スイス、日本の駅弁に長蛇の列 「バズった」背景と今後の課題
2月6日から27日まで、スイスのチューリッヒ中央駅地下に駅弁屋が現れた。その一角では一瞬東京駅にいるかのような錯覚を呼ぶとともに、スイスでは滅多に見られない長蛇の列も出現した。駅弁屋登場のいきさつや、現地の反応、今後の課題などをレポートしたい。
◆スイスには駅弁が必要
スイスの電車は接続が良く、時刻表通りに運行する。そのため、欧州のほかの国でのように、時間潰しにレストランを探す必要も感じない。また、欧州では食堂車が伝統的だが、小さな国の移動で遅延もないのでゆっくり食事を楽しむ時間もない。そんなスイスに必要なのは外食より満足度の高い駅弁だと目をつけ、結成されたのがEKIBEN WORLD TEAM(以下EWT)。約2年の準備期間を経て、今年2月に3週間のポップアップストア開店に漕ぎ着けた。
EWT会長を務める八木橋秀一氏は株式会社花善の8代目代表取締役だ。2018年にフランス現地法人SAS ParisHanazenを設立し、パリのリヨン駅で駅弁販売を始め成功を収めた。その6年間の経験から、次はスイスを目指したという。1899年創業の花善よりさらに10年長い歴史を誇るまねき食品は、2017年に台湾、2018年にはタイにも進出した経験があり、その竹田典高社長を副会長に、EWTは駅弁の世界展開を目指す。
本販売を翌日に控えた2月5日、スイス国鉄SBBの不動産本部執行役員Leuthold氏、藤山在スイス日本大使、前述のEWT副会長、会長に加え、松浦商店の4代目松浦浩人社長、そしてJR東日本パリ事務所黒田所長らがテープカットのセレモニーを行った。底冷えのする地下街に、現地の見物客も多かったのが印象的だった。
その後、メディア関係者に向けた試食会が行われた。花善の「鶏めし」、まねき食品の「スイス・ビーフ弁当」、松浦商店の天むすのミニサイズが、伊藤園の紙パックのお茶と姫路のキャラクターグッズとともに各席に用意されており、湯沢の木村酒造「バタフライ・エフェクト」で乾杯となった。その他各地のお酒も試飲できる快適な環境で、味見に集中した後、3人の社長や各社が1名ずつ帯同した料理人らと直接話せる効果的な会見だった。
「鶏めし」は炊き込みご飯の味付けはおいしいが、ご飯がポロポロ。鶏肉も巧みな風味だが、やはり少し乾いている。これを八木橋氏に伝えると、本販売中には改善されていた。
「スイス・ビーフ弁当」は玉ねぎが太過ぎ、牛肉の味は濃いが薄味の椎茸やしらたき、微妙な味の卵と混ざると丁度いい塩梅。部位の選定やスライスの薄さにこだわり、「スイスの牛肉で、よく日本の薄切り肉に限りなく近い味を再現した」と感心したが、本販売中は、よくあるスイスの厚切り、脂身抜きの牛肉になってしまっていた。
「天むす」はご飯がもちもちしていて感動的だった。90%の食材をスイスで調達しているそうだが、お米は日本産だと後から聞いて納得した。それでも硬水のスイスで炊くのは難しいという話で、本販売ではご飯の水分が多く感じられた日もあった。海老は大ぶりで豪華さも感じさせるが、現地で調達した海老の大きさが不揃いで苦労を強いられたという。天つゆも美味だが、もう少し多い量をつけて欲しい。この日は料理人3人の宿泊先の台所で調理したということで、翌日の一般向け開店に向け、緊張感が高まっていた。
◆驚きの誤算と嬉しい悲鳴
翌日の一般用オープニングは、朝の9時から開店するが、全種類並ぶのは11時頃になる、と聞いていた。それでも、お弁当が並ぶと即売り切れという日が続き、「10時半頃に行けば買える」が合言葉となった。
