「イノベーションのチャンス」パンデミックを機に起業する人々
新型コロナウイルスの大流行を機に、起業を志すアメリカ人が増えているという。
起業の動機はさまざまで、パンデミック中に職を失い「副業」を本業にする人もいれば、優先順位を見直すことで会社を辞める決心をした人、リモートワークの柔軟性や商業家賃の節約に利点を見出した人もいる。
米国国勢調査局によると、2021年に提出された新規事業申請件数は540万件で、過去最高だった2020年の440万件を大幅に上回った。パンデミック前の2019年、新規事業申請件数は350万件だった。申請が出されたからといって必ずしも事業が開始されたわけではないが、新型コロナウイルスが経済に影響を及ぼす一方で起業を志す人がいたことがわかる。国内の労働者不足の一因は、自らビジネスを立ち上げる人の増加だと考える経済学者もいる。
パンデミックにより、多くの既存企業がこれまでにない問題に直面した。保健当局からの指導の変化、顧客との接触の難しさ、サプライチェーンの問題、今後への先行き不安といったものだ。そして新たにビジネスオーナーとなった人々もまた、同様の問題に取り組んでいる。
ミネアポリスに住むダリン・メイズ氏(38)は15年間医療用ソフトウェア会社の幹部として働いてきたが、パンデミックにより手がけていたプロジェクトが終了してしまった。別の仕事を受けることもできたが、同氏は退職することを決意した。
退職金を切り崩して生活していたメイズ氏は、食事会を開く隣人のために屋外暖房(パティオヒーター)を囲むテーブルを製作。同氏は「このテーブルが非常に好評で、Etsyで売ったらどうかと勧められたのです」と話す。それから約1週間後、最初の作品を出品した。
メイズ氏はテーブルのデザインで特許を申請している。また、Etsyストアとして立ち上げた「アーバン ウィング カンパニー(Urban Wing Co.)」では別の木工品も販売しており、2021年には10万ドル単位の売上を計上。今後も事業拡大を検討しているという。
同氏は「パンデミックはひどいものでしたが、同じくらいイノベーションのチャンスでもありました」と述べている。
2008年から2009年にかけ、アメリカでは個人消費の低迷と住宅バブル崩壊の余波で新規事業の立ち上げが縮小した。しかし、この2年間で起業件数は増加し、状況は大きく変わった。
自分で会社を興した場合、政府はそれを「雇用者」としてカウントするため、失業率は下がる。しかし「総給与雇用」には含まれず、より多くのアメリカ人が独立することで毎月の新規雇用数は控えめに評価されている可能性がある。労働省は近々、最新の雇用統計を発表する予定だ。
ケリー・ヴァン・アルスデール氏(32)にとって起業の決め手となったのは、パンデミックをきっかけに転居したこと、そして偶然好立地の店舗の前を通りかかったことだ。
同氏はサンフランシスコでフリーのウェブ開発者として働いていたところ、パンデミックに見舞われた。2020年8月に妻とともに、より広いスペースが確保できること、そして両親のいる実家に近いことを理由にシアトルへの移住を決めた。
サンフランシスコにいたころ、アルスデール氏は兄弟とともにガレージでチョコレートを作り、友人や家族にふるまっていた。昨年4月、ノースシアトルの近所を歩いていたときに、チョコレートを製造するスペースを有する空き店舗を発見。そして半年後の10月にはそこに「スピンネーカー チョコレート(Spinnaker Chocolate)」を設立した。
当初は近所の人に向けて販売していたが、オンラインでより広い客層にアプローチするのは難しかった。同氏は「パンデミックによって多くのビジネスがオンライン化され、広告も以前より高くつくようになりました。すべてにおいてもっとも難しい課題は、当社のブランドの認知度を上げることでした」と語る。
フリーデザイナーのエマ・ゲイジ氏(26)はニューヨークがコロナ禍に見舞われた直後に職を失い、最初は途方に暮れたという。しかしパンデミック時の失業支援と貯金を元手に自分のファッションブランド「メルク(Melke)」を立ち上げることができた。このブランドはジェンダーフルイド(性的流動性が高いこと)が特徴で、天然素材を用いている。
同氏は「ブランド名とロゴはすでに用意しており、ブランドの理念も大体決まっていました。次のステップは、調達と縫製を開始することでした。時間はあったので、やるしかないと決心したのです」と語る。
レーベルは軌道に乗り、2月のニューヨーク・ファッションウィークでショーを開く予定だ。これまでで最大の問題は輸送のトラブルだったという。
ゲイジ氏は「新たにビジネスオーナーになるのは総じて大変なことです。知らないことだらけで毎日が勉強です」と話す。
ニューヨーク市では、新型コロナウイルス感染拡大によってレストラン業界が大きな打撃を受けた。その一方で、これまで食品産業の片隅で苦労してきた人々が新たな機会を手にしている。
エリッサ・ヘラー氏(32)は10年間飲食業に携わり、パンデミック発生時にはヴィーガン(完全菜食主義)用スナックのメーカーで働いていたが、ユダヤ教のコンフォートフードに焦点を当てた独自のコンセプトに挑戦したいと思っていた。
同氏は2020年、最初にブルックリンにある人気ピザレストラン「ポーリー・ジーズ(Paulie Gee’s)」でベーグルを期間限定販売し、成功を収めた。座席制限や店内飲食の禁止が求められたコロナ禍において、こうした期間限定の「ポップアップ」というコンセプトが多くの州で花開いた。
その後、ヘラー氏は2021年3月にサンドイッチカウンターをはじめ、今年1月には本格的なレストラン「エディスズ イータリー & グローセリー(Edith’s Eatery & Grocery)」をオープンさせた。
同氏は「ニューヨークのレストラン業界は常にとても排他的でした。パンデミック以前は空室や手頃な家賃の物件がなく、私のような新参者は雇用可能な人材にアクセスできませんでした」と当時を振り返る。
ヘラー氏にとっていまの最大の課題は客の安全を守り、快適に外食を楽しんでもらうこと、そして刻々と変化するパンデミックのルールに対応すること。これらはすべてのレストランが共通して抱える問題だ。
同氏は「毎日が問題解決の日々で、まさに新しい現実です」と話す。
By MAE ANDERSON AP Business Writer
Translated by isshi via Conyac