタビューによると、どうやら父親は息子の俳優としての才能に激しい嫉妬心と劣等感を抱いていたらしい。父親自身も同じ子役として舞台に立っていたからこそ、マコーレー・カルキンと自分の間にある絶対的な差を感じ取ってしまったのだろう。
親権をめぐる壮絶な裁判
1995年に破局を迎えた両親は、マコーレー・カルキンを含めた子どもたちの親権を巡って裁判を起こす。
これに対してメディアは、「両親は親権ではなく、マコーレが子役として稼いだ1,700万ドル(19億円)が欲しいんだ」と騒ぎ立て、大きな騒動となった。
最終的に1997年に母親が子どもたちの親権を得て、かつ「マコーレの財産はマコーレの会計士によって管理される」という判断が裁判所によって下され、全ての騒動は幕を閉じた。
17歳で人生最初の結婚
上記の裁判騒動が精神的にも応えたのか、マコーレー・カルキンは14歳で役者を引退することを決め、15歳で映画界を去った。
その後高校中退を経て、1998年に17歳で同い年の女優レイチェル・マイナーと最初の結婚をする。しかしこの結婚は2年しか続かず、2000年に破局すると2002年に正式に離婚が成立した。
その後同じく子役出身のミラ・クニスと交際するが、9年の交際を経て破局している。
規制薬物所持で逮捕
2004年、マコーレー・カルキンはマリファナと規制薬物の所持で逮捕される。オクラホマの刑務所に勾留後、保釈金4,000ドル(約44万円)を支払い保釈されるが、以降も薬物中毒に苦しめられることになった。
2012年には重度のヘロイン中毒で余命半年とゴシップ誌が報じるが、本人はこれを否定。なお、2023年現在もマコーレー・カルキンは存命である。
役者としてカムバック
2016年頃から徐々に仕事を増やし、役者として映画やドラマに出演。2021年にはグッチのコレクションにモデルとして出演を果たした。
プライベートでは2017年に結婚した女優のブレンダ・ソングとの間に一男を儲け、現在は子育てを楽しんでいるらしい。
2021年に出演したドラマ『アメリカン・ホラー・ストーリー』では、72歳の女優との濡れ場に挑戦し、大きな話題を呼んだ。
今後のマコーレー・カルキンの活躍に注目!
一度は役者を辞めたマコーレー・カルキンだが、数奇な運命をたどった先で再び役者の世界に帰ってきてくれたことは、映像業界にとって大きな出来事だっただろう。役者として彼がどれほど優れているかは、過去の作品を観れば明らかだ。
これから再び映画やドラマでマコーレー・カルキンの輝く姿が見られることに期待したい。
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