各社2種、計6種のお弁当を、各30個ずつ作る計算で、各社の職人が合計3人で調理し、現地の和食レストラン「ICHIZEN」が販売をサポートする体制だが、それではまったく足りないほど初日からブームに。「無名からのスタートで、日を追って、段々ブームに火がつく」状況を想定していたという八木橋EWT会長は驚きの誤算だったと語る。日本大使館のインスタグラムも、駅弁に関しての記事だけは普段の15倍以上のアクセス数を記録し、駅弁ブームとなったことを、八木橋氏は「バズった」と表現する。開店後日本に戻っていたにもかかわらず、遠隔からの指示で、開店後1週間目には初日の30%増産できるよう、オペレーションを改善させる行動力も見せた。
そのオペレーション戦略の一環なのだろうか、まねき食品の「幕の内弁当」の人気が高過ぎて、生産中止となった。こればかりが売れてしまうため、幕の内を生産停止にすることにより、他種の弁当をもっと多く生産できるシステムを選んだのだという。確かにバラエティに富んだ幕の内弁当は満足度が高かったので、買えなくなっていた時には大変残念に感じた。
もう1つのハプニングは、3週目に職人全員が体調不良となり、3日間閉店を余儀なくされたことだ。ちょうど週末にあたり、「Sorry, we are closed today」の貼り紙を写真に撮る若い女性も見かけた。仕込みの関係もあり、月曜の午後から開店したが、即売り切れとなったそうだ。そのような状況の翌日、再びスイスに来た八木橋氏は「2時間もかけて買いに来たのに」などと、長い間愚痴っていくお客様への対応にも追われたという。
初日こそ日本人客が大半を占めていたが、3週間を通して見ると、日本人は3割、後は現地人という割合だったという。そのせいだろうか、味噌カツ重が早く売り切れるようで、最終日も11時前には売り切れていたが、日本人の想像する「カツ」のボリューム感やサクサク感はなく、日本人としてはガッカリした。
実際に接客した声を聞いてみると、「ありがとう」など片言の日本語を使える客も多く、親日家が訪れていたという印象を受けたそうだ。店舗の純日本的な雰囲気も好評を博していたという。そのため、味より先に日本への憧憬から買いに来た客層が多い可能性もある。
個人的にはベジ寿司弁当の太巻きが酢飯でなかったのが一番納得いかなかった。いなり寿司はゆかりが混ぜ込まれており、味付け揚げのお陰もあってお酢の欠乏感は少なかったが……。そのほかはコストパフォーマンスも良く、満足度が高かったが、周りの意見としては「分量が少ない」という声も多く聞かれた。
◆今後の展望
「今回のブームは『バズッた』だけで、実力ではない。味で再び勝負して、手応えが得られれば事業化したい」と自ら厳しい評価を下している八木橋氏は、来年度以降に再挑戦する意気込みを見せる。同じチューリッヒのほかにジュネーブでも展開したい意向だ。
今回の反省点はたくさんあるというが、あえて3点挙げてもらった。1つ目は「職人の居住状況の改善」。実際、職人から一人で住みたいという要望があったことに加え、今回のように同居していると誰かが体調を崩した際に全滅してしまうからだ。2つ目はEWT間での情報交換の密度を高めること。今までは1年に1回程度会っていたが、花善はJR東日本、松浦商店はJR東海、まねき食品はJR西日本と「三社三様」に定められたルールにより調理しており、認識がバラバラだということに気づいたという。3つ目は現地の法律に精通したアドバイザーを探しておくことなどが挙げられた。
問題点1と2は、将来的には解決されるであろう。八木橋氏は、「スイスのポップアップストアは全世界の国々に冷凍弁当を輸出するという共同体の最終目的の、最初の一歩である」と話しているからだ(2024年12月8日付Sumikai)。
さらに、「日本人はスイスの風景が好き。そして今は多くのスイス人が訪日しており、日本の食文化を評価している。駅弁を通してそんな2国間の橋渡しをしたい」と語る同氏の、精度を上げた次なる挑戦はもう始まっているのだ。
在外ジャーナリスト協会会員 中東生取材
※本記事は在外ジャーナリスト協会の協力により作成しています。