シュメール人とは?その文明と「日本人のルーツ」の謎に迫る
古代メソポタミアの一大文明を築いたシュメール人には、謎が多い。
そのためか「先祖が宇宙人」「日本人のルーツ」など、さまざまな仮説が生まれては独り歩きしているようだ。信憑性のない俗説も多いが、中には検証に値する学説もある。
今回はそんなシュメール人の謎を紐解いていく。
目次
シュメール人とは?謎の概要を紹介
時代 | 紀元前3500年~紀元前2000年頃 |
エリア | チグリス・ユーフラテス川流域(メソポタミア地方南部) |
来歴 | 不明 |
人種 | 推定:アルメノイド人種 |
主な生計手段 | 農耕と交易など |
主な発明品 | 楔形文字、太陰暦など |
出土品 | 文字を刻んだ粘土板、「ウルの軍旗」など |
シュメール人は、チグリス・ユーフラテス川流域に世界最古の都市国家を築き、それがメソポタミア文明の先駆けとなった。
シュメールの民族と言語がどこから来てどこへ消えたのかは、いまだ解明されていない。アッカド、バビロニアに支配され、その後バビロニアがペルシャ帝国に併合された頃に、シュメール人は忽然と歴史から姿を消している。
来歴の謎ゆえに「シュメール人は宇宙人」とまで囁かれることとなった。
シュメール人の文明
シュメール人の文明が誕生したのは紀元前3500年頃とされる。
他の文明の誕生は、エジプト文明が紀元前3000年頃、インダス文明が紀元前2500年頃、中国文明が紀元前1600年頃であるため、シュメールの文明がさらに古いことがわかる。
次にシュメール人の詳細な文明を紹介する。
世界最古の都市国家
世界で最初の「都市国家」を築いたのはシュメール人だ。古代都市というとまずギリシャを連想するが、ギリシャはシュメールよりも1,500年以上後の誕生である。
シュメール人の都市国家の特徴は、都市を円形の城壁で囲み、周辺に農村、中心に神殿を配していることだ。
ウルク、ウル、ラガシュなど各都市の中心には必ずジッグラト(神塔)があり、都市ごとに異なる神が祀られていたという。各都市はそれぞれ独立した政治権力を形成し、互いに覇権を争っていたようだ。
旧約聖書の「バベルの塔」はジッグラトを指すともいわれている。
世界最古の文字
世界最古の文字「楔(くさび)形文字」を考案したのも、シュメール人である。文字は葦を削ったものを用いて粘土板に刻みつけられたといわれている。
楔形文字は当初、交易用「トークン」の数を表す記号であったという説がある。その後は音と意味の両方を表わす文字へと進化を遂げ、アッカド、バビロニア、エラム、ヒッタイト、アッシリアなどで約3,000年にわたり使用された。
有名な『ハンムラビ法典』の原型といわれる『シュメール法典』も、楔形文字で記されている。
世界最古の神話
世界最古の「神話」を認めたのも、紀元前2600年頃のシュメール人といわれる。
ウルク第1王朝時代の王を描いた『ギルガメッシュ叙事詩』は、人類最古の物語として知られ、これも楔形文字で粘土板にしたためられている。
主人公のギルガメッシュは宿敵エンキドゥと行動を共にし、数々の試練を乗り越える。エンキドゥの死後、彼は不死と永遠の若さの秘密を探る旅に出る。
旅の途中で遭遇する「大洪水」の下りが、後に旧約聖書の『ノアの箱舟』の原型と判明し、キリスト教界に大きな衝撃を与えた。
先鋭の科学技術
シュメール人は医学や高度な天文学の知識を持っていた。
シュメールの遺跡から800枚もの粘土板の医学書が、墓地跡からは手術痕のある頭蓋骨が、それぞれ発見されている。一説には、この時代に白内障の手術も行われていたというから驚きだ。
シュメール人の大きな発明の一つに、世界最古の暦「太陰暦」がある。紀元前2500年頃から、月の満ち欠けを基にした日付を使用していた形跡がある。また「60進法」についてもシュメール語で記録が残されている。
彼らが惑星を神としていたこと、太陽系を理解していたことがシュメール語で記されている。彼らが宇宙人「アナンヌキ」によって創造されたとの記述もあることから、後に「シュメール人の起源は宇宙人」とも唱えられた。
ただし太陽系への理解と60進法に関しては、紀元前350~50年頃のバビロニア時代以降との見方が強い。シュメール語は古バビロニア時代にも、書き言葉として使用されていたのである。
シュメール人は治水と灌漑にも長けていた。土壌が塩化しやすいチグリス・ユーフラテス川流域で農作物を大量生産するために、広大な土地の灌漑を行っている。
