「シン・シティ」に生きるエルヴィス・プレスリーたち

John Locher / AP Photo

【ラスベガス・AP通信】 エルヴィス・プレスリーは40年前に亡くなったが、ラスベガスでは今も彼の遺産が生き続けている。

 カジノの会場や結婚式の礼拝堂、ストリートステージで、エルヴィスに扮装する人がラスベガスのキッチュ(通俗)として残っている。彼らは派手なジャンプスーツ、サングラス、サイドバーン(もみあげ・ほおひげがつながった、顔の毛のスタイル)のかつらで着飾っている。

 最近開催されたエルヴィスコンベンションでは、パフォーマーたちが日本やオーストラリアからはるばるやって来て、賞金1万5千ドル(約165万円)を捧げたトリビュートアーティストコンクールで競い合った。

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タイラー・ジェイムス氏  John Locher / AP Photo

 エルヴィスパフォーマーのタイラー・ジェイムス氏は、5歳の時に初めてグレイスランドに行き、すぐに夢中になったことを思い返している。

 「僕はママに、ラスベガスでエルヴィスパフォーマーとしてのショーをやりたいと言ったんだ」と彼は言った。

 ジェイムス氏は今やラスベガスのダウンタウンの野外ステージで週2回レギュラーショーを行っている。

 エルヴィスは毎年、この地で何百回もショーを上演した。ラスベガスは他のどの都市よりも大入り満員だった。「シン・シティ」(罪の街:ラスベガスの別名)と「ザ・キング」(エルヴィスの別名)は非常に深く絡み合っているため、全国のファンが彼の突然の死の後もなおも巡礼を続けた。 彼らはラスベガスにやって来て、エルヴィスの多くのトリビュートショーや、パフォーマーや彼の全盛期からのノスタルジックな思い出に浸っている。

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お互いのメイク直しをするエルビスパフォーマー  John Locher / AP Photo

 エルヴィス・プレスリーはミシシッピ州テュペロの貧しい家庭に生まれたが、1950年代から1960年代にかけて、国際的な音楽と映画のスターになった。1977年8月16日、彼はテネシー州のグレイスランド邸で42年の生涯を終えた。 それまでに彼のキャリアには活気がなくなり、肥満や薬物乱用に苦しんだ。

 しかし、シン・シティにとって、彼はつねに「ビバ・ラスベガス」の賛歌を贈ったハンサムなヒップ・スイング・リップ・カーリング・クルーナー(ゆっくりしたテンポのバラードなどを、クルーニング唱法でささやくように優しく歌う歌手)なのだ。

 現代のエンターテインメントの首都では、プレスリーの影響力は近年衰えている。 しかし、彼はラスベガスの歴史のなかで、ライフポップカルチャーのアイコン以上の存在として残っている。

 今日に至るまで、「Elvis impersonator(エルヴィスの扮装者)」という言葉はラスベガスと同義語で、パフォーマーが嫌う言葉である。 彼らは むしろ「エルヴィスのトリビュートアーティスト」と呼ばれたいと思っている。

By SALLY HO and JOHN LOCHER
Translated by yoppo

Text by AP