海外メディアも報じた長嶋茂雄さんの訃報 「ジャイアンツ王朝の要として活躍」
江戸村のとくぞう / Wikipedia Commons
「ミスター」の愛称で親しまれてきた長嶋茂雄さんが2025年6月3日、都内の病院で肺炎のため亡くなりました。
海外メディアも長嶋茂雄さんの訃報を報じる
海外メディアも続々と報じており、アメリカメディア「The New York Times」は長嶋さんについて、「1960年代から70年代にかけて伝説的だった読売ジャイアンツ王朝の要として活躍した」と紹介。
日本で最も称賛された野球選手であり、第二次世界大戦後の復興と経済大国としての力をつけつつあった日本の象徴だと述べています。
ファンを惹きつけたのは、野球のずば抜けた才能だけではありませんでした。
端正な顔立ちとカリスマ性を備え、1965年に結婚するまでは「国内で最も魅力的な独身男性」と呼ばれていたことにも触れ、「彼の動向はメディアによって逐一報道されるほど人々を魅了した」と伝えています。
さらに「彼のトレードマークの一つは勤勉さ」だとし、長嶋さんを育てた川上哲治元監督の下では、夜明けから夕暮れまで練習に励んだり山で過酷なトレーニングに挑んだりしたそうです。
またスポーツメディア「ESPN」は、長嶋さんを「三塁手として活躍し、打率.305、2,471安打、1,522打点、444本塁打を記録した」と言及。
1975年から1980年まで巨人の監督に就任するも、チームが日本シリーズ優勝を逃したため解任されてしまいます。
しかし1993年に再び監督に復帰し、1994年には松井秀喜さんと共に、チームを日本シリーズ優勝に導きました。
数々の名誉を手にしながら、お茶の間では天然キャラをさく裂させ、飾らない人柄で老若男女問わず人気を集めてきた長嶋さん。
海外の人たちからは「ご冥福をお祈りいたします」「ショウヘイと映った写真が印象的だった」「ゴジラなど多くの名選手を育てた監督」「とてもショックだ」「素敵な人柄だった」「ミスターナガシマ、ありがとう」など感謝と惜別の声が多く寄せられました。




