ショッピングモールは死んだのではない — 変化しているだけだ
著:Stefan Al(ペンシルベニア大学, Associate Professor of Urban Design)
現代のアメリカには、客の入っていない郊外のショッピングモールが幾千も点在する。建物が朽ち果て、駐車場のアスファルトがひび割れた様子を描く追悼記事が、次から次へと掲載され、いずれも最後に「モールは死んだ」という同じ結論にたどり着く(その衰退を記録するウェブサイト「DeadMalls.com」まで存在する)。
しかし、8,000マイル離れた場所には、モールの未来を占うかのような新たなビジョンが根付きつつある。
香港には300以上のショッピングセンターがある。しかし都市のモールの大部分はアスファルトの駐車場ではなく、地下鉄駅の上部や高層ビルの下階に位置している。私の著書「Mall City: Hong Kong’s Dreamworlds of Consumption」では、多くの高層ビルと連結してメガストラクチャーを形成するモールについて記述している。そこには何千もの人々が建物から一歩も出ることなく暮らし、働き、遊ぶことができる「都市」があるのだ。香港には世界一高い垂直型モール「モールスカイスクレイパー」がある。26階まであるモールの買い物客は、縦横に交差する「エクスプレセーター(高速エスカレーター)」を利用して高くそびえる吹き抜けを上っていく。
現在、中国本土や世界中のデベロッパーが香港の手法を取り入れつつある。しかし、それが郊外型ショッピングモールの失敗を改善できるのか、それともただ悪化させるだけなのだろうか。
◆モールの不十分なビジョン
香港でこういった都市型モールの建設が始まったのは、香港政庁(編注:1997年に中華人民共和国へ返還されるまでイギリスが設置していた香港の統治機関)が地下鉄会社(MTRC)を立ち上げた1975年以降になる。MTRCは地下鉄路線の建設だけでなく、土地開発も手掛けた(ほとんどの都市では公共交通機関とデベロッパーは別個の存在だ)。このユニークな手法により、香港の都市では地下鉄駅とオフィスやショッピング施設をシームレスに統合することができたのだ。
香港の都市型メガモールは、すぐに世界最多の来客数を誇るようになった。
香港の都市型モールは、アメリカの郊外型モールと異なり、モールの生みの親であるビクター・グルーエン氏が本来描いていた構想に近いものだ。グルーエン氏は1956年、アメリカのミネソタ州でサウスデールセンターという世界初のショッピングモールを設計した。サウスデールセンターにはアンカーストア(編注:モールやショッピングセンターなどで中核となる大規模店舗)やエスカレーター、そしてガラス屋根の吹き抜けなど、現代のモールにも通ずる機能が数多く備わっており、空調完備の完全な屋内型ショッピングセンターだったのだ。
しかし、サウスデールセンターでは彼のビジョンをすべて達成することはできなかった。オーストリアから移り住み、 GrünbaumからGruen(ドイツ語で「グリーン」の意)と改名した彼が望んだのは、単なるショッピングセンターを超えたショッピングモールだ。彼はそれをマンションやオフィス、公園や学校といった生活拠点を携えた新たな街の中心地にしたかった。そして、街が無秩序に広がって活気を失っていく、という郊外のスプロール現象を一新したかったのだ。
結局、彼の夢が実現することはなかった。アメリカのモールは他を寄せ付けない存在となり、フランケンシュタイン博士が生んだモンスターのように、グルーエン氏が抑制しようとした激しい消費主義をかえって助長することになったのだ。
グルーエン氏は1978年に「私はそのようなろくでもない開発に金を使いたくない」と話している。また同氏は同年、「The Sad Story of Shopping Centers(ショッピングセンターの悲しい話)」と題されたスピーチで、モールの「悲劇的な低質化」を嘆いている。
グルーエン氏によると「手っ取り早く金儲けがしたいだけのプロモーターや投資家」の手によって図書館や診療所といったコミュニティ指向の機能は排除され、彼のビジョンが貶められてしまった。アパートや公園に囲まれたモールになるはずが、デベロッパーは「土地を無駄遣いして醜く不快な駐車場の海を作った」という。さらに悪いことにショッピングモールは多くの人を呼び込み、「すでに苦痛にあえいでいた都市から、かろうじて残っていた活動を奪うことでとどめを刺したのだ。」
結局、グルーエン氏は古い町の南にたった一つショッピングモールを作っただけで、1964年、ウィーンに戻った。
◆まだ消費主義に汚染されているのか?
