越境する音楽家・酒井淳 ジャンルを越える意味と音楽の本質

アトリエ・デュ・プラトー(パリ)|© olivier degen

 西洋音楽の本場で、東洋人が1つの道を極めるのも難しい。しかし、酒井淳は複数の異なる専門で第一人者として認められている。国境や音楽の種類を超えて活動する酒井氏の半生をたどると、型にはまらない成功者の生き方が見えてくる。

◆バロック音楽祭「チューリッヒ・バロック」
 スイス・チューリッヒ歌劇場で今年から始まったバロック・フェスティバル。初回となる今年は3月20日から29日まで開催され、その10日間のうちにバロックオペラが3演目も上演された。

 その最後の演目がルクレール作曲『シラとグロキュス』だ。神話の物語だからか、現代のオペラ界では上演回数が少ない幻のような作品で、それをバロック界で名高いエマニュエル・アイムが指揮するということもあり評判が高かった。

 しかし、リハーサルを通して音楽の基礎を作り上げたのは、実は副指揮者を務めた酒井淳であったのだ。作曲者ジャン・マリー・ルクレールはこの1曲しかオペラを書いておらず、上演回数だけでなく録音も少ないので、フランス・バロックの様式に関する深い洞察と経験が必要となる仕事だ。学生時代に和声学の授業で机を並べたアイムは、同じ音楽性を持つ酒井氏に絶大な信頼を寄せており、リハーサルに参加したのは最後の1週間ほどだったと言われている。

◆バロック音楽家=酒井淳
 毎日の研鑽や深い探究が必要となるクラシック音楽界で、1つの楽器を極めるだけでも至難であるが、酒井氏は3つの分野で3つの職業、3つの楽器を操る。

 まずはチェロ・ヴィオール(ヴィオラ・ダ・ガンバ)奏者として、Sit Fastなど複数のアンサンブルを設立し、16世紀のルネサンス音楽から現代曲までも弾きこなす、古楽器の枠にとらわれない高レベルのアンサンブルに育てた。

 次にバロック・チェロ奏者としては昨年9月に初めてのソロアルバム『J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲(全曲)』を発表した。サントリーホールでは、フォルテ・ピアノの渡邊順生氏と組んだチェンバーミュージック・ガーデンなどでも知られている。

 そしてモダン・チェロは、そんな酒井氏をこの道に導いてきた楽器だ。

◆ジャズ、作曲、そして指揮者へ
 酒井氏が学んだパリ国立高等音楽院にはジャズ科もあり、その仲間たちと弦楽四重奏団「Quatuor IXI」を結成、2010年から2023年まで活動し、そのために弦楽曲などを初めて作曲したという。

Quatuor IXIとデヴィッド・シュヴァリエ

 すると現代音楽作曲家として自作の曲を指揮する必要もあり、指揮も始めた。

現代ダンスカンパニーPeeping Tomのために酒井淳が作曲し、
2021年12月にリール歌劇場で上演された作品の一場面

 パーセルが作曲したイギリスのバロックオペラを代表する『ディドとエネアス』に付随する音楽を、2021年に作曲するコンセプトを任され、45分の自作曲と共に、後にジュネーブやバーゼルで上演された同作に指揮者としても関わった。

バーゼル市立劇場『ディドとエネアス』より|© Ingo Höhn

 その他、モンテヴェルディやリュリ、ラモーなど多くのバロックオペラでアシスタント指揮者を務めている。バロック以外でもモーツァルト作曲『ドン・ジョヴァンニ』では、80ヶ所を回ったツアーで副指揮者を務め、本番の指揮を担うこともあった。そのような経験が今回の仕事にもつながっている。

◆音楽家への道
 酒井淳氏は長男として名古屋で生まれ、子供の頃にヴァイオリンにひかれて、ピアノを教えていた母と共に鈴木メソード教室の戸を叩いた。しかし生徒数が多過ぎたため、チェロのクラスを勧められ、5歳からチェロを始めた。

 その後、父親のアメリカ転勤に伴い、10歳の時にシアトルへ渡る。15歳の時に帰国する家族と離れ、単身アメリカに残り、ロサンジェルス芸術ハイスクールでチェロの傍ら、ジャズ・トロンボーンも学んだ。作曲も勧められたが、その実現までにはまだ数年を要するのである。

12歳頃の酒井淳(ヨーヨー・マと)|本人提供

 高校卒業後の進路として、ジュリアード・スクールとボストンの名門2校に合格したが、日本帰国中に「京都フランス音楽アカデミー」で出会ったフィリップ・ミュラー氏に師事することを選び、18歳で渡仏したのである。

 前述のパリ国立高等音楽院でバロック楽器と出会った酒井氏は、バロック界で高名なクリストフ・ルセに見いだされ、彼のアンサンブルである「レ・タラン・リリク」に抜擢される。それ以来、ルセとの共演や録音も多数実現している。その他バロック界の重鎮、ウィリアム・クリスティが、自身のアンサンブルである「レ・ザール・フロリサン」に引き抜くなど、フランス古楽界の最前線に居続けているのだ。

