「お母さん、赤ちゃん泣いていいんだよ」言えなくても伝えられる、優しいステッカー

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 赤ちゃんの仕事は泣くこと、とは言うけれど、実際に公共の場で泣かれると親はツライ。子どもが泣いていることがツライのではなく、周囲の目がツラいのだ。

 そんな親たちを応援するために、エッセイストの紫原明子さんの発案で作られた「泣いてもいいよ!」と書かれたステッカーを配って理解を求めるという「WEラブ赤ちゃんプロジェクト」が昨年、こどもの日である5月5日に立ち上げられたという。ウーマンエキサイトによって発足されたこのプロジェクト、ウェブサイトを見ると現時点で約1万5000人の賛同数を集めている。

◆日本は子どもに冷たい社会?
 筆者も子育てをしている母親の一人として、「泣いてもいいよ!」と言ってもらえると本当に救われた気持ちになることを強調したい。そして、そういう場面でひと言、声を掛けてくれた人たちの存在はありがたく、忘れられない。大げさに聞こえるかもしれないが、本当に「あの時のご親切は一生忘れません」という気持ちになるのだ。

 だからと言って、日本が子どもに冷たい社会であるとは思っていない。筆者はカナダ在住なのだが、「住みやすい国」の一つに毎年名前が挙げられるここでも、公共の場で子どもに泣かれると日本にいる時と同様にツライ。

 でも一番違うのは、「どうしたの? お腹空いたのかな?」「泣かないで! お母さん困っちゃうよ!」などと声を掛けてくれる人の数だろう。カナダでも明らさまに嫌悪感を示してくる人はいる。考えてみると、結構、嫌な思いもした。実際に、泣き止まない子どもに対する ―正確には、泣き止ませられない私に対する― 視線に居たたまれなくなって電車を降りたこともある。でも、日本と比べると圧倒的に、「大変ね」と声を掛けてくれる人が多いのだ。

◆無言のサポーターが子どもを育てやすい社会を作る
 もちろん、みんな声を掛けるべきだと言うつもりは全くない。ただ、子どもが泣き止まないと親はどんどん疑心暗鬼になってくる。「正面に座っているあの人、黙ってるけどきっと迷惑だと思ってる……」と、勝手に自分を追い込む。親のそんな平穏でない心の動きを感じ取り、子どもはさらにギャン泣きするという負のスパイラルだ。

 そこで、このステッカー案に対して、なるほどね、と思うのだ。言葉にしなくても、「大丈夫だよ」というメッセ―ジを送ることができるから。無言のサポートを送ることができる。「妊婦様のアピールなのか?」と、本来の使い方とは全く異なる誤解を受けてしまっているマタニティマークとは異なり、このステッカーは“周り”の人たちが持つものだからだ。

◆泣く赤ちゃんとも共存を……
 私は毎年子どもを連れて日本に里帰りするが、泣き止まない時には奥の手を使っていた。それは、英語を話しだすこと。冷たい視線を送っていた人の注意をそらす作戦だ。今考えれば笑えるが、「うるさいな」とだけ思って泣き声に集中する人々の注意を「え? 英語?」という驚きで誤魔化すという、猫だましの禁じ手である。意外と子どもも「あれ?」と思って泣き止んだりする(この点で、最初から英語を使ってはいけないのだ)。

 本題に戻ると、マナーの悪い親は確かにいるけれど、好きで赤ちゃんを泣かせている親は一人もいないはず。いたとしたら、それは別の大きな問題である。赤ちゃんが泣いた時、子どもが愚図った時、親はできるだけの努力をし、周りはできるだけの理解を示す。双方の協力姿勢で摩擦が減っていき、気持ちよく共存できる社会となるのが理想だ。結局、子どもが少ない社会は未来への伸びが期待できない先細りの社会であり、そういう意味では社会の全員が子育てを担っているのだから。

Text by 西尾裕美