大林宣彦氏、戦争の恐ろしさを伝える映画監督人生 40超の作品手掛ける
大林宣彦監督は81歳で末期の肺がんを患っている。しかし、死との闘いはずっと以前から続いており、それが数十年に渡る映画制作活動を特徴づけてきた。
監督は戦争の恐ろしさを伝えることをテーマとし、40本超の映画作品や、数々のテレビ番組、コマーシャルなどの動画作品において、自身の嘘偽りのない思いを表現してきた。
「私は一つのことを追求していて、揺らいだことは一度もありません」と語る大林監督。車椅子に腰掛け、衰弱したように見えるが、その目はやんちゃな光に満ちて輝いていた。
大林監督の作品には、第二次世界大戦下で育った自身の経歴が反映されている。第二次世界大戦といえば、日本が近隣諸国を侵略し、残虐な行為を行ったことで知られているが、同時に日本人も空腹に苦しみ、暴力を受け、多くの命が奪われた。
監督は核爆弾の起爆スイッチを押す真似をしながら、「ボタンはいつ押されてもおかしくなかった」と続けた。
AP通信が最近行った取材では、映画の力を信じるようになった経緯を熱く語ってくれた。その穏やかなしゃがれ声には、強い信念がこもっていた。大林作品のような映画は、観た人に「あなたの意見は?」という重要な問いかけを残す作品だという。
「映画が無力なんてことはありません。映画は自由を表現できるのですから」と監督は怒りを露わにした。そして「収益をあげるため、名を売るため、媚びて人気を得るための映画を撮ったことなど一度もない」と述べ、矜持を示した。
大林監督は、日本の伝統的な映画制作を形作った一人である。その幻想的な映像表現から「映像の魔術師」と称されてきた。10月28日から11月5日まで開催されている東京国際映画祭では、特別功労賞を受賞した。
映画祭で上映された大林作品は、完成したばかりの3時間に及ぶ大作『海辺の映画館 キネマの玉手箱』だ。反戦争をテーマにしながら、映画制作への敬意も表した作品である。主な登場人物は、古い映画館を訪れたものの、次第にとんでもない出来事に巻き込まれてしまう日本人青年たち。彼らには映画界の巨匠であるフランソワ・トリュフォー、マリオ・バーヴァ、ドン・シーゲルを模した名前が与えられる。
そしてもう一つの上映作品が、海沿いの町、尾道で撮影され、1985年に公開された『さびしんぼう』だ。尾道は広島県にある絵画のように美しい町で、監督の出身地でもある。また、小津安二郎監督の代表作『東京物語』の舞台だ。
万華鏡のように華やかな映像に溢れる大林作品。同氏の代表的なモチーフとなっている色鮮やかな日本の祝祭、滴る血液、人形のような兵隊の行進、流れ星、曲がりくねった石畳の道が随所に見られ、どれもが幻想的なおとぎ話の世界を連想させる。
大林監督は幼少期から映画に興味を示し、手描きのアニメ動画を作成していた。
反戦主義の精神は、軍医だった父の教えにより、幼少期から培われたものだ。父はよく、医師は自国の民だけでなく敵の命も救えるのだと話して聞かせていた。監督の回想によると、映画監督になると決心した時、父が8ミリカメラをくれたそうだ。
大林監督は、黒澤明監督を一躍有名にした『七人の侍』や『用心棒』などの名作はあまりに商業的であり、貧民街を舞台にした『どですかでん』や、長崎の原爆被害を描いた『八月の狂詩曲(ラプソディー)』といった後期の作品こそ真の黒澤映画だと語る。「黒さんはそのことを自覚していたし、心のままの映画を制作していると認めてくれた」と、黒澤監督について振り返る。
大林監督の作品には、よくあるハリウッド映画のような、ヒーローが悪役と戦うといったわかりやすい筋書きはない。クライマックスが近づくにつれ盛り上がるようなアクション満載のストーリーには頼らない、日本映画らしい作品だ。複数の場面を行き来し、時にはタイムトラベルしながら、とりとめもなく始まって終わり、また始まるような作品である。
戦争は人類の敵かと問われた時、監督はろくでもないことを聞かれたと言うような様子を見せ、「どの時代にも人類を悩ませてきたものは複雑性だとし、兵士は殺される側であると同時に殺す側でもある」と言う。
次回作の制作が進行中だが、健康状態に配慮し、制作活動には時間を要するだろうとしている。
映画監督としての生涯の目標を示すため、大林監督は3本の指で「I love you」の手話をして見せた。
「精一杯自由を尊重しましょう。嘘偽りなく生きましょう」
By YURI KAGEYAMA Associated Press
Translated by t.sato via Conyac