ウクライナの最前線、低出生体重児を救うための闘い
ウクライナ東部にあるポクロウシク周産期医療センターの廊下では、小さなベロニカの大きな泣き声が響き渡っている。
予定日より2ヶ月近く早く、体重1.5キログラムで産まれたベロニカには、呼吸を確保するための酸素が鼻腔チューブを通して供給されている。また、保育器内には黄疸治療のために紫外線ランプが取りつけられている。
お腹を空かせたベロニカに保存した母親の母乳を与えるため、タチアナ・ミロシニチェンコ医師は慎重にチューブを繋げる。
攻防が続くドネツク州のウクライナ政府の管轄地域では、2月末にロシアによるウクライナ侵攻が始まる以前、3つの病院に低出生体重児への医療的ケアを行う設備があった。そのうちのひとつはロシアによる空爆を受け、ほかのひとつも戦争により閉鎖を余儀なくされた。炭鉱の町ポクロウシクにある産科病院が唯一、いまでも診療を続けている。
病院でただ一人の新生児科医となったミロシニチェンコ氏は、現在病院に居住している。3歳の息子は1週間のうちの半分を病院で、残りを炭鉱作業員である父親と自宅で過ごす。
同氏は、病院から離れることができない理由を、空襲警報が鳴っていても地上にある病院の保育器の中にいる新生児から救命装置を外すわけにはいかないからと説明する。
ミロシニチェンコ氏は「ベロニカをシェルターに連れていくのに要する時間は5分程度でしょう。しかし彼女にとって、この5分間が危機的な状況になることもあります」と話す。
病院関係者によると、早産や合併症をともなう出産の割合が前年と比較しておよそ2倍に増加しているという。ストレスや生活水準の急速な低下によって、この地域に残る妊娠中の女性たちは大きな負担を強いられていると強調する。
ドネツク州の半分以上がすでにロシアおよびロシア政府が支援する分離主義勢力によって占拠されており、その面積はシチリア島もしくはマサチューセッツ州に匹敵する。ポクロウシクは戦線から西へ60キロメートル離れた地域にあり、いまもウクライナ政府の管轄下にある。
産科病棟では、戦争の話題には触れないようにしている。ミロシニチェンコ氏は「もちろん、この建物の外で起きているあらゆることを懸念していますが、そのことについては話しません。いま一番心配なのは新生児のことですから」と話す。
ドネツク地方では2014年から戦闘が続く。ロシアの支援を受けた分離主義勢力が政府との戦闘を始め、一部の地域を占拠するようになった。しかし新生児の母親たちが長く病院に留まるようになったのはごく最近である。そこには、一度退院するとケアを受ける機会がほとんど得られない状況がある。
ポクロウシク出身のインナ・キスリチェンコさん(23)もその一人だ。2日前に産まれたイェセニアをやさしく揺らしながら、「退院後はより安全な西部にある大規模避難所に移ることを考えている」と話す。ドネツク地方での政府による管轄地域では、暖房や電気、水道など、生活に不可欠なインフラ設備の多くがロシアからの爆撃で破壊された。いまある環境も、冬が迫るにつれ悪化の一途をたどるばかりだ。
キスリチェンコさんは「小さな命が心配です。私たちの子供だけでなく、すべての子供たち、すべてのウクライナ人のことを心配しています」と語る。
国連の救済機関によると、ウクライナに住む1200万人以上が戦争のために自宅を離れたという。およそ半数がウクライナ国内に避難し、残りの半数はヨーロッパ各国へ逃れている。
それでもなお、産科病院をポクロウシクから移転する選択肢はない。
イワン・ツィガノク院長は「病院を移転しても、患者さんはここに残らなければならないのです。分娩は中止したり日程変更したりできるようなものではありません」と話す。ロシアからのミサイル攻撃が続くなか、病院での勤務を続けた。
ウクライナにある最も近い産科施設は、隣接するドニプロペトロウシク州にある。一般道路を使って車で3時間半の行程となり、妊娠後期の女性にとってはリスクが高いとみられている。
8月中旬、アンドリー・ドブレリアさん(24)と妻のマリナさん(27)が近隣の村から病院へ到着した。不安げな様子で言葉数は少ない。医師たちは一通りの検査を行ったあと、帝王切開を行うための手術室へとマリナさんを案内した。ツィガノク氏率いる医療チームは急いで服を着替え、手術に向けての準備を行った。
20分後、産まれたばかりの男児、ティムールの泣き声が聞こえた。検査を終えたティムールは、隣接する部屋で父親と面会した。
怖くて息もできなかったと、アンドリーさんはティムールの頭にそっとキスをしながらささやいた。赤ちゃんは父親の胸のなかですっかりと落ち着き、アンドリーさんの目からは涙がこぼれた。
将来に希望を抱きながらこの場所に留まることを決めたツィガノク院長は、「私たちがこの世界へと連れてくるこの子供たちはウクライナの未来です。私たちとはまったく異なる人生を歩むのでしょう。戦争のない時代を生きていくのです」と語る。
By INNA VARENYTSIA Associated Press
Translated by Mana Ishizuki