観光インフルエンサーになった「ヴィーナス」…伊政府キャンペーンが大不評の訳

Gregorio Borgia / AP Photo

 これなら絶対に観光客を呼び込めると、イタリア観光局は思った。15世紀の芸術を象徴する作品を、21世紀の「バーチャル・インフルエンサー」として蘇らせるというのだ。

 サンドロ・ボッティチェリがルネッサンス期に残した名作「ヴィーナスの誕生」をもとに、愛の女神とされるヴィーナスがデジタル化され、ピザをつまみながらインスタグラム用に自撮りをしている姿が公開された。オリジナル版とは違い、こちらのヴィーナスはしっかり服を着こんでいる。このインフルエンサー風ヴィーナスは、30歳か「それよりはもう少し年上」だという。

 新しく打ち出されたこの広告キャンペーンだが、評論家らにはイタリアの文化遺産を台無しにする「新たなバービー人形」と揶揄(やゆ)されるなど、大きな反感を買ってしまった。

 美術史家で、芸術および文化遺産のキャンペーンを行うミ・リコノッシの活動家でもあるリヴィア・ガロメルシーニ氏は先月、問題のプロジェクトについて意見を発表し、今回の観光キャンペーンは「ボッティチェリのヴィーナスをまた別のステレオタイプな美女に改変するという最も品のないやり方で、私たちの遺産の格を下げています」と批判した。

 1年間にわたるキャンペーンは、国の観光当局であるイタリア政府観光局(ENIT)と、広告企業グループのアルマンド・テスタがプロデュース。ENITのCEOを務めるイヴァナ・ジェリニック氏によると、推定900万ユーロ(約13億円)が投入される。

 ジェリニック氏は同キャンペーンについて、若い観光客を呼び込むことを目的とし、他国の市場に向け計画したものとしている。オンライン版のヴィーナスは、イタリアでは4月20日に発表された。ドバイのアラビアン・トラベル・マーケットでは国際デビューも果たしている。

 ジェリニック氏はAP通信の取材に対し「時代を超えた芸術作品になるだろうと、そのアイデアを気に入りました」と述べ、ボッティチェリのヴィーナスは「イタリアといったらコレと言える不朽のアイコンのように思えました」と続けた。

 新たなヴィーナスは、すでにオンライン上で情け容赦なくミーム化され、ゴミ箱の間から現れたり、マフィアのボスであるマッテオ・メッシーナ・デナーロ氏と並べられたり、他にも神聖とは程遠い場面に合成されている。

 批判の的となっているのは、名作を使用しているという点だけではない。キャンペーンの指揮系統にも非難が及んでいる。たとえばストック写真が利用されているほか、スロヴェニアのワイナリーをイタリアのものの代用として撮影したプロモーション動画を制作するといったやらかしが散見される。

 さらにひどいやらかしとして多くの非難を呼んでいるのが、「Open to Meraviglia(不思議を求めて)」というキャンペーンのスローガンだ。イタリア政府は自国の言語を文化の支柱として保護する意向を示しているにもかかわらず、イタリアの観光キャンペーンに英語を混ぜ込んだのである。

 言語にまつわるやらかしはほかにもある。

 パヴィア大学のマッテオ・フローラ教授によると、キャンペーンのウェブサイトでは、イタリア南部の港町であるブリンディジが自動翻訳の結果、「トースト」と英語辞書の定義のまま訳された。

 フローラ氏は「クリエイティビティをどうこう言うのはやめておきましょう。キャンペーンを好きな人も嫌いな人もいるでしょうし。しかし技術面では……問題が雪崩を起こしている状況です」と話す。

 たとえば、ドメインを確保していなかった点。これにより誰でも素材を入手できてしまうため、それを使ってキャンペーンを模造することも可能になってしまった。

 キャンペーンのクリエイティブチームは、バーチャル版ヴィーナスを作りあげるのに人工知能ではなく「人間のクリエイティビティという知能」を採用している。フローラ氏は問題のキャンペーンについて、無駄な資金を使っているとも指摘した上で、AIを使えば20ユーロの費用であっという間に同様のキャンペーンが用意できてしまうことを示した。同氏がソーシャルメディアにアップした投稿は、数千人にシェアされている。

 このキャンペーンはうわべだけボッティチェリの名作に似せたキャラクターを採用したことで、「15世紀に描かれたオリジナル版の美と神秘性を大きく損ねた」と美術史家からも厳しい批判を受けている。

 ローマ・ラ・サピエンツァ大学で美術史の教鞭を執るマッシモ・モレッティ氏は「これではボッティチェリもきっと喜ばないでしょう」と話す。

 マーケティングの専門家は、どのような場合も「ヴィーナスの誕生」のようなアイコニックな画像を使うときには、文化的なところで人の気に障るリスクは覚悟しなければならないと指摘する。

 ペース大学ルービン・ビジネス・スクールでマーケティングを教えるラリー・チャグリス氏は「歴史的なものに手を加えようとすればするほど非難の声は大きくなるでしょう。『文化を変えるつもりか。それは我々の歴史の一部なのだから、つまり我々が我々であることを変えようとしているのではないか』という声が上がるようになるのです」と説明している。

 ローマに住む高校生のリカルド・ロドリゴ氏は「ボッティチェリのヴィーナスは芸術品なので、そのような使い方をするのは好きではありません。Z世代を楽しませるためにソーシャルフレンドリーなものにしたのでしょうけど……手を加えることなくそのままの状態でも使用できるのですから、必要なかったと思います」と話す。

 「ヴィーナスの誕生」を所蔵するウフィツィ美術館は、キャンペーンに関するコメントは出していない。

 しかしキャンペーンの制作側としては、どのような報道も喜ばしい報道だ。

 ENITのジェリニック氏は「とてもバイラルになりました。ウェブユーザーに息吹を与えてもらっているのです。ソーシャル・コミュニケーションの観点から、それは興味深いことだと思います。私たちのキャンペーンは、批評家らが認めたくないほど魅力的なのです」と語る。

 観光局によると、広告掲示板のほか、空港や鉄道のディスプレイを使ってキャンペーンを拡大する見込みだ。

By TRISHA THOMAS and WYATTE GRANTHAM-PHILIPS Associated Press
Translated by t.sato via Conyac

Text by AP