ミャンマー国民は国際社会を巻き込めるか ネット時代の民主主義

クーデターに抗議する大学病院職員(ヤンゴン、2月5日)|AP Photo

 2月1日、ミャンマーで起きた国軍によるクーデター。正当な選挙によって成立した政権に対するクーデターは非難されるべきだが、国際社会は必ずしも与党党首のアウンサンスーチーの味方というわけでもなさそうだ。インターネットが制限されるなか、国民はレジリエンスを発揮し、団結して国際世論を動かすことで軍事政権に抵抗できるだろうか。

◆継続できなかった民主主義
 イギリス植民地であったミャンマー(当時ビルマ)は、独立した1948年以降、軍政と民政の間を行き来してきた。1988年8月、全国的な民主化に向けた運動が起こったが、軍によって制圧された。ビルマ軍を創設したアウンサンを父に持つ、アウンサンスーチーはインドとイギリスでの大学生活、米国などでの社会人生活を経て1988年に帰国し、民主化運動を率いた。運動は軍に制圧され、翌年からアウンサンスーチーは自宅軟禁を強いられた。1989年、軍事政権は国名をミャンマーとした。ミャンマーはビルマの文語表現であるため、現地では同じことだが英語の正式名称が変更された。(現在は、ミャンマーの呼称が一般化しているが、軍事政権との関連から米国政府などはビルマという表現を使い続けている。)

 1991年、アウンサンスーチーは民主化に向けた活動と非暴力主義の活動が評価され、自宅軟禁が続くなかノーベル平和賞を受賞。一方、軍事政権は米国などからの経済制裁を受け、政治的・経済的に孤立。民主化を進めざるを得ない状況になった。軍は5年かけて憲法を作成。議席の少なくとも25%は軍が取得すること、議員の75%が賛成しないと憲法改正できないなどといった項目を盛り込み、軍の政治介入と権力の維持を可能にした(米Vox)。2010年、アウンサンスーチーの自宅軟禁が解除された。そして2015年、25年以来初の民主主義選挙が行われアウンサンスーチーが率いる与党・国民民主連盟(National League for Democracy:NLD)が77%の議席を獲得し勝利。大統領になることが禁じられていたため、アウンサンスーチーは国家顧問(state counsellor)として国を率いることになった。

 ミャンマーでは民主化が進み、海外直接投資も進んだ。こうした変化に対して、軍も利権を得ていたという(The Asahi Shimbun Globe+)。アウンサンスーチーは軍が関与した2017年のロヒンギャ危機(イスラム教徒であるロヒンギャの大量虐殺・レイプ)に関して、軍を擁護した。イスラム系が多数を占める西アフリカのガンビアが原告となり、2019年12月に行われた国際司法裁判所(International Court of Justice:ICJ)での裁判に、アウンサンスーチーも出廷。彼女は紛争が起こったミャンマー西部ラカイン州での出来事について、原告側が示した情報は「不完全であり、誤解を招くようなもの」だとし、ジェノサイド(集団虐殺)ではなく、歴史的に続いていた内部紛争に対して軍が適切に対応したといったニュアンスで軍を擁護した(アルジャジーラ)。ロヒンギャ対応に関して、アウンサンスーチーは国際社会から非難されている。

 一方で、アウンサンスーチーは憲法改正と軍の勢力を弱める施策も進めてきた。軍の拒否権発動によって改正は承認されなかったものの、2020年11月の総選挙では476議席中、NLDが396議席を獲得して勝利した。この結果に対して、軍は選挙の不正を訴え続けた。そしてこの選挙結果が承認され、新たな議会での審議開始が予定されていた2月1日、軍はクーデターを起こした。アウンサンスーチー、大統領そして議員らが拘束され、軍が政権を掌握した。

Text by MAKI NAKATA