100年前に消えた亡命皇室の“伝説ダイヤ”発見 逃避行の末に皇后が託した約束
フィレンツェ・ダイヤモンドのレプリカ|Manuelarosi / Wikimedia Commons
ヨーロッパで強大な統治国家を築いたハプスブルク家が所有し、これまで行方不明になっていた伝説の宝石「フィレンツェ(フロレンティン)・ダイヤモンド」の所在が最近になって判明した。20世紀最大の文化財ミステリーの一つとされ、その行方をめぐってはさまざまな噂や憶測が飛び交っていただけに、大きな話題となっている。
◆100年前に消えた……伝説のダイヤモンドとは
「フィレンツェ・ダイヤモンド」は、オーストリア=ハンガリー帝国の皇族だったハプスブルク家が所有していた。黄色の洋ナシ型をしており、137カラットと大粒で、当時欧州で最も大きな宝石の一つとされていた。ハプスブルク家以前はフィレンツェのメディチ家の所有物だったとされる。
オーストリアの王冠装飾品の一部となっていたこのダイヤモンドが姿を消したのは、皇帝カール1世が国外亡命を求め、家族とともにスイスへ向かった1918年以降とされている。ユーロニュースによれば、ハプスブルク家所有の宝石類の一部は保護のためスイスに移送されたことが知られており、その過程で「フィレンツェ・ダイヤモンド」も消失したと考えられてきた。
ニューヨーク・タイムズ紙(NYT)によれば、ダイヤモンドの行方に関しては、「一家が現金化のため売却し、その後カットされて売られた」「ハプスブルク家の使用人に贈られ、その人物が南米に持ち去った」などさまざまな憶測が飛び交い、20世紀最大の文化財ミステリーの一つとされてきた。
◆限られた者だけの秘密 宝は意外な場所に
カール1世は、スイスの次に移住したポルトガル領マデイラ島で死去した。皇后のツィタと子供たちはスペインを経て、1929年にベルギーに移住した。ところが、1938年にはナチスがオーストリアを併合。皇太子のオットーを国家の敵としたため、ツィタは8人の子供たちを連れて1940年に渡米し、その後カナダのケベック州に定住した。家族によれば、ツィタは段ボール製の小さなスーツケースに宝石を入れて持ち歩いていたそうで、最終的にそのスーツケースをカナダの銀行の貸金庫に預けたという。ツィタは宝石を預けたまま1953年に欧州に戻り、1989年にスイスで死去している。(NYT)
ツィタは宝石の所在を息子ロベルトとロドルフだけに伝え、安全のため夫の死後100年間は秘密にしておくよう求めたという。ロベルトとロドルフは、自分たちが亡くなる前にそれぞれの息子に宝石の所在を伝えた。そしてつい最近になり、一族の秘密はロベルトとロドルフの息子たちにより、カール1世の孫であるカール・フォン・ハプスブルク・ロートリンゲンに伝えられた。3人はケベック州の銀行で他の宝石とともに保管されていたダイヤモンドと対面した。NYTによれば、鑑定士により、本物の「フィレンツェ・ダイヤモンド」であると判明している。
◆一般公開を希望 今後の所有権は?
孫のカールは、家族の大切な品々を守ったことを祖母はとてもうれしく思っていたように感じるとし、彼女にとって宝石を救い出すことは、歴史的に重要なことだったと話した。一族は、今後数年のうちにカナダの博物館でダイヤモンドの展示をしたい意向で、売却の計画はないとしている。(NYT)
しかし、1919年にハプスブルク家のオーストリア国内の私有財産を没収する法律が制定されており、国家の王冠装飾品だった宝石類の所有権がハプスブルク家にあるかどうかには疑問が残る。これに関しては、カール1世は法律制定時点で国外にいたため、持ち出した宝石類は没収法の適用対象外であり、現在は一族の私有財産として扱われてきたとNYTは説明している。
もっとも、オーストリアのアンドレアス・バブラー副首相は、「フィレンツェ・ダイヤモンド」がオーストリアに移管される可能性について調査を開始すると発表した。自国の所有物と判明した場合は回収手続きを開始すると述べており、一件落着とはいかないようだ。(ハンガリー・トゥデー)