しかし、ビクター・グルーエン氏が香港の都市型モールを見たらどう思うだろうか。これらのモールは高密度の多目的コミュニティであり、周りにあるのはアスファルトと自動車の海ではなく、アパートや歩行者だ。別の意味で、香港のモールはグルーエン氏のビジョンを超えている。公共交通機関と一体化し、驚くほど高い吹き抜けがあるのだから。
たとえば、香港のユニオンスクエアは、地下鉄駅の真上にそびえる大規模建造物で、低層階のポディウム部にはショッピングモールが、そして上階のタワー部には住宅やオフィス、ホテルなどが入っている。敷地面積は35エーカー(約4万3000坪)と、ペンタゴン(アメリカ国防総省の本庁舎)と並ぶ規模だ。そこに約7万人が暮らしている。この巨大な建物は、自己完結型の「街の中にある街」というまったく新しい都市生活のコンセプトを体現している。ただ、そこに道路や街区、個々の建物がないというだけだ。
このような都会的な構造は確かに便利だが、すべてが紐づけされて成り立っている。ポディウム部とタワー部に分かれた住居兼商業施設ビルにはよくあることだが、ユニオンスクエアの場合もショッピングモールはあえてすべての歩行者の通り道にあたる場所に設置されている。建物の入り口から住居、オフィス、交通機関などそれぞれの区域に行くには必ずここを通らなければならない。
商業エリアを見逃すこともなければ、避けて通ることもできないのだ。
そうなると、何百万人もの住民や歩行者は、自ら選んで商業エリアに足を踏み入れるのではなく、必然的にそこに入らざるを得なくなる。すると消費主義文化が常態化してしまうのだ。毎日の生活がモールの敷地内で営まれ、民間のショッピングセンターが公共広場の役割を担うことになるのだ。香港のマンションは狭く、夏は暑くて湿度も高いことから、自然とモールが人の集まる場所になる。広いし、エアコン代も無料なのだから無理もない。ウィンドウショッピングや買い物も楽しめる。
この点でいえば、香港のモール型都市は「グルーエン・トランスファー」の可能性を大いに秘めている。これは学者による造語で、建築家のビクター・グルーエン氏に対する皮肉がこめられている。つまり、モールの曲がりくねった通路を通ることで、人は欲しい商品を買うのではなく、ただ買い物をするために買い物をしてしまうようになる、というものだ。
モールの生みの親は「巨大なショッピングマシン」のせいで都心の小さな個人商店が閉鎖していくことを嘆いていた。この「マシン」が「街」になったと知ったら、彼は草葉の陰で嘆くはずだ。
◆香港のモールは世界に広まるのか?
グルーエン氏の発明は、今新たな運命の岐路に置かれている。
香港の都市型モールの発展は、深センや上海など、コンパクトで公共交通機関を拠点とした利益性の高い開発事業を狙う都市にとっては、羨望の的だ。
アジアの超高密度都市型モールは、アメリカの都市にも出現している。マイアミの中心部にはブリッケル・シティセンターという5階建てのショッピングモールがある。このモールは3つの街区に分かれており、上部には3つのタワービルがそびえたつ(建設したのは香港のデベロッパーだ)。ニューヨーク市では、アメリカ最大の民間開発プロジェクトであるハドソンヤードに、2つの高層ビルと連結する7階建てのモールを建設中だ。世界貿易センターの中心に位置し、サンティアゴ・カラトラバ氏がデザインしたオキュラスには100以上の店舗を抱えるモールがある。白いアバラ骨の間を抜けるような吹き抜けは、自撮り棒で写真を撮る観光客でいっぱいだ。ここは交通の要としてオフィスビルと電車や地下鉄を結んでいるため、商業施設もまた毎日5万人もの通勤客でにぎわっている。
要するに、モールは「死んでいる」わけではなく、ただ変化しているだけなのだ。
この開発モデルは、国内の消費主義が急速に進む中国で非常に人気が高い。ホテル、オフィス、駐車場、ショッピング、コンベンションセンターの頭文字をとって「HOPSCA」などと呼ぶデベロッパーもいるほどだ。
しかし、本来はショッピングモールが中心であるはずのプロジェクトを正しく称するなら、頭に「S」をつけ、「Shopapocalypse(ショップのアポカリプス)」の略で「SHOPCA」とするのが妥当ではないだろうか。
This article was originally published on The Conversation. Read the original article.
Translated by isshi via Conyac
photo Kansir/flickr, CC BY