誕生から1年、謎に包まれる中国の遺伝子編集ベビー
2018年、中国の研究者・賀建奎(フー・ジェンクイ)氏が、遺伝子編集を受けた双子の赤ちゃんを世界で初めて誕生させたと主張し、世界に衝撃を与えた。発表から一年が経過したいま、賀氏と二人の赤ちゃんの動向は謎に包まれている。
賀氏は2019年1月を最後に、公の場に姿を見せていない。研究論文の発表も行っておらず、二人の赤ちゃんの健康状態についても、いっさい不明だ。
「そのような現状です。すべてが秘密に包まれています。さらなる知見を得るうえで、生産的ではありませんね」とスタンフォード大学の生命倫理学者、ウィリアム・ハールバット博士は話す。
2018年、香港の科学学会において、賀氏はクリスパー(CRISPR)と呼ばれるツールを使用して受精卵の遺伝子を改変し、エイズウイルスの感染耐性を持たせたと発表したが、この学会以前に、賀氏はハールバット氏と何度も会話を交していた。過去にはAP通信の独占インタビューで賀氏本人が直接語ったこともあるこの遺伝子編集施術は、実際には医学上不必要な措置であり、そのほかの遺伝子に悪影響を与えるリスク、およびそこでのDNAの変化が未来の世代に引き継がれる可能性もあることから、倫理的に問題があるとの批判を受けた。
発表以降、多くの人々が同様の施術に対する規制やモラトリアム(一時停止)を求めてきた。しかし、誰がその基準を定め、どのように規制を実施するのかをめぐるさまざまな委員会での議論は、いっこうに進展を見せていない。
「あれから状況は何も変わっていません」と語るのは、このたび遺伝子編集と賀氏のクリスパー・ベビー問題をテーマに書籍を出版した、ペンシルベニア大学の遺伝学者、キラン・ムスヌル博士だ。
「むしろ1年前よりも、規制の実現から遠ざかっていると感じます」とハールバット氏も言う。ハールバット氏もやはり、賀氏の施術には反対の立場だ。しかし同氏は、賀氏の行為を悪魔の所業のように批判することのみに焦点が集まる現状は、むしろこの問題の議論を進める妨げになっていると話す。
以下では、現在わかっているこの問題の現状をまとめた。
◆賀建奎氏のその後
賀氏の姿が最後に確認されたのは、今年1月上旬。深圳市内の大学敷地内のアパートのバルコニーにいるところを目撃されている。同氏は、香港での研究発表後に、この大学を解雇された。アパートの建物内に武装した警備員が配置されたことから、同氏は自宅軟禁下にあるとの憶測がささやかれた。
その数週間後には、中国国営の新華社通信が、「捜査当局は、賀氏が名声への欲望に突き動かされて独断で今回の行為におよんだと断定した。同氏は法律違反によって罰を受ける」と報道した。
それ以降、AP通信は賀氏との連絡が取れないでいる。賀氏のメディア対応を受け負っているライアン・フェーレル氏は、コメントを避けた。フェーレル氏は以前、賀氏の妻から自分への支払いが開始されたと話している。つまり、賀氏は現在、自分自身でそういった仕事を行えない立場にいるとも考えられる。
今年初めに賀氏と連絡を取りあっていたというハールバット氏は、最後に賀氏から連絡があったのがいつかは明言しなかった。
◆双子の赤ちゃんのその後
中国の捜査当局は、賀氏がDNA改変を加えたと主張する双子の女児の存在は認めたようだ。新華社通信の記事は、この双子の赤ちゃんと、遺伝子編集した受精卵を使ったもう一件の妊娠治療に関わった関係者らは、政府の衛生部門の監視下にあると伝えている。ただし報道では、その二件目の妊娠治療によって今年の夏の終わりに生まれたとされる三人目の赤ちゃんについては、何も触れていない。
これまでに中国当局は、遺伝子編集を受けた残りの受精卵と賀氏の研究記録を押収した。
「結果的に賀氏は、この双子の赤ちゃんに意図せぬ改変も加えています」と、ムスヌル氏は賀氏の遺伝子編集施術に関して指摘する。「それによって今後、女児たちの健康に悪影響が出るかどうかまではわかりません」
◆施術に関与したほかの人物たち
米国ヒューストンにあるライス大学は、賀氏が科学雑誌に送った論文に名前の掲載があるマイケル・ディーム氏の役割について、現在も調査中だと言う。ディーム氏は、かつて賀氏がライス大学に在籍していた当時にアドバイザー役を務めていた人物で、過去にはAP通信に対して賀氏の研究について語ったこともある。
AP通信とそのほかのメディア各社は、アメリカと中国の複数の研究者らが、当時賀氏が行っていた研究内容を知っていた、あるいはそれに対して強い疑念を抱いていたことを報道した。
「多くの人たちが研究内容を知っており、賀氏に助言や励ましを与えていました。賀氏は何も、隠れてそれを行っていたわけではなかったのです」とハールバット氏は語る。
◆科学的知見
最近になって、クリスパーよりも安全性の高い新たな遺伝子編集技術が研究者らによって発見された。また遺伝子編集施術は、子供・大人を問わず、病気治療として試験的に実施されている。しかしそこでの遺伝子改変は次の世代にまでは引き継がれないため、倫理的な論争には発展していない。研究者たちの一部は、このような病気治療の分野においては、その効果が実証されれば、遺伝子編集技術はより広い支持を得られるだろうと考えている。
「技術開発のスピードが遅いのは、それが責任を持って慎重に行われているからです」とムスヌル氏は言う。
◆世論
今年11月、カリフォルニア州バークレーで、遺伝子編集に対する意見を問うフォーラムが開催された。そこでは幅広い議論が交わされ、その内容は、蚊や農作物の遺伝子操作から受精卵の改変にまで及んだ。
米国科学アカデミーは最近、同アカデミーが作成したある動画の公開を中止した。削除の理由は、この動画が倫理上の問題をはらんだ科学技術を紹介し、それをいかにしてデザイナーベビー作成に応用できるかを伝えていることへの批判が高まったためだ。米国科学アカデミーは、これまで遺伝子編集の基準作成を主導してきた経緯があり、その資金のほとんどを米国政府の予算に頼ってきた。ただしそのビデオに関しては、民間の助成金を使って作成したものだと広報担当者は述べている。
昨年APの世論調査センターが行った世論調査によると、アメリカ国民のほとんどは、病気から赤ちゃんを守る目的で遺伝子編集を施すことには反対しないが、生まれてくる子供の知能・運動能力・体格をより良くする目的での施術には反対だと答えている。
◆規制
カリフォルニア大学バークレー校に在籍する、クリスパー研究の先駆者であるジェニファー・ダードナ氏は最近、サイエンス誌の解説のなかで、「モラトリアムではもはや不十分で、規制が必要だ」と述べている。
ダードナ氏は、世界保健機関がすべての国の規制当局に対して、その種の実験を許可しないよう求めたことに言及した。また、そのような状況にもかかわらず、ロシアの研究者が最近、その種の実験を提案したことにも触れた。
「受精卵・卵子・精子のDNAを思うままに操作したいという誘惑は、いまなお消えていない」とダードナ氏は記している。
By MARILYNN MARCHIONE AP Chief Medical Writer
Translated by Conyac