夢の5大リーグに到達 瀬古歩夢選手、苦闘と成長のスイス3年半

試合後、記者陣の方へ向かって来る瀬古選手

 スイスの名門グラスホッパー・クラブ・チューリッヒでの苦労を糧に、フランス1部(リーグ・アン)のル・アーヴルACとの契約を勝ち取った瀬古歩夢選手。スイスで過ごした3年半を振り返る。

◆監督が期待した「ロックスター、アユム」
 1886年創設の歴史を持つグラスホッパー・クラブ・チューリッヒは、2018-19シーズンに1部最下位となって2部へ降格し、2シーズンを経て2021年に1部復帰した。復帰後の躍進に一役買ったのが、2021年夏、サンフレッチェ広島から初の日本人として移籍した川辺駿選手だ。「自分の活躍によって次の日本人選手の契約につなげたい」と意気込んだ通り、2022年1月にセレッソ大阪から瀬古選手が加入した。

 当時のジョルジョ・コンティーニ監督は「ハヤオはクラブの日本大使、アユムはロックスター」と評し、日本人選手の活躍に期待を寄せた。翌年には原輝綺選手もエスパルスから半年間の期限付きで加入。瀬古選手がホテル住まいだった原選手の食事を用意するなど、日本人3人がお互い支え合って活躍する姿は現地でも温かく受け入れられた。

キックオフ直前の様子。川辺選手(左)と

 瀬古選手の特徴は、自分を厳しく批判し、それを言葉にできること。そしてそれを乗り越える信念の強さだ。世代別代表で鍛えられた経験がその強さを支えているのだろう。

 それと対極にある脱力感とのバランスも魅力だ。サッカーを好きになったきっかけは「名探偵コナンがサッカーボールを出して事件を解決するのがカッコよかったから」と話す。困難な状況でも凹まず、「もともと、あんま考えてないんで……」とさらりと流し、前向きに結果へつなげる。現地の日本人会にも自然に溶け込み、新規ファンを増やしていく自然な人柄の良さも際立っていた。

◆ひとり残り、チームを引っ張る存在に
 3人の日本人選手を追いかけた4年間に、コンティーニ元監督が言う「サッカーはビジネス」という厳しい現実を目の当たりにした。

 川辺選手は夢のイングランド・プレミアリーグのウルバーハンプトンと移籍契約を結んだものの、経営陣交代で一変。プレミアリーグでのプレーは幻と消え、ベルギーへ移籍した。原選手は怪我を負い、半年の契約期間を終えて日本へ帰国した。そうして瀬古選手がひとり残され、奮闘した。

 相当つらい時期だったようだが、当時はそんな様子も見せず、負けが続くチームを支え続けた。その姿勢が評価され、日本代表に継続的に召集され、試合でも活躍した。

対戦相手のBSCヤングボーイズの選手に慰められる瀬古選手

 2022年にスイスに来た頃はやんちゃさを残していた顔つきも、次第に責任感を帯び、後輩選手を車で送迎するなど、リーダーとして存在感を増していった。「自分が抜けた後に降格は避けたい」と語った通り、最後までクラブの1部残留に貢献し、契約満了を迎えた。3年半応援してきたチューリッヒのファンにとって、その姿は希望だった。

◆未来への展望と執念
 移籍先を巡ってはアメリカや東欧のクラブも報じられたが、瀬古選手はじっくりと5大リーグを見据えていた。シーズン終了後、「またスイスに一度戻って来るから」と荷物を残して、日本代表としてプレーするために帰国。その言葉通り、フランスのクラブと契約してヨーロッパに戻って来たのだ。有言実行の姿勢を示した格好だ。

 ル・アーヴルACでも厳しい自己批判とオープンマインドで、さらなる成長を遂げるだろう。クラブは8月31日、OGCニースに3対1で勝利し、今期初白星を挙げた。瀬古選手の新たな挑戦が、さらに輝きを増すことを期待したい。

グラスホッパーのクラブハウスで

在外ジャーナリスト協会会員 中東生取材
※本記事は在外ジャーナリスト協会の協力により作成しています。

Text by 中 東生