「ケモフォビア (化学物質恐怖症)」という間違った概念に潜む危険 私たちはどう対処すべき?

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著:James Kennedy(VCE Chemistry Teacher, Haileybury)

 私たち人間は自然界と密接に関わり合って生きている。誰もが抱くこの感覚を、E.O.ウィルソン氏は「人間以外の生命との繋がりを求める本能」であるとし、バイオフィリアと名付けた。このような繋がりの感覚を持つことで、精神的に大きな満足感を得ることができ、怒り、不安、苦痛が和らぐ。私たちは私たちを取り巻く環境と生態系に依存して生きている。私たち人間が生きていく上で、自然界との繋がりが重要であることは疑いようもない。しかし最近になってこのバイオフィリアが極端化し、別の概念が生まれた。それがケモフォビア (化学物質恐怖症) だ。ケモフォビアは、現在様々な場面で使用されている化学合成物質に対する反射的な拒絶反応である。

 ケモフォビアが生まれるきっかけとなったのが、現代の環境保護運動である。その中でもレイチェル・カーソン氏が発表した『沈黙の春』(1962年) の影響は大きい。『沈黙の春』では化学物質について、「まだ広く知られていないが、放射線と同じように邪悪で…生命体の内部に入り込み、次から次へと伝播し、その毒により死の連鎖を招く」とまるで悪魔のように書かれている。カーソン氏の言葉は大きな反響を呼び、無鉛ガソリンの開発や、アメリカ大気浄化法の制定、ジクロロジフェニルトリクロロエタン (DDT) の禁止を始めとする重要な環境保護対策の推進に貢献した。このような化学物質反対運動により私たちを取り巻く環境は大きく改善された。しかし運動が極端化した結果、今ではすべての合成化合物質が汚染されたものであると考える人も少なくない。この間違った思い込みが世に広がったせいで、「天然」や、さらには「ケミカルフリー」などを売りにする商品の需要が高まることとなったのである。

 実際に「天然」のものを化学的に見てみると、私たちが研究室で作ることができるどんなものよりもその成分は複雑である場合が多い。それを実証するために、どこにでもあるバナナの成分を分析してみた。(何千種もの成分が含まれているので、DNAなど含有量の少ない成分は省略した。) その結果は以下の通りだ。

バナナの成分:水 (75%)、糖分 (12%) (グルコース (48%)、フルクトース (40%)、スクロース (2%)、マルトース (<1%))、デンプン (5%)、繊維素E460 (3%)、アミノ酸 (<1%) (グルタミン酸 (19%)、アスパラギン酸 (16%)、ヒスチジン (11%)、ロイシン (7%)、リジン (5%)、フェニルアラニン (4%)、アルギニン (4%)、バリン (4%)、アラニン (4%)、セリン (4%)、グリシン (3%)、トレオニン (3%)、イソロイシン (3%)、プロリン (3%)、トリプトファン (1%)、シスチン (1%)、チロシン (1%)、メチオニン (1%))、脂肪酸 (1%) (パルミチン酸 (30%)、オメガ6脂肪酸:リノール酸 (14%)、オメガ3脂肪酸:リノレン酸 (8%)、オレイン酸 (7%)、パルミトレイン酸 (3%)、ステアリン酸 (2%)、ラウリン酸 (1%)、ミリスチン酸 (1%)、カプリン酸 (<1%))、灰分 (<1%)、植物ステロール、E515、シュウ酸、E300、E306 (トコフェロール)、フィロキノン、チアミン、色素 (イエロー・オレンジ系 E101 (リボフラビン)、イエロー・ブラウン系E160a (カロテン))、香料 (3-メチルブタン-1-ylエタノール、2-メチルブタンエタノール、2-メチルプロパン-1-オール、3-メチルブタン-1-オール、2-ヒドロキシ-3-メチル酪酸エチル、3-メチルブタナール、ヘキサン酸エチル、酪酸エチル、酢酸ペンチル)、1510、天然成熟剤 (エテンガス)

 分析の結果、バナナにどのような成分が含まれているのか知ることができたが、それよりもさらに重要な問題が見えてくる。含有物を詳しく見てもバナナのような天然物と、人工的に合成した化学物質の違いは不明瞭であるどころか、そもそも違いなど存在しないのである。ある物質が合成されたものだから危険であるとは言えない。反対に天然物だから安全だとも言えないのである。例えばボツリヌス毒素はハチミツの中に生息する微生物が産生する毒素だが、鉛の13億倍も高い毒性を持つ。乳児にハチミツを与えてはいけないと言われているのはこのためだ。さらにリンゴの種は1カップで大人を殺せるだけの天然シアン化合物を含んでいる。天然の化学物質も、摂取量と使用法次第で健康にいい場合もあれば単に無害であることもあるし、毒にもなり得るのだ。それは合成化学物質と全く同じである。化学物質の安全性を評価する時に「天然」かどうかで判断するようなことは決してあってはならない。

