映画『レディ・プレイヤー1』レビュー 溢れる80年代ポップカルチャーへの愛

Jaap Buitendijk / Warner Bros. Pictures via AP

「どうして時間を遡ることができないんだろう?」『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のデロリアンをフルスロットルで逆走させる間際、『レディ・プレイヤー1』の主人公はふと疑問に思う。「本気でアクセルを踏み込んでやる」
 
 巻き戻しボタンがあるのなら押してみたい―近頃では誰もが願うことかもしれない。過去作品の新作やリメイクが続く近年の映画界では、それはもはや潮流に逆らうということにはならない。それでも、瞬く間に過ぎ去った80年代の世界観に満ち溢れたギークな仮想世界を舞台としたスピルバーグの『レディ・プレイヤー1』は、ただゆっくりと過去へ戻ろうとする作品ではない。これはフルスロットルで過去へ突っ込んでいく作品だ。過ぎ去りしポップカルチャーに愛着を抱く者に、『レディ・プレイヤー1』が―良い意味でも悪い意味でも―甘美でありながら目も眩むような一時を与えてくれるだろう。
 
 ディストピア化した2045年、鉄クズだらけの世界、オハイオ州コロンバス、10代の少年ウェイド・ワッツ(タイ・シェリダン)は「スタック」と呼ばれる山のように積み重なったトレーラーハウスで叔母と共に暮らしている。ウェイドは語る「今では、現実にはがっかりするばかりだ」。この寒々しい世界で、人々はみなヘッドセットをつけて「オアシス」と呼ばれる仮想世界に飛び込むことに夢中になっているようだ。そこは人々が自らをアバター化する世界—実写でもアニメーションでも、人間の姿でも宇宙生命体の姿でも、ソニー&シェール(60年代から80年代後半にかけ活動したデュオ音楽グループ)でも何でも構わない―大体のことは何だってできる世界だ。己の想像力の限界まで進むことができる世界。バットマンとエベレストを登ることだってできる。この世のどこにも存在しない広大な世界が、ウェイドにとっての救いのようだ。

「オアシス」の開発者ジェームス・ハリデー(マーク・ライランス)の死から5年、スティーブ・ジョブズにウィリー・ウォンカを掛け合わせたようなクルクルの髪をしたナード界の神はゲームの中に3つのイースターエッグ、そう、秘密の手掛かりを隠していた。手掛かりを見つけ出し最初にゴールへとたどり着いたものがこの数兆円規模の企業の権利を手に入れられる。パーシヴァルという名で「オアシス」に参加するウェイドもチャレンジャーの一人として、第一の課題をクリアしようとしていた。ニューヨークのストリートで繰り広げられる大熱戦—挑戦者たちはキングコングや『ジュラシック・パーク』のティラノサウルスを避けながらレースを展開していく。

Warner Bros. Pictures via AP

 SXSW(サウス・バイ・サウスウエスト)で開かれたプレミア上映の場でスピルバーグは、アーネスト・クラインが2011年に発表したベストセラーを原作としたこの『レディ・プレイヤー1』を「フィルム」ではなく「ムービー」と紹介した。そう、スピルバーグもまた時を遡ったのだ。またとない絶好のタイミングで報道の自由を謳った『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』が公開されてからわずか4ヶ月、『シンドラーのリスト』以前の作風に立ち返ったスリル満点の一大スペクタクル作品。より「シリアス」な作風に向かう以前に見せていた、スピルバーグお得意のポップコーンを片手にしたくなる魔法に溢れた作品だ。
 
 愉快でありながら時にどことなく皮肉的な『レディ・プレイヤー1』は、スピルバーグがただ自身の旧作に似た映画を撮ろうとしたものではない。自身のこれまでの作品が溢れかえる作品を作ったのだ。アーネスト・クラインとザック・ペンによる脚本を若手監督によって映画化すべきだと初めは考えていたスピルバーグは、当初のシナリオから自身に関連する箇所をいくつもカットした、とばつの悪そうな様子で語っている。
 
