ウィーン国立歌劇場来日 見逃せないジョルダン集大成『ばらの騎士』
ウィーン国立歌劇場|posztos / Shutterstock.com
世界五大歌劇場の一つ、ウィーン国立歌劇場が来日している。コロナ禍で延期となり、スケジュールの再調整を経てようやく実現した今回の来日公演は、音楽監督を退任したフィリップ・ジョルダンが同歌劇場を指揮する最後の機会でもある。偶然の幸運を日本で味わえるこの公演は、見逃せない。
◆指揮界のサラブレッド、フィリップ・ジョルダン
ウィーン国立歌劇場は来日後、まず10月5日からモーツァルト作曲『フィガロの結婚』を12日まで上演している。バリー・コスキーの新演出版を2023年3月11日から現地で指揮したのが当時の音楽監督ジョルダンだ。ジョルダンも多大な信頼を寄せるコスキーの演出が際立つスマートで機知に富んだモーツァルトで、ジョルダンの手腕が光った。
1974年にチューリッヒで生まれたジョルダンは、大指揮者のアルミン・ジョルダンとバレリーナの母のもとに長男として育つ。父アルミンは1985年にスイス・ロマンド管弦楽団の首席指揮者に就き、低迷していた楽団を再び世界水準へと引き上げた名匠としても名高い。フィリップも早くから自分の天職は指揮者だと悟ったというが、「まずは自分の楽器を極めよ」という父の言葉に従いピアノを修めた。ギムナジウム在学中に音楽院入学の機会を得ると、休学制度のなかった学校が「1年で芽が出なければ戻ってよい」と特別に猶予を与え、16歳で音楽院へ進んだ。
同じ職業の有名人を親に持つと「親の七光り」という偏見と比較はつきものだ。ジョルダンはあえて父の知名度が高いスイスやフランスを早くに離れ、19歳でドイツ・ウルム州立劇場の第一カペルマイスターに就任。その後もグラーツやベルリンなどドイツ語圏で独自の道を切り開き、父の没後、2009年にパリ国立オペラの音楽監督、2014年にウィーン交響楽団首席指揮者、そして2020年にウィーン国立歌劇場音楽監督に就任した。

ウィーン国立歌劇場|Resul Muslu / Shutterstock.com
このポストは2002年から2010年まで小澤征爾も務めている。前任のクラウディオ・アッバードの辞任以降10年間空席だった歴史があり、遡ればグスタフ・マーラーやヘルベルト・フォン・カラヤンも辞任に至っている。小澤の後任フランツ・ウェルザー・メストも契約を4年残して突然辞任し、6年の空白を経てジョルダンが就いた。
◆フィリップ・ジョルダンが見たウィーン国立歌劇場
6年ぶりに就任した音楽監督として得られた手応えを、ジョルダンに尋ねた。
「ウィーン国立歌劇場のオーケストラは、世界最高峰のウィーン・フィルです。音楽監督がいなくても最高水準の演奏は保証されます。しかし、演奏の方向性を選び、楽団全体で共有することが、完成度をさらに高めるのです。私が音楽監督になってから、たとえばモーツァルトをどう演奏するかの方針を決めました。唯一の解ではありませんが、共通認識として確認することで表現はより効果的になります。小さなジェスチャーだけで即座に鋭い効果が得られるようになったのは音楽監督を置くメリットだと言えます」

フィリップ・ジョルダン氏
まさしく、そんな『フィガロの結婚』がウィーン国立歌劇場のレパートリーに生まれたのだった。今回のベルトラン・ド・ビリーの指揮の批評として、歌手の歌声と一体化したオーケストラが高い評価を得ていたが、その土台は2023年の初演時から築かれていた。
それでもジョルダンも先人達と同じく歌劇場のシステムの中で苦悶した末、契約更新を見送った。総裁と音楽監督のどちらが芸術的レベルを保持する責任を負うのか、どちらに最終決定権があるのか。そのシステムの中で、代々の音楽監督も苦しんでは辞めていったのだろう。
それでも、この5年で積み重ねたオーケストラとの絆には熱いものがあり、ジョルダンは笑顔で感謝を口にする。ツアーは団員との絆を深める機会も多く、日本でまたともに時間を過ごせるのを楽しみにしているようだ。

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◆父との思い出を受け継ぐ『ばらの騎士』
今回の来日でジョルダンが振るのは『ばらの騎士』のみだが、このオペラは彼の血肉となった大切なレパートリーだという。
「18歳のころ、パリのシャトレ劇場でこのオペラを指揮する父アルミンのアシスタントを務めたからです。尊敬する父のそばでじっくり学んだ、実り多い思い出の演目です」
招聘元のNBS日本舞台芸術振興会のHPでも、彼が10代からこの作品に向き合い、20代半ばでベルリンで初めて指揮したこと、そして『ばらの騎士』には音楽面だけでなく、幅広い視野と経験が必要だという言葉が紹介されている。徹底した勉強を重ね、彼は独自の『ばらの騎士』を紡いできた。
パリ国立オペラの音楽監督就任後も同作を指揮している。ウィーン国立歌劇場でも音楽監督としてすべての公演を指揮してきた。この点に関して同HPには以下のように記されている。
「コロナ禍によるロックダウン中、ウィーン国立歌劇場は無観客でライブストリーミング行いました。音楽監督就任から3カ月後の2020年12月、ジョルダンが振ったのは『ばらの騎士』でした。スコアを読むだけでなく、演奏の歴史や伝統を踏まえたうえで新しい答えを見つけるために、つねに問い続けなければならないのだというジョルダン。今回の日本公演では、ジョルダンのR.シュトラウスと『ばらの騎士』に対する敬愛の念と、彼がこれまで探求し続けてきた一つの成果が披露されるに違いありません」
そんな演目に対する情熱に加え、今回の来日には特別な思いも寄せる。
「日本については、父に聞かされてとても興味を持っていました。それでも今までゆっくり訪れる機会がなく、前回の来日はウィーン交響楽団とのツアーで、急ぎ足でしたし、もう10年も前のことです。今回の来日は2021年に予定されていたものですが、コロナ禍で延期され、当歌劇場音楽監督を退任した後に来日ツアーだけが残っているという状態になりました。彼らとの最後の共演を大好きな日本で全うできるのが本当に嬉しいですし、今回はもう少しゆっくり、日本を知りたいと思います。日本の聴衆は、並外れた集中力と勤勉さを持っているので、演奏者にとって理想的な環境なのです。今後は10年待たずに、また来日したいと願っています」
フィリップ・ジョルダンのこの想いを、日本でぜひ受け取ってほしい。

ウィーン国立歌劇場|posztos / Shutterstock.com
在外ジャーナリスト協会会員 中東生取材
※本記事は在外ジャーナリスト協会の協力により作成しています。




