分析:プーチンの誤った歴史観 「常にロシアの一部」ではないウクライナの1000年

Alexei Nikolsky / Sputnik/Kremlin Pool Photo via AP

 ウクライナは本質的には常にロシアの一部だった、ロシアのプーチン大統領はそう述べて、自身の歴史認識を明らかにした。それは彼の目的に適う見方ではあるが、フィクションでもある。ウクライナには千年にわたる独自の歴史があるからだ。

 現在のウクライナは数世紀にもわたって国境が定まることのない紛争地域である。完全にロシアの支配下に入ったのは18世紀後半のエカテリーナ大帝の時代だったが、当時でさえもロシア帝国はウクライナ全土を容易に掌握できなかった。

 独立し西側指向のウクライナをロシアの軌道に戻そうとする今日のプーチン大統領が歩んでいるのは、ピョートル大帝からスターリンまで多くのロシアの支配者が辿ってきた道でもある。

 とくに現代のヨーロッパについていえば、どの国も数世紀にわたって国境が変化してきた。ナショナリズムをめぐる感情的な力学が働き、領土、権力、影響力を求めて相手国に要求や最後通告を突きつけたり、ときには戦争に発展したりすることもある。2月21日夜に行われたテレビ演説で、プーチン大統領はときに不機嫌、ときに怒りに満ちた声で今日のウクライナを否定した上で「主権国家としてのウクライナ建国は20世紀の共産主義指導者がもたらした悲劇、事故である」と述べている。

 ウクライナにはソ連時代より前の歴史が存在しなかったかのようにプーチン氏は振る舞い、ときにはレーニンを、ときにスターリンを非難し、またあるときはフルシチョフが1954年にクリミアをウクライナに割譲した決定をあざけった。
 
 すべての歴史に関する話がそうであるように、プーチン氏の発言にも真実めいたところはある。ウクライナとロシアは歴史上、運命が絡み合ったり切り離されたりしてきた関係性を持つ東スラブ民族の国である。ところが、彼は好んでロシアがウクライナを最大限に支配していた時代に焦点を当てている。ウクライナがこの30年間、国際条約で承認され、ロシアも明確に認めた独立国家であったことをうまい具合に忘れている。その代わり現在のウクライナについては、ロシアの安全保障を脅かしている腐敗まみれで、ほとんど機能していないアメリカの傀儡国家であり、ロシアと組む以外に存在する理由がないと述べている。

 ウクライナとロシアはともに、モスクワがまだ存在していなかった1000年以上も前にバイキングがドニエプル川沿いに打ち立てたキエフ大公国を起源としている。もともとは異教徒で、後にキリスト正教を受け入れた交易拠点だった。大公国はモンゴルのヨーロッパ侵攻により13世紀初頭に滅亡している。マスコヴィ(いまのモスクワ)が属国から抜け出したのは15世紀後半のことである。

 現在のウクライナはロシアのモスクワとの関連は乏しい代わりに、1300年代にはリトアニア大公国の一部であったほか、後にポーランド・リトアニア共和国の一部となった。この国は現在のポーランド、リトアニア、ベラルーシ、ウクライナのほぼ全域(およびロシアの一部)にまたがる、広大な多言語・多民族国家だった。

 東部や南東部では、ポーランド語やルテニア語(現在のウクライナ語やベラルーシ語の前身)が主に用いられていた。人口はウクライナ人、ポーランド人、ベラルーシ人、リトアニア人、ユダヤ人、タタール人などで構成されていた。

 1600年代半ばにウクライナの軍事組織コサックがポーランドの領主や地主に対して蜂起したのを契機として、1654年にはモスクワとウクライナ東部のコサック同盟によりポーランド・リトアニア共和国が分裂し、ロシアのツァーリに忠誠を誓うようになった。1795年のポーランド分割により国がヨーロッパの地図から消えてしまうまでの約150年間、西ウクライナはポーランド・リトアニア共和国の一部だった。

 ポーランドは第一次世界大戦後の再興後、1919年から1922年にかけてソビエト・ロシアと領土をめぐる戦争を繰り広げ、ウクライナの大部分を取り戻した。その土地は一世代後の第二次世界大戦中および戦後にソ連の支配下となったものの、戦後数年にわたってウクライナの国家主義的なパルチザンがソ連に対抗してゲリラ戦を展開した。

 1930年代初頭にスターリンがウクライナにもたらした大飢饉(ホロドモール)により数百万人が犠牲になったことで、ウクライナの人々はソ連の支配に対して執拗な恨みの感情を持つようになった。

 ソ連が誕生したとき、ボリシェヴィキ(ロシア社会民主労働党の多数派)がウクライナを独立した社会主義共和国として承認したのは決して偶然ではない。

 この動きは、モスクワと西ヨーロッパの間に位置するウクライナの独立した過去とアイデンティティに応えるものだったが、1991年にソ連が崩壊するまで自治の機会は決して与えられなかった。

 プーチン氏の発言とは異なり、多くのウクライナ人はロシアの一部になることを強く求めていない。それどころか、ロシアが2014年にクリミアを占領し、親ロシア派の分離主義者がドンバス地方を掌握して以来、国内では反ロシア感情が高まっている。

 現在ロシア軍が再びウクライナ東部のドンバス地方に進軍しているが、この地域を支配するための千年におよぶ綱引きが、武力や外交を通じて再び行われようとしているようだ。

By JOHN DANISZEWSKI Associated Press
Translated by Conyac

Text by AP