◆音楽と人生をめぐる問い
 このルクレール作曲『シラとグロキュス』について、そして根本的な質問もインタビュー時に投げ、彼の人生哲学を探ってみた。

Q.ルクレール唯一のオペラ上演について

 ルクレールはヴァイオリニストとして、フランスからイタリアへ渡り、成功を収めました。ですので彼のヴァイオリンソナタは秀逸で、器楽的書法も美しいです。このオペラ(1746年初演)はずっと忘れられていましたが、1986年にジョン・エリオット・ガーディナーがリオン歌劇場で歴史的蘇演を行い、録音もなされた時はショックを受けました。

 台本的に強くないなど、弱点のあるオペラですが、ヴァイオリンの書法が美しいので、チューリッヒ歌劇場から自分のアンサンブル、ル・コンセール・ダストレと共に出演オファーを得たエマニュエル・アイムが、オーケストラを目立たせられるこのオペラを選んだのです。

Q.三大陸で生活した結果、自分のアイデンティティを感じる国は

 アメリカにいた頃は自分をアメリカ人と思っていました。フランスに来て32年になるので一番長く住んでいる国なのですが、フランスと日本は似ているようでも実は対照的だと感じています。フランス人にはなれない。そしてここに来て、初めて自分の中に日本人的なところが根強く存在しているということに気付きました。

 日本の伝統音楽にもこちらで目覚め、7、8年前に、三島作品など現代能を扱うグループを作り、自分で曲を作るなどして年に3、4回、1週間のワークショップを行っています。能の魅力は、現世とあの世の境界が曖昧なところです。

 結局自分はコスモポリタンだと感じていますが、大陸を渡り歩いたことで自分のルーツが見えたのです。

Q.ジャンルを超えた音楽はどこへ行くのか

 アンサンブルHIC et NUNCも設立し、現在オペラの作曲を委嘱しています。古楽器を使った曲を、現代作曲家に書いてもらいたいのです。現在、世界は「自分の国ファースト」の方向へ向かっていますが、音楽はまさしくその逆を行ける活動なのです。国境も伝統文化も人種の壁も越えられるでしょう。

 そう、人種差別を音楽で解決できないか、と模索もしています。また、弦楽器の構造からも革命できるのではないかと思っています。例えば伝統楽器を電子化するなど、次世代の楽器を提案してみたいです。

Q.それぞれ違う分野で活動する際の「異なる自分」を言語化すると

 「バロック奏者」=これはスピリチュアルな世界で、特にフランス・バロックは気持ちが大切に作られています。まるで鏡のように自分の奥底にあるものを映し出すのです。バロック音楽家として活動する意義は、人間としての精神性を高められることです。大した人間ではなくても、少しは神に近付けるような……。そのツールとしてヴィオラ・ダ・ガンバは素晴らしく、バッハの音楽はその最たるものです。これらの楽器を弾くということは対話をするような行為で、その音色は人間の声に近いのです。

 「ジャズミュージシャン」=今、現在、生きている、といった感覚で弾けます。そして、過去と未来をつなぐ架け橋になれるのが醍醐味です。

2021年11月、ケルンにて ジャズの仲間たちとのライブ|本人提供

 「指揮者」=他の人が与えてくれた曲の、作られた意図を想像する行為です。そしてプリズムのように、自分を通して、自分も吸収されながら、かつ自分の意思も伝えられます。特に現代曲は、歴史的演奏形式などの固定観念がないので、自分を反映できます。世界初演には自分のパーソナリティを加えることもできるのです。

 「作曲家」=自分はどういう人間かという根っこの部分に気付ける作業です。僕の場合はやはり、日本色が出ますし、曽祖母が弾いていた琴や、祖父の形見の尺八などを使いたいです。そして、どこにでも霊がいると感じられるような能の哲学も大切にしています。その延長で、ハード・メタルには魂の浄化作用があるのをご存知ですか?

能のワークショップで松の所作を研究する酒井淳|本人提供

Q.音楽の存在意義は

 言葉では表せないことも音楽で表現できます。先入観を手放させ、言葉を染み込ませることができるのです。聴衆が何でもいいので、何かを感じ取ってくれたら、そこで音楽家のミッションは終わりです。

◆取材後記
 酒井氏のチェロ・ヴィオールを聴くと、心の底から切なくなるのはなぜだろう。心を鷲づかみにされるのだが、彼の人間性も似たような魅力がある。酒井氏の言う通り、鏡として彼の心の奥底を写し出しているのかもしれない。今年6月のサントリーホール チェンバーミュージック・ガーデンで、そんな感覚を実際に体験してみたい。

 取材を終えて、酒井氏がフランスへ発った後に残ったのは、彼の真摯な情熱と温かな包容力のぬくもりだった。ちょうど、心を震わせた音楽の残響がいつまでも心の中で響いているように……。

インタビュー時

在外ジャーナリスト協会会員 中東生取材
※本記事は在外ジャーナリスト協会の協力により作成しています。

Text by 中 東生