幽霊はなぜ裸ではなく、衣服や白装束を着ているのか

George Roux, Spirit (1885). Public Domain. Courtesy of Picryl.

著:Shane McCorristineニューカッスル大学、Reader in Cultural History)

 幽霊と聞いて何を思い浮かべる? 不気味でカビの生えた経帷子? 悪意に満ちた、超自然的な装甲(鎧)の塊? それとも、堅苦しいヴィクトリア朝のスーツを着た陰気な紳士?

 1863年、風刺画家でディケンズ作品の挿絵画家でもあるジョージ・クルックシャンクは、幽霊の見た目の多様性に関する「発見」を発表した。彼は次のように記している

誰も、衣服をまとった幽霊という存在の、途方もない不条理と不可能性について考えたことがないようだ……幽霊は体面を保つためにも、服なしで現れることはできないし、許されない。だが衣服そのものの幽霊や霊というものは存在し得ないのだから、要するに幽霊はこれまで現れたことがなく、これからも現れるはずがないということになる。

 なぜ幽霊は裸で現れないのか? これはクルックシャンクやヴィクトリア朝の多くの人々にとって重要な哲学的問いだった。そして事実、裸あるいは衣服を着ていない幽霊の話は、(特に)民俗学の領域を除けば、極めてまれである。懐疑論者も幽霊を見る人も、幽霊が物質世界でどのように形や力を持ち得るのかを考えることを楽しんできた。彼らが、我々のこのありふれた(日常的な)現実と同じ次元を共有できるようにする「素材」とは、一体どんなものなのか?

 白い経帷子や埋葬用の覆いをまとった人物としての幽霊のイメージが何百年も象徴的地位を保ってきたのは、死体と霊の連続性を示唆するからだ。

 近代以前における幽霊の社会的役割の主たるものは、墓の向こう側から生者にメッセージを運ぶことだったので、埋葬衣との結びつきには納得がいく。これは中世の定型的主題である「生者三人と死者三人」にも見て取れる。そこでは、狩人たちが亜麻布に包まれた自分たちの未来の骸骨に出会い、死を忘れるなと戒められる。

 しかし19世紀半ばまでには、心霊主義や初期の心霊研究が西洋世界に広まるにつれ、日常的で同時代的な衣服を着た幽霊を見たという報告が現れ始めた。

 これは、幽霊の実在性を調べようとする人々には問題を提起した。もし幽霊が客観的な実在なら、なぜ服を着ているのか? 心霊主義の教義が真なら、地上に戻ってきた魂は光や、何か別のエーテル状の物質で形作られているべきではないのか? 霊の衣服もまた霊的なものなのか。そうだとすれば、それは(幽霊の)本体と本質を共有しているのか、それとも衣服それ自体の幽霊なのか?

 観念論的な立場から、衣服は不滅の着用者のアイデンティティに結びついた形而上学的な概念である、と言うこともできる。

 別の説明としては、幽霊を見る者が無意識の過程で自動的に幽霊に服を着せる、というものがあった。だから、我々がその人物の通常の服装で幽霊を見るのは、我々がその人について心に抱くイメージ(心象) であり、その服装のほうが認知しやすいからだ、というわけだ。

 批評家で人類学者のアンドリュー・ラングは1897年、夢見ることと幽霊を見ることを比較し、こう述べた

我々は、ふつう夢の中で人が裸でいるのは見ない。幻覚は覚醒時の夢であり、同じ規則に従う。もし幽霊が我々の目の前でドアを開けたりカーテンを持ち上げたりするなら、それもまた幻想の一部にすぎない。ドアは開いていないし、カーテンも持ち上がっていない……それは、催眠患者に「手が火傷した」と言い聞かせると、その想念が本物の水ぶくれを生み出すのと同じ仕方で生じたのだ。

 ラングにとって、幽霊の衣服は夢を構成する素材そのものだった。そこには、幽霊を見る者は幽霊に服を着せはするが脱がせはしない、という含意があるように思える。これは、19世紀の霊が全体として清潔で貞節だとする広く行き渡った道徳観を反映しているようだ。夢に裸がないというラングの奇妙な前提も、それに呼応している。

◆霊の物質性
 ヴィクトリア朝では、流行や衣服は階級・ジェンダー・職業を識別する中心的な手がかりだった。召使い階級の幽霊は、とりわけ顔や声よりも衣服と強く結びついていたようで、1908年に「ストランド・マガジン」に寄せられたある幽霊報告にもそれが表れている。

 そこでは、ある目撃者がこう報告している。「その姿には超自然的なところは何もなく、ただの召使いが薄いコットンの服を着て……白いキャップをかぶっているとしか見えなかった……全体としては家政婦のように見えたので、私が思い浮かべたのは彼女だった。料理人とはまるで違っていた。料理人はもっと暗い色のコットンを着ていたからだ」

 衣服は人を識別し、表象可能にする。裸は、この即時的な分類手段を乱す。

 幽霊の衣服という問題は、超自然の歴史を研究する者にとって興味深い。というのも、その糸を引っぱると、心霊主義における物質についての前提がほつれてくるからだ。幽霊は生前に被った傷や障害を保ち続けるのか? では、霊の官能的な肉感はどうか――降霊会の場での生者と死者の触れ合い、接吻、そして媒介者の体の孔から写真に撮られた「エクトプラズム」(ガーゼのような霊的物質)は? 生者が幽霊と性交することすらあり得るのか?

 こうした複雑な議論は21世紀になっても消えていない。実際、「スペクトロフィリア」――つまり幽霊への愛着――は、今日インターネットで活発に論じられている嗜好だ。生者の世界において霊がどのように物質化するのかという長い歴史における、さらなる展開である。

This article is republished from The Conversation under a Creative Commons license. Read the original article.
Translated by NewSphere newsroom

The Conversation

Text by Shane McCorristine