ソフトバンクのARM買収に対する英国のジレンマ EU離脱に絡め歓迎の政治家、失望の国民
ソフトバンクグループは18日、英半導体設計大手ARMホールディングスを約240億ポンド(約3.3兆円)で買収することで合意したと発表した。ソフトバンクは2013年には米携帯電話会社スプリントを約216億米ドル(当時のレートで約1.8兆円)で買収しているが、今回の規模はそれをさらに上回る。ソフトバンクはARMの買収により、「モノのインターネット(IoT)」市場で主導権を握ることを目指しているとみられるが、市場そのものの成長性や収益性が未知数なため、巨額投資の効果を疑問視する声がある。またイギリス国内では、世界的影響力を持つ自国有数のテクノロジー企業が海外勢の手に渡ることに対して、その是非を問う声や、失望の声が上がっているようである。
◆途方もない数の半導体チップでARMの技術が使用されている
ARMは半導体チップの設計のみを行い、メーカー各社にその設計を提供してライセンス料を得ている。たとえばAppleのiPhoneを含め、全世界のスマートフォンの約95%でARMの設計をベースとしたチップが使用されているという。ウォール・ストリート・ジャーナル紙(WSJ)によると、昨年、ARMの技術を含むチップは総数約148億個出荷された。ブルームバーグによると、ARMの売り上げの推定45%はスマホ向けが占める。同社ウェブサイトによると、あらゆる電子機器の35%で同社の製品・技術が使用されているという。
WSJによると、ARMは顧客のひいきを得るため、また需要を高めるため、ロイヤリティーの比率を低く保っている。同社の報告によると、2016年の1~3月期、同社はプロセッサー41億個の出荷から1億9190万ドル(約204億円)のロイヤリティーを得たが、1チップ当たりの平均では4.7セント(約5円)だった。なお、アナリストらはハイエンド・スマートフォンで使用されるチップの価格を約40ドルと見積もっている(WSJ)。ARMの2015年度の売上高は9億6830万ポンド(約1355億円)だった。
◆孫社長のビジョンとソフトバンクの賭け
ソフトバンクはARMの全株式を約240億ポンドで取得するが、これは前週末15日の株価終値に対しては約43%の上乗せだった。ソフトバンクの孫正義社長は18日の記者会見で「成長余力と10年後の将来価値を考えれば、非常に安く買えた」と語ったが、英ガーディアン紙は、投資家とアナリストが、買収額の高さとソフトバンクの負債増大への懸念を表明したと伝えた。東証でのソフトバンク株の19日の終値は、前週末から10.3%安となった。
フィナンシャル・タイムズ紙(FT)によると、孫社長は18日、「全てのモノがネットに接続される。その最大の共通項となるものがARMだ」と語った。FTはIoTをテクノロジー界最大の新市場の1つと語っている。
WSJはこの買収をソフトバンクの賭けと呼んだ。ソフトバンクの320億ドルの賭けの成否は、IoTのリーダーとしてのARMの前途有望さに全てかかっている、とWSJは語った。IoTはたとえば電球のような日用品をネットに接続する、発生段階の分野であると説明している。とはいえ、これまでのところ、そのような機器の市場は小さく、売り上げに応じた収益はごく小さい、とWSJは指摘。さらに、ARMがIoT市場を開拓できるかは不確かであるとしている。IoTを専門とする、クアルコム元幹部のロブ・チャンドック氏は、「世界の他のあらゆるものがARMで作動するようになることは、規定事項ではない」と語り、「悪い賭けではないが、それでもやはり賭けだ」と述べた(WSJ)。
WSJは、ARMのクリス・フラウトナーIoT事業部長が最近のインタビューで、ネット接続電球のごく小さなマイクロプロセッサーは価格がほんの50セントとなる可能性があると述べたことを伝えている。WSJはそのことから、ARMの販売1個当たりの利益は、1セントのごく一部でしかない可能性があると言い換えられるとした。
孫社長は、あらゆるモノがネット接続されるようになれば、ARMの業績は10倍、100倍規模で成長するとの見方をしている(Engadget日本版)。
◆イギリスでは海外勢によるARM買収を惜しむ声も
ソフトバンクによるARM買収について、イギリス政府はこれを歓迎する一方、民間などからは、これに反対する声や惜しむ声が上がっているようだ。
ARMの買収提案は、イギリスのテリーザ・メイ新首相に、(13日の)就任から1週間もたたないうちにジレンマをもたらした、とガーディアン紙は語る。メイ首相とフィリップ・ハモンド財務相は、この取引を、国民投票によりEU離脱が決まった今でも、世界の投資家がイギリスに投資する用意があることの表れだとして歓迎しているそうだ。けれども批判者は、世界で卓越する数少ない英企業の1つの所有をイギリスは放棄するべきではない、と主張しているという。
BBCのテクノロジー担当記者、ローリー・セランジョーンズ氏は18日、ARMがイギリスのテクノロジー部門にとってどれほど重要かは誇張することさえ難しく、多くの人が今朝、同社が独立性を失いそうだというこのニュースを聞いて感じているショックも同様だ、と語った。
同氏によると、かつてケンブリッジは、ARMを含め、世界を打ち負かせる英内資系テクノロジー企業の少なくとも3社の本拠地だったという。それが1社、また1社と海外勢に買収され、そして今回、3社のうち最大にして最良のARMが日本のものとなりそうだ、と語っている。ケンブリッジでは今朝、悲しみがあるだろう、と同氏は語り、またそのほかに、テクノロジーの世界的大企業を作り上げる上でのイギリスの最良の頼みの綱は、今や消えてしまったように思われる、と語った。
◆EU離脱決定後のイギリス経済に信任を与えるもの?
メイ首相は、この買収合意は、国民投票でイギリスのEU離脱が決まった後も、イギリス経済が繁栄していられることを示すと語った(BBC)。インターナショナル・ニューヨーク・タイムズ紙(INYT)は、ハモンド財務相が声明で、「国民投票での決定からわずか3週間にして、この買収合意は、イギリスが世界の投資家に対して何ら魅力を失っていないことを示す」と表明したと伝える。だがINYTは、ARM買収はむしろ特殊事例だとの見方を示している。
たとえばポンド安は、原材料を輸入する必要のないARMにとってはあまり悪影響とはならない。さらにガーディアン紙は、ポンド安によって同社の海外収益が膨らんでいることを伝える。INYTによれば、英国内での同社の収入はわずか1%でしかないという。それゆえ、EU離脱によって英経済が減速したとしても、ARMは比較的その影響を受けないだろう、としている。
とはいえ、ポンド安は海外勢の英企業買収に有利に働くため、(他の)買収活動がついには表面化するかもしれない、とINYTは述べている。BBCも同じくポンド安の観点から、多くの産業ウォッチャーが海外勢による買収の新たな波を予言している、と伝えた。