映画レビュー『キャンディマン』 フックの効いた必見モダンホラー
「鏡に向かって『キャンディマン』の名を5回唱えると、右手が鋭利なフックの殺人鬼が現れる……」という都市伝説をご存じだろうか。ニア・ダコスタ監督の映画『キャンディマン』を見たら、二度と鏡の前でその名を口にできなくなるだろう。甘いものも避けるようになるかもしれない。もちろん、ハロウィンなどやめてしまえ、と思うはずだ。
鬼才ジョーダン・ピール製作・共同脚本の『キャンディマン』は知性と政治問題、そしてグロテスクな要素をふんだんに盛り込み、一流の社会派ホラー作品と呼ぶにふさわしい作品に仕上がっている。また、これまでインディーズ作品1本(好評を博した犯罪映画『リトルウッズ』)しか監督作品がなかったニア・ダコスタ監督にとっても大きな飛躍となった。
『キャンディマン』はシカゴの高級住宅街や高慢なアートの世界を舞台にした、一風変わったホラー映画だ。共同脚本家のダコスタ氏とピール氏、そしてウィン・ローゼンフェルド氏はこの映画で都市の富裕化現象や警察の残虐性、真正性、神話、そして黒人のアイデンティティに注目している。
主演のヤーヤ・アブドゥル=マティーン2世が演じるアンソニーは、「明日のシカゴのアートシーンを担う、黒人の大きな希望」という謳い文句に応えようと奮闘するビジュアルアーティストだ。恋人でギャラリーオーナーのブリアンナ(テヨナ・パリス)とともに高級メゾネットでモスカートを飲む、といった裕福な生活を送っていた。
もっと気骨のある作品を作りたいと思っていたアンソニーは創作活動の一環として、シカゴに現存した公営住宅カブリーニ・グリーン地区で不良少年たちに恐れられているというキャンディマンの謎を追うことにした。
都市伝説によるとキャンディマンの正体は黒人の画家だという。彼は客の白人女性と恋に落ちたが、彼女の父親は黒人差別主義者だったためフーリガンを雇って彼の右手を切り落とした挙句、その体にはちみつを塗りたくって蜂に襲わせ、最終的に彼を焼き殺してしまった。
アンソニーはこの話を、カブリーニ・グリーン地区にあるコインランドリーの店主(コールマン・ドミンゴ)から伝え聞く。本作品ではキャンディマンを「復讐に燃えて子供を抑圧する悪魔」としてではなく、被害者として描いている。実はキャンディマンとは罪のない生け贄であり、白人による迫害を写し出すための手段なのだ。
『キャンディマン』が初めて映画化されたのは1992年のこと。当時はバーナード・ローズが脚本・監督を務めており、ジョーダン・ピールは今回の作品をオリジナル作品の「精神的続編」と表現している。1992年版に主演したヴァージニア・マドセンとトニー・トッドが本作にも出演しているほか、アンヌ・マリー・マッコイ役を演じたヴァネッサ・A・ウィリアムズも同名の役柄(アンソニーの母親)として続投しているのもファンに嬉しいポイントだ。
本作では過去のストーリーを語る際に影絵を使って見事に表現しているが、ここでは「蜂」と「鏡」のモチーフが繰り返し登場する。そしてストーリーが展開するにつれて、場面が荒廃していく。上品な照明が照らす風通しの良いキッチンと輝くような御影石のカウンターからはじまり、徐々に薄汚れた泥だらけの廃墟や落書きだらけの光景へと移っていくのだ。
また、実際のスクリーンには断片的にしか描写されない「見えない恐ろしさ」が見事に表現されるシーンも数多い。夜、設備の整ったアパートに暮らす女性がキャンディマンと格闘している場面でカメラが徐々に遠ざかっていくシーンや、女子トイレでのシーンは秀逸。
ダコスタ監督の手にかかると、明るくてモダンで清潔な廊下を歩くシーンでも、どこかに不気味さが漂う。なんとも自信に溢れた、スマートな映画作りだ。キャンディマンが獲物の動きを写し出すシーンや、エレベーターの天井から血が滴るシーンも圧巻だ。
アンソニーは「これほどクリアになったのははじめてだ」と恋人に語るほど、キャンディマンを作品製作のエネルギーにするべく情熱を燃やようになり、やがて狂気に走る。そして秘密と運命を解き明かしながら自らの過去へと向かっていく。
本作は映画としての未熟さやあいまいな部分は散見するものの、得体のしれないアドレナリンを刺激する作品なので、ぜひ多くの人に見てほしい。
ユニバーサル・ピクチャーズ製作の『キャンディマン』はPG-12指定で、上映時間は91分。2021年10月15日(金)公開。
By MARK KENNEDY AP Entertainment Writer
Translated by isshi via Conyac