 天然化合物と合成化合物に関するこのような誤解が、深刻な事態をもたらす場合もある。ホルムアルデヒドに対する懸念がその例だ。ホルムアルデヒドは果物、野菜、肉、卵、枝葉などで自然に発生する。様々な食品にホルムアルデヒドが含まれており、濃度の高い食品として北京ダック (120ppm)、スモークサーモン (50ppm)、加工肉 (20ppm) などが挙げられる。古くからこれらの食品を加工する過程で燻製が行われているので、ホルムアルデヒドが発生するのはおかしなことではない。人間の体内にも健康な人で約2ppm程度のホルムアルデヒドが存在しており、DNAの生成において重要な役割を担っている。さらに様々な産業分野においても防腐剤としてホルムアルデヒドが使用されている。

 「天然」のホルムアルデヒド発生源はいたるところにあり、私たちはそれを無意識のうちに受け入れている。しかしワクチンや化粧品に微量の「合成」ホルムアルデヒドが使用されているとわかると、どちらのホルムアルデヒドも化学的にはCH2Oで全く同じものであるにも関わらず、消費者から抗議が殺到する。このような抗議を受け、2013年にジョンソン・エンド・ジョンソン社が1,000万ドル超を費やしスキンケア関連商品の改質を行ったという事例がある。問題となった商品のホルムアルデヒド含有量はほんのわずかで、平均的な人であれば1日あたり4,000万回使用しなければ深刻な健康被害は全く起こらない程度であった。それにも関わらず、同社は改質を行わざるを得なかったのである。

 ワクチンに含まれるホルムアルデヒドもごく少量である。その含有量 (100µg) はナシ1個 (12,000µg) の1/80程度しかないにも関わらず、「合成」ホルムアルデヒドが心配だからとワクチンの接種を拒む人もいる。ワクチン中のホルムアルデヒドは非常に少なく、子どもの血液に含まれる (「天然」の!) ホルムアルデヒドと濃度を比べても、その差は測定できないくらいだ。このようにワクチンには害のない程度のホルムアルデヒドしか含まれていないにも関わらず、ワクチンの接種を拒否する人がいるために、防ぐことができたはずの死を招くような事態が多く起こっている。例えばカリフォルニアやドイツ、ウェールズの一部地域における麻疹の流行が記憶に新しい。

 化学物質に対する恐怖の蔓延を食い止めるのは難しい。しかし不可能ではない。科学界ではケモフォビアをホモフォビア (同性愛者嫌悪) やゼノフォビア (外国人嫌悪) と同様の「非臨床的な先入観」と位置付け、医学的な恐怖症とは違い、物事の理解の仕方に基づく嫌悪感であるとしている。ケモフォビアをこのように捉えると、わずかではあるが有望な対処法が見えてくる。

 まずは学校での対策が重要だ。高校、大学の化学教師は、研究室が汚染物質を作っている汚い場所だというイメージを払拭する必要がある。「汚染が怖くて研究室で食事ができないのなら、研究室で作られる食品が安全なはずないですよね?」と言ってくれた生徒がいる。化学の授業を通し、化学的な安全性について真剣に教えることが私たち化学教師の本分であり、義務である。私たちはこの責務を疎かにはできない。それだけでなく教師は安全性を証明してみせることができるのだ。私たちは企業の行っている品質管理と、その精製技術について、生徒に教えるべきだ。そして企業が消費者に安全性の保証された商品を届けるまでには、極めて高度な純度基準をクリアしなければならないことを理解してもらう必要がある。

 消費者に対しても「天然」の商品が必ずしも安全ではないという知識を広めることで、本当に健康的な商品を賢く選択できるようになる。企業側にも広告表現の規制を強化することが重要だ。「天然」や「オーガニック」を売りにしたパーソナルケア商品のほとんどが、「合成」化学物質を使用した商品より高い安全性を実証できていないにも関わらず、2020年にはそのような商品の世界的な市場規模が160億ドルにも達する見込みだ。本来、「ピュア」という言葉は1種類の成分のみにより作られた商品にしか使用できない。商品に「天然」と表記するのであれば、自然に発生したままの状態で販売しなければならない。そのため化粧品を始めとする様々な商品の広告表現として「天然」という言葉を使用するのは禁止するべきだ。そしてさらに「ケミカルフリー」という論理的にあり得ない言葉を商品ラベルに掲載するのは止めるべきである。

 ケモフォビアは今や世間に深く根付いた概念となっている。私たちは強制的にリスクにさらされると、合理性を無視してでもその程度を過大評価しがちな生き物だ。アメリカ人が心臓病で死亡するリスクは、テロに巻き込まれて死亡するリスクの35,000倍とされる。しかしテロは私たちが最大の恐怖とするもののひとつとなっている。化学物質によるリスクをより冷静に、もっと健康的に評価できるようになるためには、化学と毒学についての理解を深める他ない。そして私たち人間は、私たちを取り巻くすべてのものと化学的に繋がっているという意識を多くの人が持つようになれば、ケモフォビアを本来のバイオフィリアに戻すことができるだろう。

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Translated by t.sato via Conyac

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