顔文字の是非 複雑な電子メールマナー
著:Ken Tann(クイーンズランド大学 Lecturer in Communication Management)
今の時代、グローバル化した労働力の中に電子メールはあらゆるところに存在する。よく練られたメールを作成した送信者は親しみやすく有能に見えるのに対し、構成のまずいメールは説得力に乏しく、受信者は依頼に応じる気をなくしてしまう。
電子メールは依頼をしたり情報を提供したりといった役割と共に、職場の人間関係や長期の取引関係の構築に役立っている。だから、メールのマナーのアドバイスがかなり大きな市場であったとしても、驚くには当たらない。
ネット上で「email etiquette(電子メールマナー)」と入力して検索すると43万3000件ヒットし、電子メールマナーに関する書籍は76冊見つかった(Amazon.com)。ところが、そこから得られる助言はあいまいで説得力に欠け、時には矛盾するものも少なくない。
2003年の調査では、電子メールに記載する内容に関するそのような意見の相違は、時と共に落ち着くことを示唆していた。しかし14年経った現在も、基準を作成し、基準に忠実であるというには依然としてほど遠い状態だ。
◆電子メールに関してマナーの基準がない理由
問題は、電子メールが書かれる目的が非常に多様であることだ。個人メッセージのこともあれば、招待、広告、客の問い合わせからチームの発表までさまざまだ。学術的なメールでは受け入れられることがビジネスメールではそうでないなど、環境・背景も変化する。
また、 社内向けと社外向けの通信、職業や文化により、電子メールの基準も異なる。
電子メール通信の慣習が常に進化していることも救いにはならない。応用できる汎用テンプレートがない場合、どの電子メールの書き方ガイドに頼ればよいのだろうか。
◆コンテキストがすべて
それぞれの電子メールのコンテキストを見れば、書く内容に関する指針が得られる。電子メールの書き出しと締めくくりを例に挙げてみよう。
解説者間の不一致でよくあるのは、適切な挨拶と締めくくりの必要性の是非だ。常に適切な挨拶を入れるべきだというガイドブックがある一方で、職場でよく目にする電子メールには挨拶が全く入っていないものもある。
電子メールの書き出しと締めくくりは送信者と受信者の関係を築くために使われているため、これを第一に考慮すべきものだ。たとえば、遠方の同僚や上司に宛てて書く場合には挨拶を含める傾向が強い。
しかし、電子メールをやり取りするにつれ、送信者と受信者の関係が進展する。おそらく我々が送信する大部分の社内メールは事前の電話やその他の電子メールとつながりがあるだろう。その場合、送受信者の関係やコンテキストはすでにうまく構築されているといえる。
このような挨拶や締めくくり抜きの素早い電子メールのやり取りは何通かの電子メール上で行なっている実際に進行している会話に似ている。そのため、挨拶を入れるとくどく余計であるように思えるのだ。
ただし、送信者には受信者との力関係の違いを強調または軽視したり、受信者との間に距離を置いたりするために「○○様」「よろしくお願いします」などの頭語や結語を入れる選択肢も残っている。反対に、「みなさん、こんにちは!」のような開放的な挨拶や「お見事!」のような共感的な挨拶は同僚の連帯感を呼び起こし行動の引き金となるかもしれない。
また、活動全般に電子メールが果たす役割について検討することも有用だ。社内メールが多くの場合短く簡潔な理由は、日々の業務の流れの一環として指示や情報を与えることを目的として送信されるためだ。
そのようなメッセージの目的がひとたび確認されれば、詳細を箇条書きにしたり短縮したりしてまとめることができる。したがってチームのメンバーは長い社交辞令を読む苦労をせずに容易に情報を取得することができる。また、メッセージを簡潔に保てば、スマートフォン上でもメッセージが読みやすくなる
ただし、さじ加減の難しい商談を客と行う時や、信頼の構築、権力の誇示、関係の構築が必要な時には電子メールは長くなければならないこともある。送信者は改まった言葉遣いや常套句で微妙なメッセージを表現し、メッセージが個人的なものではないことを知らせて権威を強調する必要がある場合がある。
◆顔文字の是非
伝統的な書き方から外れた、たとえば顔文字などの新機能の使用についてはガイドブックにより意見の相違がある。けれども顔文字は要求を和らげ、押しつけ感を最小化することによって職場の連帯感を保つ有用な手段を提供してくれる。
現実を直視しようではないか。ガイドブックが何といおうと、顔文字は使い続けられているのだ。その理由は、我々は向かい合っている時には顔の表情といった相互作用に我々が依存しているが、電子メールにはそのような言葉以外の手がかりがなく、これによりメッセージの解釈のされ方に関する曖昧さ、不確かさの可能性が生じるためだ。絵文字は複数の解釈が可能な場合、メッセージの調子の曖昧さを解消するために利用される。
ただし、送信者は複雑な課題を追求するために電子メールのデジタル機能を占有し不適切に利用することもできなくはない。宛先に受信者以外の人を加えられる「CC」機能は表向きの説明責任を与えて作業プロセスの監視ができるようにする。一方、送信者は権力争いをしている任意の同僚に対し自身の権限を強調し、その受信者に圧力を与えるためにCCを選択することもできる。
上記の例では、いずれも電子メールの送信者がそれぞれのコンテキストの一連のルールを観察しているばかりでなく、自身が選択したそれぞれのコンテキストを積極的に形成していることは注目に値する。
電子メールで実施する、または実施しないと選択した事柄は社会的行為だ。人の相互交流の一環としての電子メールは、我々が書き込むソーシャルメディアの世界同様、微妙で複雑だ。チェックリストやその場しのぎのルールに頼ることは一見魅力的だが、それで電子メールというものを正しく理解することは不可能なようだ。
This article was originally published on The Conversation. Read the original article.
Translated by サンチェスユミエ