SNSの若者への悪影響を研究する者として、禁止には賛成しない

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著:Emily Settyサリー大学、Associate Professor in Criminology)

 イギリス政府は、16歳未満のSNS利用を禁じるオーストラリア方式の禁止措置の導入について、意見募集を開始した。この禁止案は、若者のメンタルヘルスの悪化やオンラインでの虐待、有害コンテンツへの露出に対する懸念の高まりを受けた、大胆な対応として位置づけられている。

 表面的には、禁止という手法は明快に思える。害を及ぼす可能性のあるプラットフォームから子供を遠ざければよいというわけだ。しかし、若者のデジタルライフや人間関係、ウェルビーイングについて長年研究してきた立場からすれば、一律の禁止は問題と解決策の双方を誤解するリスクがあると考える。

 ティーンエイジャーを対象とした私の研究では、若者がオンラインで経験する害は、オフラインで直面する害と切り離せないものであることが一貫して示されている。いじめ、人種差別、性差別、強要、排除、外見へのプレッシャーは、すべてSNS以前から存在していた。デジタルプラットフォームはこれらの問題を増幅させることはあっても、新たに生じさせているわけではない。

 ティーンエイジャーを対象に行ったフォーカスグループや、パンデミック中に若者と共に行った研究において、参加者たちはオンライン生活を学校の廊下や友人グループ、地域社会の延長線上にあるものとして語った。これは学術的に「ポストデジタル」な現実と呼ばれることが増えている。若者にとって、オンラインとオフラインは別々の世界ではなく、相互につながった一つの連続体なのだ。

 もし問題の根が社会にあるのなら、技術的な制限だけでそれらを解決に導くことは難しいだろう。禁止措置は、ハラスメントやさらし行為、女性蔑視、搾取といった特定の行動がそもそもなぜ起こるのかという深い問いを立てる代わりに、SNSそのものを諸悪の根源として扱ってしまう。

 また、なぜデジタル空間がこれほど多くのニーズを満たす場になったのかを問う必要もある。長年にわたる若者向けサービスの予算削減、コミュニティスペースの減少、学業プレッシャーの激化により、オンラインプラットフォームがその空白を埋めてきた。

 SNSが単に若者の生活に一方的に入り込んだのではない。大人たちの政策判断によって作られた空白地帯に、SNSが招き入れられたのだ。禁止措置は、こうした広範な背景には手を触れず、表面化している症状だけに対処しようとするものである。

 実務的な問題もある。年齢による禁止を徹底させるのは困難だ。若者はデジタルに精通しており、多くが回避策を見つけるか、規制のないプラットフォームへ移動するか、あるいは単に年齢を偽るだろう。

 これはオンライン活動を水面下に追いやり、親や教師、支援サービスの目の届かない場所へと押しやってしまうリスクがある。若者がすでに存在している場所で彼らと関わる代わりに、禁止措置を強行すれば、苦境に立たされ助けを必要としている者を特定することがかえって困難になりかねない。

 40以上の子供向けチャリティ団体やデジタル安全の専門家、遺族らが署名した最近の共同声明は、一律の禁止が脆弱な若者を友人同士のサポートネットワークや危機の際の公的資源から孤立させる危険性があると警告している。

◆若者が必要としているもの
 多くの若者はSNSに対して批判的だ。オンライン上の害インフルエンサー文化に関する私の研究の中で、若者たちは比較文化や絶え間ない通知、「常につながっていなければならない」というプレッシャーに疲れ果てているとしばしば語っている。彼らはオフラインの時間や、より有意義な対面でのつながりを求めていると口にすることが多い。

 こうした複雑な感情は、若者がテクノロジーの受動的な犠牲者ではなく、問題を特定し、自分たちが望むデジタルライフのあり方を明確に示せる存在であることを物語っている。彼らは、より良い教育や誠実な対話、そして大人のより深い理解を求めている。

 彼らは境界線を引く方法、強要やアルゴリズムによる操作を見分ける方法、そして対立を管理する方法を学びたがっている。何よりも彼らは、直面する問題を解決するためのパートナーとして真剣に扱われることを望んでいる。

 一律の禁止は若者を単一の均質な集団として扱い、彼らの経験やニーズ、状況の多様性を無視するものだ。それは、ある若者にとって保護的であるものがすべての若者にとっても保護的であると決めつけており、リスクとメリットがアイデンティティや人間関係、資源、文脈によって形作られることを認識していない。

◆保護者が本当に心配していること
 保護者の視点もまた、この議論における重要な側面だ。同僚と私が行った家族を対象にした研究では、多くの親がSNSに対して深い葛藤を抱いていることが示された。彼らはオンラインの害を心配し、しばしばインターネット以前の時代の子供時代に戻りたいというノスタルジックな願望を口にする。

 しかし、この郷愁はテクノロジー単体に対するものではない。巨大テック企業や複雑なデジタル文化、そして子供たちの生活を塗り替えつつあると感じられる広範な社会的変化を前に、親としての制御不能感が表現されたものであることが多い。

 親たちは、子供を守りたいという願いと、デジタルなコミュニケーションが現代の友情や学習において中心的な役割を果たしているという認識の間で引き裂かれている。子供がオンラインにいるリスクと、オフラインでいることで疎外されるリスクの両方を恐れているのだ。

 この文脈において、禁止措置は魅力的な提案に感じられるかもしれない。秩序と権威を取り戻してくれるように見えるからだ。しかし、それは問題を誤診するリスクをはらんでいる。親が求めているのは単なる禁止ではなく、プラットフォームのより明確な規制、学校でのより良い教育、そして家族が共にデジタルライフを管理するためのより多くのリソースといった、こうした緊張を乗りこなすためのさらなる支援なのだ。

◆単純な解決策という幻想
 禁止措置の魅力はその単純さにある。しかし、複雑な社会問題を単純な技術的解決策で解決できることは稀である。

 真の進展とはもっと地道なものであり、人目を引くような華々しい見出しにはなりにくい。それは、若者のデジタルな現実を反映した質の高い人間関係や性教育への投資、そして親が十分な情報に基づいて対話できるよう支援することである。搾取やハラスメントを減らすためにプラットフォームの設計を規制し、SNS企業への責任追及を強化することである。そして、若者に真の選択肢を与えるオフラインのサービスや場所を再構築することである。

 SNSは若者が時折訪れる外部の危険ではない。それは彼らの日常的な社会的世界に織り込まれている。個人的、対人的、社会的な真のニーズを満たすための空間から若者を切り離すことは、彼らを迷子にさせるリスクがある。

 ネットワーク化された世界で育つ世代に必要なのは、生活が展開される空間からの排除ではなく、導きが必要である。政策は、大人のテクノロジーに対する恐怖からではなく、若者が実際にどのように生きているかから出発しなければならない。若者がオンラインでより安全に過ごせるようにしたいのであれば、答えは彼らのデジタルライフを禁止することではなく、彼らがそこを歩んでいけるよう助けることにある。

This article is republished from The Conversation under a Creative Commons license. Read the original article.
Translated by NewSphere newsroom

The Conversation

Text by Emily Setty