追い込み漁のイルカ購入禁止、英豪メディア歓迎 “巨悪に立ち向かった”豪女性を賞賛

 世界動物園水族館協会(WAZA)は、日本の追い込み漁によるイルカ捕獲を問題視し、改善・除名を通告していた。日本動物園水族館協会はそれを受け、会員による投票を行い、追い込み漁によるイルカの入手を断念することを決定した。捕鯨やイルカ漁に生理的な嫌悪感を示す英米圏のメディアは、ほとんどが歓迎の論調でこれを伝えている。

◆日本を中心に報道したロイター
 ニュースの収集・配信を行う通信社系のロイターは、基本的には事実を述べるに終始しているが、それでも日本寄りの姿勢を取っているようで、日本動物園水族館協会(JAZA)の荒井一利会長の会見を中心に伝えている。

 まず、荒井氏の「WAZA(世界動物園水族館協会)の通告の裏には反捕鯨キャンペーンがあったと思う。いじめという言葉が妥当かは分からないが、圧力があったのは間違いない」との言葉を引用。

 また、日本では、スペースの問題からイルカの飼育があまり行われてこなかった日本の実情を説明。また荒井氏が遺伝的多様性を維持するためにも、野生の個体を導入する必要性を訴えたことも伝えている。

 さらに、2013年に和歌山県太地町の追い込み漁で捕獲された1,239頭のイルカのうち、172頭が生きたまま売られたが、日本の水族館に売られたのは20〜30頭であり、残りは中国や中近東など海外への売却だったことも伝えている。

◆英ガーディアンはオーストラリア寄り
 イギリスの大手新聞紙ガーディアンは、最近でこそだいぶ大衆向けにも舵を切ってきているが、イギリスの中道左派系・高級紙の代表格的存在であり、日本の報道に関しても非常に偏った見方を伝えることはほとんどない。しかし、今回のイルカの追い込み漁の問題に関しては、反対の立場を示した。

 同紙は、JAZAが太地町との「倫理に背くような」関係をやめない限り協会の資格停止に処する、という通告をWAZAが行ったことを伝えている。その後に、太地町のイルカ漁を描いた映画「ザ・コーブ」を引用しながら、太地町のイルカ漁を説明。さらウェブサイトに掲載された記事には、該当の文章の横に映画を彷彿とさせるような、イルカの血で海が赤く染まった写真を添え、それは太地町のイルカ漁についての記事へのリンクとなっている。

 また、WAZAが今回の通告を行ったのは、オーストラリアの動物愛護団体「オーストラリア・フォー・ドルフィンズ(Australia for Dolphines)」がWAZAに対して訴訟を起こしたことを受けた措置であると説明。陰からの圧力ではなく、法的な手段を通しての措置だったことを示した。

 団体の責任者であるサラ・ルーカス氏は今回のJAZAの決定に対し、非常に喜んでおり、同団体がさらにイルカ漁廃止に向けた活動を続けていくことを伝えている。

◆巨悪と戦うヒロイン像を示したオーストラリア
 反捕鯨・反イルカ漁運動の本拠地の1つとも言えるオーストラリアのメディアの中でも、一番古い歴史を持つ中道左派系のシドニー・モーニング・ヘラルドは、上述のサラ・ルーカス氏を大きく取り上げ、今回の一連の動きを伝えている。

 同紙はルーカス氏の「ダヴィデとゴリアテの戦いの最中にいるようだ」との発言を引用。「ダヴィデとゴリアテの戦い」は、旧約聖書に記された物語で、巨人兵士ゴリアテに、羊飼いの少年ダヴィデが1つの石を投げ打って倒す話だ。「オーストラリア・フォー・ドルフィンズ」が、フルタイムのスタッフはたった3人しかいないことを伝え、ウェブサイトに若くて美しいルーカス氏の写真を掲載。「小さくとも巨悪に立ち向かうヒロイン」として描き出している。

 また、ルーカス氏は「日本での合法的、平和的、礼儀正しいアプローチにこだわった」、それは「日本では、法律が非常に重んじられている」からだと述べている。過激な行動で知られる反捕鯨団代シー・シェパードが取るような強引で非合法的な方法では、問題の根本的な解決には到らないと、日本の実情をきちんと理解した上で法的手段に訴えたことを報じている。

◆太地町だけの問題ではなく
 「ザ・コーブ」という1本の映画が、英米圏に存在するクジラやイルカを捕獲することへの生理的嫌悪感と相まって大きな潮流を生み、常駐スタッフが3人だけという団体の活動の一押しで今回の結果となっているようだ。

 イルカ漁に対する和歌山県の見解では、欧米からの批判を受け、2008年12月以降は、イルカが苦痛を感じる時間を短縮した捕獲方法に改められ、殺傷においても出血もほとんどなくなっている、ということだが、その現状は日本国内においてもよく知られているとは言えないだろう。

 日本の実情をきちんと発信し、効果的な対策を取らなければ、太地町の問題という「他人事」ではなく、「水族館でイルカが見られなくなるかもしれない」という身の回りの問題に発展する、という一例ではないだろうか。

Text by NewSphere 編集部