映画『キャプテン・マーベル』レビュー MCU初の女性主人公の魅力は?
マーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)の映画の大半に言えることが一つあるとすれば、それは、活力にあふれていることだ。コミックに興味がない人々さえも夢中にさせ、超大作の世界に引き込むその楽しさの鍵を握るのは、たいてい登場人物だ。
2時間以上キャプテン・マーベルことキャロル・ダンバースを見たのに、彼女の人物像がなかなかつかめない。もちろん、本作の見どころはそれだけではないのだが、この10年間にマーベルの錚々たるクリエイターが20本の映画を世に送り出したことを考えると、アンナ・ボーデンとライアン・フレックのコンビが脚本と監督を手がけた『キャプテン・マーベル』は、実にひどい失敗作だ。ブリー・ラーソンの演技がまずいのか、はたまた脚本がまずいのかわからない。次回作『アベンジャーズ/エンドゲーム』につながるであろう、目も眩むほどのパワー以外の魅力を彼女に感じないまま、この映画を見終えた。この手の映画の楽しみ方としては、おそらく最悪だ。
何の脈絡もなく、キャロル・ダンバースは都合よく記憶を失くしている。クリー星で戦士となる訓練をジュード・ロウから受けている最中にフラッシュバックしたアネット・ベニングの夢を見て、過去の断片をつなぎ合わせようとする彼女は、上映開始から10分で10回は感情的になるなと(主にロウから)言われる。彼女は、衝動的でガンコ以外の何物でもない。彼女の判断に感情や愛情は一切影響しなさそうだし、ときどき、ターミネーターが憑依しているのではと思えるほどだ。
それにしても、ラーソンに「操られるのはもうごめんだ」なんて呆れたセリフを真顔で言わせる脚本はいかがなものか。彼女は素晴らしい女優だが、無茶ぶりもいいところだ。
この映画は、観るものを混乱させるように作られている。それも最初から。彼女が混乱しているのだから、観ている方も混乱して当然だろう。しかし、彼女がロサンゼルスのブロックバスタービデオのど真ん中に墜落して、事態はいい方向に進み始める。『ベイブ』の特大ポスターや『トゥルーライズ』のシュワちゃん等身大パネルがあるので、1995年ごろであることがわかる。コンピューターから音楽に至るまで、製作陣は90年代中期のポップカルチャーの再現を楽しんでいるが(90年代の怒ったようなガールポップアンセムが好きならラッキーだ)、シーンの途中なのに変わってしまうラーソンの髪のカールにも気を配ってほしかった。
ロサンゼルスで、彼女は若かりし頃のニック・フューリー(CGで作り物とは思えないほど自然に若返ったサミュエル・L・ジャクソン)と出会う。二人はともに、ベン・メンデルソーン率いる地球侵略を目論む変幻自在の異星人スクラルを追う。さらに、彼女の現在の姿よりはるかにおもしろそうな、彼女の過去に関する答えをつかむ。しかし、これはアベンジャーズ誕生のきっかけとなる物語で、ベニングがラーソンに戦闘機の操縦方法を教えるエピソードはない。
ストーリーは二転三転し、ネタバレは避けるが、驚くべき秘密を持つキュートな茶トラのネコが登場する。全体としては上出来だが、盛り上がりに欠ける。この映画は、もっとおもしろくなるべきだった。ブリー・ラーソン、ジュード・ロウ、アネット・ベニング、サミュエル・L・ジャクソン、ベン・メンデルソーン、ジェンマ・チャン(見掛け倒しの脇役にぴったりのジェンマ・チャン)というキャストと才能ある素晴らしい監督が集結した、マーベル印の大作映画なのだから。マーベル映画を観ている途中で他の映画を観ている気がするなんてことはめったにないが、『キャプテン・マーベル』は、観るものをそんな気分にさせる映画だ。
MCU初の女性主演作は、物足りなさが残った。
ウォルト・ディズニー・スタジオ・モーション・ピクチャーズ配給の『キャプテン・マーベル』は、PG-13指定。上映時間は2時間4分。3月15日(金)より公開。
By LINDSEY BAHR, AP Film Writer
Translated by Naoko Nozawa