“ホテルオークラ、壊さないで…”海外の9千人が嘆願 各界著名人からも惜しむ声

 日本を代表するホテルの1つ、東京・虎ノ門のホテルオークラ東京の本館が、建て替えのため、8月いっぱいで閉館となる。「日本の伝統美」を基本とし、日本のモダニズム建築の傑作と称される同館には、海外の熱心なファンも多いようだ。失われることを惜しむ声や、計画の再検討を求める声などが、世界各地から上がっているという。ホテルオークラ東京本館のどんなところが、それほど人々を引きつけたのだろうか。

◆「60年代のモダニズムの完璧な具現」
 英の月刊総合情報誌「モノクル」のタイラー・ブリュレ編集長によれば、ホテルオークラ東京本館は「60年代のモダニズムの完璧な具現」であるという(ブルームバーグ)。同氏は、計画見直しの嘆願運動を主導しており、9千人近い署名を集めたとのこと。

 ドイツ銀行韓国支店の最高業務執行責任者(COO)であるアンドリュー・リンジー氏も、ホテルオークラ東京本館のファンの1人だとブルームバーグは紹介。同氏は、「このホテルは、完璧なミッド・センチュリー・モダニズムの建築様式に、和の雰囲気が備わったもの」と語った。

 ウォール・ストリート・ジャーナル紙(WSJ)によると、ホテルオークラ東京は、デザインに関心を持つ旅行者にとって、何十年にもわたって非常に人気の目的地だったようだ。

 伊ファッションブランド「ボッテガ・ヴェネタ」のクリエイティブ・ディレクターのトーマス・マイヤー氏は、訪日の際はほぼ毎回、同ホテルに宿泊していたようで、オークラがなくなってしまったら、今後どこに宿泊するのか考えたくもない、と嘆いている。

◆海外客を魅了する、和を強く感じさせるロビー
 ホテルオークラ東京本館の大きな魅力は、ロビー、バーなどの公共スペースにあったようだ。ブルームバーグは、ファンが主として嘆いているのは、同ホテルの公共スペースが失われることだ、と伝えている。ブリュレ氏は「公共スペースの全てがすばらしい」と絶賛。なかでも、ロビーのたたずまいの魅力に関しては、多くのメディアが詳しく伝えている。ビジネスニュースサイトQuartzは、同ホテルのメインロビーは、木と障子と吊り灯(「オークラ・ランタン」)のまさに適切な調合で、ただ友人や同僚を待つだけでも、ほとんど瞑想的な経験になり得る、と語った。

 マイヤー氏は、1983年に初めて同ホテルを訪れた時のことを回想し、ロビーの光景は息を飲むものだったとWSJで述懐。あらゆるものが、日本の伝統的な職人と協力して、美しくしつらえられていた、と語っている。その中には、今となっては存在しない職人の技巧もあるとしている。

 ホテルオークラ側は、建て替え後も極力、インテリアを移転するなどして、現在のロビーの意匠を継承していく考えのようだ。

◆オリンピックのために貴重な文化財が失われる?
 東京では建築物がよく取り壊され、建て替えられているというイメージは、広く海外で共有されているようだ。東京は、数十年ごとに建築物を取り壊して建て替えることに慣れている、とブルームバークは語る。ここ数年では、パレスホテル東京とザ・キャピトルホテル東急で、1960年代からあった建物が取り壊され、高層複合ビルに建て替えられたと伝える。開業したホテル群は1964年東京オリンピックをにらみ建て替え期を迎えた、とのことだ。

 現在の本館は、1964年の東京オリンピックを控えた1962年に開業した。そして今回の建て替え後は、2020年東京オリンピックを控えた2019年に営業再開を予定。この点に注目しているメディアは多い。

 Quartzは、オリンピックの準備が日本にとって負担となっている、と指摘。新国立競技場に関しては、建設費用が問題になっているが、もしホテルオークラのような文化財も失われるのであれば、問題は金銭だけにとどまらない、としている。

 また建築物は時として、単なる建築物以上のものになる、と建築物の文化財としての側面も強調。建築物は町の記憶と性格に徐々に浸透していって、やがて町を特徴づけるのに寄与する、と語る。

 例えばシンガポールの1887年開業のラッフルズ・ホテルは、町を特徴づけるような施設として観光資源となり、経済的なよりどころとなっている。かつてインドネシアのジャカルタに存在したHotel des Indesも、よりどころになっていた可能性はあったが、1970年代に取り壊されてしまった。不動産開発業者はきっとそのホテルの撤去によって利益を得たが、町は利益を得ただろうか、とQuartzは疑問を呈す。そして、東京もホテルオークラで、これと同様の過ちをしようとしている、と語った。

Text by 田所秀徳