Googleストリートビューから生まれるアートの数々
著:Allison L. Rowland(セント・ローレンス大学 Assistant Professor of Performance and Communication Arts)、Chris Ingraham(ノースカロライナ州立大学 Assistant Professor of Communication)
2007年5月25日に誕生したGoogleストリートビューは、今年で10周年を迎えた。Googleマップの一機能であるストリートビューを使って、ユーザーは世界中の都市や町を探検できるだけでなく、会社や(ホワイトハウスを含む)政府機関の中を覗くこともできる。ストリートビューに着想を得て、ランダムに表示される場所が世界のどこにあるかを当てるジオゲッサー(Geoguessr)のようなゲームが生まれた一方で、Googleカーの車載カメラが捉えたおもしろ画像を記録しているユーザーもいる。
また、Googleストリートビューは、あらゆるジャンルのアーティストに豊富なネタを提供し、写真キュレーション、ミュージックビデオ、即興演奏など、さまざまな創作活動に刺激を与えている。
一体、Googleストリートビューの何がクリエイティブな人々をそこまで惹きつけるのか。それはおそらく、学者のダナ・ハラウェイ氏が「神のトリック」と呼ぶところの幻想、つまり、すべてを見たいという叶わぬ欲求をストリートビューが体験させてくれるからだ。
世界中の公共空間をいとも簡単にオンデマンドで見られる機会はいまだかつてなく、この10年間、監視行為からセックスワークに至るさまざまな問題について意見を表明するために、アーティストたちはこの莫大な力を巧みに利用してきた。
◆Googleの膨大なアーカイブはネタの宝庫
Googleストリートビューのすべてを見通す力の大きさをテーマにするアーティストたちがいる。マイケル・ウルフ氏の作品『A Series of Unfortunate Events(訳:一連の不幸な出来事)』は、自転車事故から火事に至るまで、印象的な画像をGoogleストリートビューから集めたものだ。全体的に見ると、Googleの膨大なアーカイブから集めたウルフ氏のコレクションは、世界そのものの広大さを表している。ひとつひとつを見ると、彼の画像は強烈な印象と親近感を与える。
時にGoogleストリートビューは、政治的な理由でアーティストたちを惹きつける。ストリートビューが人類の歴史において最も包括的な監視メカニズムのひとつとなっていることを考えれば、テクノロジーに対する不信感が生まれてもおかしくはない。
ジョン・ラフマン氏の現在進行中の作品『The Nine Eyes of Google Street View(邦題:神の9つの眼)』は、人類と監視行為との不安定な関係を映し出している(題名の『9つの眼』は、1台のGoogleストリートビューカーの屋根の上のポールに設置されたカメラの台数を指す。しかし、その数は15台に増えている)。
ストリートビューが発表されてから1年が経った2008年、カメラが撮影した通行人の身元を保護するため、Googleは顔ぼかし技術を採用した。しかし、技術には障害がつきものだ。ウサギの着ぐるみに入った男性の顔にぼかしが入っているラフマン氏の画像は、隣にいる「本物の」人間の顔と並んで不気味な印象を与える。そう、Googleストリートビューはマスクを被った人間と生身の人間を区別できないのだ。ラフマン氏の画像は、自分も「顔のない」存在になってしまうという、大衆監視体制の最も根源的な恐怖を引き出す。
ほかのアーティストは別のアプローチを取っている。ダグ・リカルド氏は、『A New American Picture(訳:新たなアメリカの写真)』と題した展示で、開発の波に取り残された地域に生きる人々の画像を集め、アメリカの「忘れられたストリート」を記録した。ハリー・ドーカティ氏は、有名な絵画やレコードジャケットを現代の背景に合成するためにGoogleストリートビューを使っている(現在のアビー・ロードを横断するザ・ビートルズ、など)。ジャスティン・ブラインダー氏の作品『Vacated(訳:立ち退き後)』は、Googleストリートビューの画像をGIFに変換し、ジェントリフィケーション(都市再開発)によって変わるニューヨークの街角のビフォーアフターを交互に見せている。
◆カメラが捉えるのは必ずしも真実とは限らない
そして、通り過ぎるカメラの前で演技をする人々がいる。アーティストとは呼べないが、彼らの即興と創造力はアーティスト顔負けだ。近づいてくるGoogleカーを認めた普通の人々が、あるシーンを思いつき、即興で演じる(ベルリンのやらせ出産シーンやスコットランドのやらせ殺人シーンがいい例だ)。我々のリサーチでは、このようなパフォーマンスを、生まれるや否や消えゆく運命にあるシーンの束の間の命を考慮して、タブロー・ヴィヴァン(活人画)と呼んでいる。
ストリートビューによるアートを非難する向きもある。ミシュカ・ヘナー氏は『No Man’s Land(訳:中間地帯)』と題した作品で、イタリアとスペインのいわゆる「ジョン」(買春)地域をストリートビューで調査し、セックスワーカーとおぼしき女性たちの画像を集めた。彼の作品は、Deutsche Börse Photography Prize(ドイツボーズ写真賞)の最終選考に残ったが、賛否両論を巻き起こした。セックスワークに従事することによる日々の危うさ(そして倦怠感)を伝えた画像を評価しつつも、撮影された女性たちが実際に売春婦だと仮定するのは性差別だとする意見もあった。
何より、この作品が突きつけたのは、Googleのカメラが撮影した画像をただ集めただけの写真家たちの著作者資格に関する問題だ。しかし、ある批評家が指摘したように、Googleストリートビューは、ジャンルとしてのストリートフォトグラフィーがどのような意味を持つのか我々に改めて考えさせる。Googleの移動カメラを踏まえたうえで。
この、マッピングツールとアートの奇妙な接点は、今後どのような展開を見せるのだろうか。断言はできないが、視聴者が子どものころに住んでいた界隈のGoogleストリートビューの画像がノスタルジックなモンタージュで挿入されるアーケイド・ファイアの実験的ミュージックビデオのような、Googleとアーティストのコラボがさらに増えても不思議ではない。また、Googleストリートビューを題材にするアーティストのほとんどが男性の視点を表現する傾向があるので、女性の参加が増えることが望ましい。
リリースから10年が経った今、Googleストリートビューはもはや目新しいものではない。だからといって、芸術的な活動や介入の可能性が低くなることはない。このプラットフォームは地球上の公共空間の画像をどんどん集めているし、複合・拡張仮想現実技術はますます社会に浸透している。そもそも意外なインスピレーションの源だったプラットフォームからアートを生み出す新しい独創的な手段が発見されることを期待したい。
This article was originally published on The Conversation. Read the original article.
Translated by Naoko Nozawa