シュメール人たちは農耕のために天文学や数理学、その他の技術を発達させた。その技術力が、後の天文学と精緻な暦づくりの礎となっている。
豊かな暮らしと文化
シュメールの都市は交易で栄え、市民は文化的な生活を送っていたようだ。
チグリス・ユーフラテス川流域は天然資源に乏しいため、シュメール人は青銅器などの生活物資を外部から調達していた。そのかわり農産物を大量に生産し、物資と交換する交易を行っている。
当時の文化を物語る記録に、ビールやワインを製造し愛好していたとある。ほかにも、当時すでに学校があり読み書きを教えていたことも、粘土板から判明した。
シュメールでは神官、職人、商人など、食糧生産者以外の職業が分化していた。そのこと自体が、町が豊かに成熟していた証拠といえよう。
「日本人シュメール起源説」の3つの仮説
日本人の起源がシュメール人であるという説がある。俗説も多いが、学術的研究に基づいた仮説もいくつかある。
ここでは中でも興味深い仮説を紹介する。
「神道の起源はシュメール多神教」説
シュメール人の宗教は自然を神とする多神教であり、王を神とする点など、信仰に日本の神道との共通点が多いといわれる。
まず、古代バビロニアの日神・月神・軍神と、日本の三種の神器とが類似している。昭和2年に伊予大三島宮の神職・三島敦雄氏も、この類似が単なる偶然ではないと指摘する。
また、シュメール王朝の紋章と日本の「菊の御紋」が、16弁の花弁である点まで酷似している。かつてのイラク大統領サダム・フセイン氏が身に付けていた「シュメール王家の紋章」について、日本の記者が「菊の御紋ではないか」と質問した逸話も有名だ。
「菊」が日本皇族の紋章と定まったのは鎌倉時代(後鳥羽上皇の頃)とされるが、その原型がいつの時代かオリエントから中国へ、そして日本へ伝播したとも考えられる。
大正7年に原田敬吾氏がバビロン学会にて発表した「日本人シュメール起源説」の中で、シュメールの神話が日本に取り入れられたとしている。また昭和2年に伊予大三島宮の神職・三島敦雄氏も『天孫人種六千年史の研究』で同様の提唱をしている。
しかし原田氏の研究は関東大震災で書物の多くを焼失し、また三島氏の著書は戦後GHQにより発禁とされ、研究は継承されなかった。
現在のところ決め手はないが、シュメールの宗教が後のユダヤ教・キリスト教に影響を及ぼしたように、中国を経由し日本に波及した可能性も否定はできない。
「日本語の起源はシュメール語」説
シュメール語と日本語に共通点が多いことから、日本語の起源はシュメール語だとする説がある。
まず、双方とも「膠着語」といわれる言語構造を持つとされる。膠着語を簡単に説明すると、名詞や動詞に助語尾や助詞を付けて文となり、付く語尾や助詞によって文の意味が変わる言葉である。シュメール語には日本語の「てにおは」に当たる言葉があるというのだ。
膠着語は他にもエスペラント語、トルコ語、フィンランド語などがある。
シュメール語と日本語には共通の語彙があるともいわれ、日本語の「スメラギ」「スメラミコト」「ミカド」「明津神(あきつかみ)」はシュメール語由来との説がある。
言語学上のシュメール語は「ウラルアルタイ語族」の特徴を持ち、周辺のセム語族やインド・ヨーロッパ語族とは異なるという。それでいて、地理的には離れている日本と言語上の共通点が多い。
もちろん上記だけを根拠に、シュメール語が日本語の起源とするのは早計であろう。日本語のルーツについては、現在も歴史言語学・考古学・遺伝学の横断的な研究が行われている。
「縄文人の起源はシュメール人」説
日本人、特に縄文人とシュメール人のルーツを同一とする説もある。
縄文人とシュメール人には、黒髪であること、目が大きく顔の彫が深いことなどの外見的な共通点がある。
一方で「縄文人が鬼界カルデラの大噴火により故郷を追われ、大陸へ渡りシュメールへ行き着いた」との主張もあるが、仮説の域を出ない。
遺伝子学の観点からは、シュメール人と日本人では遺伝子型が異なるとの指摘もある。さらに弥生時代になると、大陸からの民族流入があったことが遺伝子学的に裏付けられるなど、研究が進むほど深まる謎もある。
シュメール人の謎を明かす研究に期待
シュメール人の謎については、現在もなお研究が進められている。
歴史を紀元前まで遡る研究は、失われた情報を補完するために、考古学・遺伝学などの分野を横断して行われると考えられる。
最新の知見とテクノロジーを集結し、シュメール人に関する残りの謎が解明される日を楽しみにしたい。