 しかしそれでも『レディ・プレイヤー1』の世界は、他の誰よりもスピルバーグ自身が創り込んだ現実逃避型エンターテイメントへの愛に溢れたオタク的オマージュ感に満ちている。この作品はひょっとすると『スピルバーグ:リミックス』と名付けることもできるかもしれない。この作品を鑑賞するのは、スピルバーグのカバーバンドにスピルバーグ自身が参加しているのを見ているかのようだ。主役をセンターに据え、バンドもとても楽しんでいるのだ。
 
 途方も無い技術と尋常ならぬ人気を博すこの映画監督にとって今作は、これまでのヒット作の功績と、自らの足跡を辿るデジタル世代のファンタジー制作陣の双方を頼りにすることのできる機会であった。「オアシス」には、パーシヴァルやこの仮想空間でパーシヴァルが思いを寄せるアルテミス(オリヴィア・クック)といった「ガンター」と呼ばれる、このゲーム、そしてその開発者に傾倒する個人のプレイヤーたちが存在する。また一方で「オアシス」の中には企業の介入も見られる。その中の一つ、上質なスーツに身を包んだノーラン・ソレント(ベン・メンデルソーン)率いるイノベーティブ・オンライン・インダストリーズ社は、莫大な利益を挙げる「オアシス」の管理権を手中に収め、(作品中最も非オタク的で悪意あるプロットであるが)「オアシス」内に広告市場を開こうと大量のプレイヤーを送り込むのだった。
 
 トッツィー・ロール・ポップのコマーシャルからバカルー・バンザイに至る80年代的要素以外のものに触れるならば、『レディ・プレイヤー1』はインターネットの寓話でもある。すべての人に対して開かれた遊び場としての「オアシス」を守ろうとする戦いに先立って、「バンドワイズ・ライオット(帯域幅を巡る暴動)」という過去の出来事に話が及ぶシーンもある。『レディ・プレイヤー1』はゲームでもあり戦争でもある。しかしその危険性は、空想上の世界であるという事実によって時に弱められることとなる。『レディ・プレイヤー1』の大部分は、「本物の」オタクたちが「オタク嫌い」に勝ち誇り、ギークたちがエリートと競い合い、技術マニアがただ崇拝される、そのような退屈なゲーム文化を促進するものでもある。原作から映画化に至るまでの間には、今作では良く描き出されているテレビゲーム界の悪しき一面が明らかになるゲーマーゲートといった出来事もあった。
 
 変幻自在の「オアシス」の世界はとても目を引くものである(ポップカルチャー満載の世界—ユーモアさでは負けるが『LEGOムービー』以上の色鮮やかな世界が莫大な製作費で生み出されている)が、『レディ・プレイヤー1』は現実世界を描き出す時にその真髄を見せる。スピルバーグの心はやはり現実の世界に向いており、そこにこそフィルム(今作は「ムービー」だけれど……)を回そうとする彼の思いが感じられるのである。
 
 それでも、目くるめく映像世界を作り出すスピルバーグの才能は昔と変わらないものだ。目まぐるしい展開、火花の視覚効果は素晴らしく、どれだけ現実離れしていようとも、全てのシーンが完璧に演出されている。過去を振り返る作品にしては、信じられないほど先進的な作品だ。ヒット作の製作においてスピルバーグは、こういったことを誰よりも簡単そうに、そして効果的にやってのける。
 
 しかし、スピルバーグの過去の名作、つまりビンテージ的作品とこの「メタ」的スピルバーグ作品のどちらかを選べと言われたら―オタクっぽい言い方は避けたいが、私はやはり「本物」が好きなのである。

(編注)『レディ・プレイヤー1』は、4月20日から全国公開。

By JAKE COYLE, AP Film Writer
Translated by So Suzuki

Text by AP