機械がアーティストに 作品の著作権は保護されるべき?

maxuser / Shutterstock.com

著:Andres Guadamuzサセックス大学 Senior Lecturer in Intellectual Property Law)

 オランダの博物館と研究者の共同チームが、「レンブラントの新作」と題した肖像画を発表した。芸術界に対する挑発ともとれる作品だ。披露されたのは長年失われていた未発見絵画ではない。17世紀のオランダの画家レンブラント・ファン・レインが残した作品の幾千もの特徴をコンピューターが解析し、生成した新たな1点である。

 この肖像画を描いたコンピューターはマシンラーニングと呼ばれる仕組みを使い、レンブラントの作品に見られる明暗、色使い、筆致、構図のパターンといった技巧と美的要素を解析し、再現している。このようにして完成したのが、レンブラントによる芸術作品のスタイルとモチーフをもとにしながら、アルゴリズムにより生成された肖像画だ。

 コンピューターの手による芸術作品はすでに多数発表されており、肖像画はそのうちのひとつに過ぎない。2016年には日本のコンピュータープログラムが書いた短編小説が、国の文学賞の一次選考を通過した。またGoogle所有の人工知能 (AI) 企業ディープマインドは、録音した音声を聞けば音楽を作成できるソフトウェアを開発した。他にもAIを使ったプロジェクトは多数あり、コンピューターは詩の作成写真の編集、そしてミュージカルの構成までこなせるようになっている。

 しかしAIが創作した作品は誰のものになるのだろう。これは非現実的な問題ではない。音楽ジャーナリズムゲーム業界でAIを使った創作活動がすでに行われているが、その作品の作者が人間ではないため、理論上は著作権フリーで使用できるとみなされている。

 つまりコンピューターが生成した作品は、誰もが無料で使用することも、二次利用することも可能ということだ。コンピューターの売り手である企業にとっては痛手である。例えば何億もの投資をして、ゲーム音楽を作曲できるシステムを開発したとする。しかし完成した音楽が法律では保護されず、世界中の誰もが一銭も支払うことなく利用できてしまったらどうだろう。

 過去にもコンピューターが生成した芸術作品はあった。しかしマシンラーニングを使ったソフトウェアは従来のように人間が何かをインプットしたり操作したりしなくても、真にクリエイティブな作品を創造できる。AIはただのツールではない。人間はアルゴリズムをプログラミングするが、独創的なひらめきを生むのはほとんど機械の役目であり、どのような作品を生成するかは機械が決めることだ。

 だからといってコンピューターに著作権を与えるべきと言っているのではない。機械は (今のところ) 人間と同等の法的権利と地位を持たない。だから著作権は発生しないのかというと、そうとも限らない。著作権を所有するのは個人ばかりではないのだ。

 企業を法人とみなし、ある作品の制作に直接関わっていない場合であっても、著作権の所有を認めることが多々ある。例えば映画製作会社が、映画を撮るためにスタッフチームを雇う場合、あるいはウェブサイトの運営会社がジャーナリストに記事の執筆を依頼する場合などがこれに該当する。この例に倣えば、 (法人、個人を問わず) AIを上手く使って著作権が発生するような作品を生み出した人物が、著作権を獲得できることもあり得る。

 しかし現行の法律では、そう簡単に著作権を認めることはできない。AIに対する著作権の適用は国際条約で規定する範疇にないため、どこの法律に従うかによって結果が異なる。

 イギリスを始め、アイルランドやニュージーランド等の国々では、コンピューターが生成した作品に著作権を認めている。この場合、著作権の所有者は「創作活動に必要となるプログラムを作成した人物」とされる。一方その他ヨーロッパ諸国の法律には、AIの著作権に関する規定がない。しかしスペインドイツなど様々な法域で、人間による作品のみが著作権保護の対象となり得ることが示唆されている。

main

音楽を作るロボット? maxuser / Shutterstock.com

 また欧州司法裁判所の判例法では、著作権は独創性のある作品にのみ適用され、独創性には「作者自身の知的な創作活動」が反映されるべきであると度々言明されている。この文言は通常、独創性のある作品とは、作者のパーソナリティが反映されたものであるべきと解釈される。つまり作者が人間であることが、著作権の発生する条件であることを明確に示しているのだ。

◆人間の介入が条件として必要か
 その他の法域においては、状況がよりいっそう複雑化している。オーストラリアのある判例法は、作品の制作にコンピューターが介入した場合、それは人間の作った作品ではないので、著作権は適用できないと言明している。アメリカではまだ議論の余地があり、コンピューターの生成した作品の著作権を保護すべき否かで、様々な分野の専門家が意見を違えている。

 創作活動にAIツールを導入するアーティストが増え、機械の独創性を再現する技術が高度化した結果、芸術作品が人間とコンピューターのどちらの手によるものか判別が困難になると、著作権の問題はさらに複雑化するだろう。コンピューターの技術が大きく進化し、膨大な処理能力を利用できるようになれば、アーティストが人間か機械かという区別は意味を失くすかもしれない。そのような時代が到来した時、人間がほとんど、あるいは全く介入することなく、AIのアルゴリズムのみにより生成した新たな作品に対し、何かしらの保護を与えるのであれば、それはどのような保護であるべきかという決断を迫られるだろう。

 最も良識的な判断は、AIの作動を可能にした人物に著作権を与えるとする国々に従うことだろう。つまりイギリスの考え方が最も効果的と思われる。そうすれば企業はテクノロジーの開発に投資を続けることができ、そのノウハウも保護されるので利益を損失することもない。コンピューターに人間と同等の地位と権利を与える是非について真剣に考えるのは、著作権とはまた別の話だ。

This article was originally published on The Conversation. Read the original article.
Translated by t.sato via Conyac

The Conversation

Text by The Conversation