癒しの音楽として注目されるヒップホップ
著:Alexander Crooke(メルボルン大学 Postdoctoral Research Fellow in Music Therapy)、Raphael Travis Jr.(テキサス州立大学 Associate Professor of Social Work)
2016年5月、ラッパーのT.I.のコンサート会場で死者を出す銃撃事件が発生し、当時のニューヨーク市警本部長ウィリアム・ブラットン氏は、この事件はラップという音楽と文化に起因していると決めつけた。銃規制というより広範な問題には触れず、「ラップ・ミュージシャンどもの狂った世界」は「基本的に暴力を歓迎している」とブラットン氏は指摘した。
ヒップホップ文化とラップ(ヒップホップ音楽を通して普及した歌唱方法)には、かれこれ40年以上ネガティブなイメージがつきまとい、ブラットン氏のような多くの人々に神への冒とく、女性蔑視、暴力、犯罪といった先入観だけを植え付けてきた。アメリカの検察官連中は、ラップの歌詞は犯罪の脅威だというレッテルを貼り、ヒップホップが子どもに及ぼす有害な影響に関する研究が数多く行われている。
ヒップホップの歌詞の内容が直接的で、暴力への賛美、薬物使用、性差別を含むものが多いことは否定できない。多くの人々が、神への冒とく、物質主義、メインストリームのラップ音楽でもてはやされている危険なメッセージにばかり目を向けるが、ヒップホップ文化は根本的に、社会正義、平和、敬意、自尊心、仲間、楽しむという価値観の上に成り立っている。そして、その価値観が評価され、ヒップホップは今、若者向けのセラピーのツールとして注目されつつある。
スクールカウンセラーや心理学者、ソーシャルワーカーは、メンタルヘルス対策にヒップホップを標準オプションとして取り入れることを促進している。実際、ケンブリッジ大学の「ヒップホップ心理学(hip hop pysch)」なる精神分析医グループでは、ヒップホップが研究の中心となっており、メンタルヘルス向上のツールとしてヒップホップを活用している。ラップを「音楽セラピーの完成形」とする向きもある。
ニューヨークで誕生したヒップホップ文化は今や世界的な現象で、ヒップホップシーンが何らかの形で存在しない国を探すのは困難だろう。このヒップホップの新しい波の原動力となっているのはふたつの要素だ。第一の要素は、ヒップホップをフォーブス誌の長者番付で独立したカテゴリを持つ世界で最も影響力のある産業のひとつにまで押し上げた、商品としての文化の商業化だ。
第二の要素は、ヒップホップが親しみやすく人々の生活に根差した音楽であり続けていることだ。簡単に言えば、ビートを刻むのは口(ヒューマンビートボックス)か学校の机でいいし、歌えなくてもどんなことでも歌詞にしてつぶやけばいいのだから。低価格で手に入る音楽制作ソフトウェアとハードウェアの急増によって関与できる範囲が広がり、柔軟な創造が可能となり、起業の道も開けた。