「自爆テロの時代」を迎えた世界 スリランカも例外ではなく
イースター期間中にスリランカで起きた同時多発テロは、この南アジアの島国が数十年間にわたって直面してきた流血の過去をよみがえらせた。レバノン内戦に触発された過激派によって、自爆テロに用いられる爆弾ベストの開発が後押しされてきた時代である。
4月21日の日曜日、300名以上の死者とおよそ500名の負傷者を出した爆弾テロは、教会やホテルの6ヶ所においてほぼ同時に発生した。スリランカ当局によると、あまり名の知られていないローカル組織に属する7名のスリランカ人がテロ実行犯であるという。組織の実態や動機など、把握されていることがほとんどないなか、スリランカのタミル人過激派組織「タミル・タイガー(タミル・イーラム解放のトラ)」の戦闘員は、26年続いた内戦が政府軍によって制圧されるまで、自爆爆弾を使用していた。
同様の爆弾はその後、パレスチナ人過激派の手に渡り、イスラエルの各地で爆発していた。そして、2001年9月11日に起きたアメリカ同時多発テロを発端に、イスラム過激派によってさらに広範囲に、中東やアフリカ、ヨーロッパ各地まで広められた。
ホテルで朝食中の人々、イースターの祈りを教会で捧げている人々、このような市民を無差別に虐殺するテロ攻撃は、世界中に恐怖心をもたらす。日曜日に起きた爆撃については、テロ犯が外国からの支援や渡航履歴を保有しているかについても疑問が提起されている。
「今のこの時代は、自爆テロ犯の時代だと考えています。これまでのテロ攻撃を超越するような過激な行為が求められている、まさにそんな時代なのです。テロ犯たちはより破壊的で、一層強いインパクトを与えること、より多くの人々を殺傷し、できるだけ多くのメディアの見出しを飾ることを強いられています」と、ロンドンを本拠地とする団体「武器を用いた暴力に対するアクション」の事務局長であり、自爆テロについての本を執筆したイアン・オーバートン氏は述べる。
専門家によると、近代で最初に起きた自爆テロは、1881年、ロシアのアレクサンドル2世が急進派の市民に暗殺された事件だという。写真に残っている最初の自爆爆弾ベストは、おそらく1930年代に当時の日本帝国との戦争において、中国が使用したものだろう。日本の神風特攻隊は操縦する飛行機を武器に変えて自爆爆撃を行った。
西欧諸国の多くの人は、1980年代のレバノン内戦によって初めて自爆テロ犯に震え、恐怖心を植えつけられた。トラックを使った自爆テロがベイルートのアメリカ大使館で発生し、63名が死亡。その後、アメリカ海兵隊兵舎とフランス軍兵舎が同じように自爆攻撃され、231名のアメリカ兵と58名のフランス軍兵士が死亡した。第2次世界大戦以降、両軍にとって最も凄惨な日となった。後日、アメリカはレバノン内戦の契機となったシーア派過激組織ヒズボラとイランにその責任があるとして非難した。双方とも関与を否定している。
一方で、オーバートン氏によると、タミル人戦闘員による小さな部隊は、レバノンで武器取扱いの訓練を受け、体得したことをスリランカに持ち帰ったという。1987年、この部隊による最初の自爆テロが実行された。爆弾を搭載したトラックをスリランカ軍兵舎へ乗り付け、55名を死亡させた。アメリカ海軍兵舎への爆撃と似た手口である。
26年以上続いた内戦中、タミル・タイガーは130回以上の自爆テロを実行し、過激派組織のなかで中心的な地位を得た。その場に居合わせた人々をはじめ、なかでも、スリランカ首相やインド元首相が爆弾テロの犠牲となった。最終的に政府軍がタミル・タイガーを制圧し、内戦は2009年に終わりを迎えた。孤軍奮闘していた最終局面の数ヶ月間に、何万人ものタミル人戦闘員が死亡したと考える評論家もいる。
タミル・タイガーが世俗的な民族主義を掲げていた一方で、中東のイスラム過激派は自爆テロを武器の一つとして採用していた。1990年代までは、パレスチナの過激派組織ハマスとファタハは双方とも、イスラエルに対して自爆テロ攻撃を行っている。その後、ウサマ・ビンラディン率いるアルカイーダが両組織と手を組み、ケニアとタンザニアのアメリカ大使館爆破、さらにイエメンでのアメリカ軍艦襲撃を行った。
そして、「9.11」が起き、アメリカ主導でアフガニスタンへの侵攻が始まる。
1980年からその頃までに起きた自爆テロは世界的にみても350回程度だったと、シカゴ大学の政治学教授であり、「安全保障と脅威に関するシカゴ・プロジェクト」を指揮するロバート・ペイプ氏は話す。
イラクでのアメリカによる戦争は続いた。それにより、血にまみれた宗派間闘争に火がつき、イラクは内戦寸前の状態にまで追いやられ、自爆テロ犯はイラク国内に猛攻撃を仕掛けた。アルカイーダの一拠点はイスラム国(IS)に姿を変え、世界各地で自爆テロ攻撃が始まった。
1980年以降、現在までに起きた自爆テロはおよそ6,000回であり、イラクとシリア国内で発生したものだけで約半分を占めると、ペイプ教授は述べる。
「我々はイラクに侵攻し、征服しました。近代で最も大がかりな自爆テロリストキャンペーンに手を貸すことになりました」と、ペイプ教授は話す。
スリランカ当局は、イースターの爆撃を、ローカルのイスラム過激派組織「ナショナル・タウヒード・ジャマア」によるものだと述べている。しかし、インドの南端に位置し、仏教徒が圧倒的多数を占める島国のスリランカが、イスラム教過激主義者からの攻撃を受けた実例は近年見られない。また、これまで暴力行為で名を知られていなかった組織が、一体どのようにしてこのような、アルカイーダの手口にも類似すると指摘されるほどの大規模な攻撃を実行できたのか、説明はない。
「彼らが押しつけようとしているのは、このISISのマントラ(真言)です。『やつらが人生を愛でるよりももっと我々は死を愛する』。デスカルトの象徴です」と、オーバートン氏は過激派組織の頭字語を用いながら話す。
4月23日、ISはアマーク通信を通じて、スリランカの爆撃について犯行声明を出した。しかし、テロ実行犯が組織に忠誠を誓っている写真や動画は公開されなかった。テロ実行犯が攻撃前に忠誠心を示している資料はよくあるもので、犯行声明の信憑性性を裏づける。
ISがかつて支配したイラクとシリアの領域全てを失って以来、帰国した外国人戦闘員についての懸念が国際的に高まっている。スリランカ法相は2016年、「高等教育を受けたエリート」家庭出身の32名のイスラム教徒がISに参加していると国会で述べた。彼らの身に何が起きたのか、依然として不明である。
「数として多くはなかったが、多くある必要もないでしょう」と、ペイプ教授は述べる。
By JON GAMBRELL Associated Press
Translated by Mana Ishizuki