“移民の聖域”都市で無差別殺人、全米に波紋 共和党大統領候補「国境に壁作る」
アメリカ・サンフランシスコの観光地で1日、若い女性が無差別に放たれた銃弾によって死亡した。約1時間後に逮捕された容疑者は、国外退去処分の対象になっていたメキシコ国籍の男で、これが近年全米で高まっている移民規制強化を求める議論に火をつけた。容疑者は今年3月にも麻薬販売容疑でサンフランシスコ警察に逮捕されていたが、以前の犯歴により国外退去処分の対象になっていたにもかかわらず、連邦当局に知らされることなく釈放されていた。今回の事件は、釈放から約2ヶ月後に起きている。
国外退去処分を執行する合衆国移民・関税執行局(ICE)は、「ただ我々に釈放を知らせてくれていれば、この人物をただちに国外退去させ、事件を防ぐことができた」と、サンフランシスコ当局を非難する声明を出した。背景には、サンフランシスコ市が、「サンクチュアリ・シティ(聖域都市)」と呼ばれる“移民に優しい”政策を取っていることがある。
アメリカ社会では多発する不法移民による犯罪を受け、移民に対する規制を強化すべきだという声が高まっている。この事件がそれにさらに火をつけた、と全米のメディアが報じている。また、反移民政策を掲げて来年の大統領選に立候補を表明しているドナルド・トランプ氏は事件を受け、「南部の国境に強固な壁を作る」といった持論を声高に展開。移民を「犯罪者」「レイピスト」などと呼んではばからない同氏の発言も波紋を呼んでいる。
◆地元警察が連邦当局に黙って不法滞在者を釈放
事件は今月1日、観光客で賑わうサンフランシスコ湾の桟橋「ピア14」で起きた。父親と歩いていた32歳の女性、キャスリン・スタインリさんが突然腹部を撃たれ、死亡。警察は約1時間後に、メキシコ国籍のフランシスコ・サンチェス容疑者(45)を逮捕した。サンチェス容疑者は、拾った銃を触っていたら暴発し、たまたまスタインリさんに当たってしまったなどと供述しているという。
これだけなら、銃社会のアメリカでは「よくある事件」として、ローカルニュースにとどまっていたかもしれない。しかし、容疑者の経歴と当局の直前の対応が全米を巻き込む議論の種となった。サンチェス容疑者は、アメリカへの不法入国を繰り返しており、麻薬絡みを中心に、テキサス、オレゴン、アリゾナなど複数の州にまたがって7回の犯罪歴がある。そのため、5回の国外退去処分を受けており、6回目の不法入国を果たした今回も、麻薬販売容疑で3月26日にサンフランシスコ警察に逮捕されていた。
この麻薬販売容疑の告訴は最終的に取り下げられ、同容疑者は4月15日に釈放された。ICEは、サンチェス容疑者が今回の不法入国の時点で国外退去処分の対象であったにも関わらず、サンフランシスコ当局から逮捕時はおろか釈放時も一切連絡がなかった事を問題視している。これに対し、サンフランシスコ当局の関係者の一人はワシントン・ポスト紙(WP)に対し、“サンクチュアリ・シティ”としてのサンフランシスコ市の地位を尊重するべき、と匿名で反論。「我々は不法移民を連邦当局に引き渡すべきではないと考えている」と、“移民に優しい”市の方針を擁護している。
◆背景に自治体の“移民に優しい”保護政策
“サンクチュアリ・シティ”と呼ばれる移民保護を掲げる全米の主要都市(ロサンゼルス、ニューヨーク、ワシントンDCなど31都市)では、警察は容疑者の不法滞在歴を調べたり、滞在状況に影響を受けてはならない、としている。サンフランシスコ市当局も今回、複数のメディアの取材に対し、「未登録移民に対する寛大な方針により、これまでも必ずしも連邦当局の引き渡し要求には応じていない」と答えている。
これが、不法移民を取り締まる立場の連邦機関(国家安全保障省=DHC)と自治体との間に緊張関係を作り出している、とWPは記す。これまでは、警察が国外退去処分の対象になっている容疑者を拘束している場合、DHCの執行機関であるICEに、引き渡しとそのための拘留延長を求める権限が与えられていた。
このルールが昨年11月に変更された事も、今回の事態に至った背景にあるようだ。「プライオリティ・エンフォースメント・プログラム」と呼ばれる新しい方針では、国外退去の対象になっている人物を釈放する場合、事前に知らせるよう警察・地方当局側に求めている。ところが、その施行は今夏からとなっており、今回のケースに適用されるかは微妙だという。そのため、ICEとサンフランシスコ当局側に「事前告知」に対する認識のズレがあった可能性も指摘されている。
◆大統領選候補のトランプ氏、移民を「犯罪者」「レイピスト」と非難
この事件は、先の総選挙で移民対策が争点になったイギリスでも注目されているようだ。英デイリー・メール紙は、被害者のスタインリさんの生前の写真を多数掲載するなどして、事件とその後の議論を詳報している。同紙が特に注目するのが、トランプ氏が事件後に出したツイートだ。
それによればトランプ氏は事件直後、「我が国の南の国境は完全にコントロールを失っている。これはまったく恥ずべき状況だ。我々は国境のセキュリティを必要としている!」「私だけがそれを正すことができる。他の連中はこのことを話題にするガッツすら持ち合わせていない」などと投稿。さらに、被害者家族への哀悼メッセージの末尾に「我々には壁が必要だ!」と、当選した暁にはメキシコ国境に強固な壁を築くという従来からの主張を付け加えた。
不動産王として知られる実業家のトランプ氏は、来年の大統領選の共和党候補指名争いに名乗りを上げており、移民政策で過激な発言を繰り返している。地元メディア、『SF GATE』は、事件に対する関係者のコメントをまとめた記事で、既に大きな波紋を呼んでいる同氏の次の言葉を紹介している。「(移民)は、多くの場合、犯罪者、麻薬ディーラー、レイピストなどだ。この事は、長年の犯罪歴があり、5回国外退去になったメキシコ人によって若い女性が残忍に殺されたことで、今週はっきりしたばかりだ。この事件は何千もの同様の事件のたった1つにすぎない」。デイリー・メールによれば、トランプ氏はこうした「反メキシコ発言」により、多くのビジネスパートナーやスポンサー企業から関係を絶たれているが、主張を変えるつもりはないようだ。