クラシックファンの聖地、バイロイト音楽祭の凋落 世界的なオペラの終焉なのか?
クラシック音楽ファンなら誰もが一生に一度は訪れたいバイロイト音楽祭。チケット入手が難しく10年待っても取れない、そんな時代があった。アナログ時代には、チケットオフィスに郵送で頼み、抽選に当たるまで何年も待つ。それが唯一の入手法だったが、実際のところ一般人にはほとんど回ってこない幻のチケットだった。さすがにネット社会になり、2018年ごろからは誰でもチケット購入のホームページにアクセスできるようになったものの、アクセスできない混雑ぶりで、瞬時に完売していた。それがこの数年、音楽祭が始まってからも売れ残っている公演がある。なぜそうなったのか。
◆演出に立腹するファンの音楽祭離れ
バイロイト音楽祭とは、ドイツ・バイエルン州の小都市バイロイトで毎年7月から8月にかけて行われる、ワーグナーのオペラ作品のみを演目とする音楽祭。バイエルン国王のルートヴィヒ2世より寵愛を受けたワーグナーが、資金をつぎ込んで自分のこだわりを詰め込んで建てた「祝祭劇場」で行われる。1年に約1ヶ月間のみ、この音楽祭だけのために使われる劇場には、ワグネリアンと呼ばれるワーグナー信奉者が集まる。1876年に開催されて以来、世界中から最高の指揮者と歌手が集まる、クラシック音楽愛好家にとっての聖地であった。
しかし、このところ、そのワグネリアンたちを怒らせる演出が続いている。チケットが売れなくなった大きな要因の一つだ。オペラの初演時の台本を、時代や物語の設定をほかの時代や現代に移し、台本上の設定や役柄、プロットを変更する権限を演出家に認める「レジーテアター」と呼ばれる手法で演出することが今や主流となっている。演出家による独りよがりの難解で理解困難な演出が横行し、「名作を冒涜(ぼうとく)している」と立腹のファンが音楽祭から離れているのだ。
専門家らは、こうした独善的な演出を挙げて批判し、さらに指揮者、歌手陣のクオリティの低下も指摘している。かつては、ドレスコードも厳しく、ロングドレスに蝶ネクタイが一般的だったが、最近ではジーンズ姿も見かけるようになり観客の構成も変わってきた。もはや誰でも行けて、エクスクルーシブな社交の場ではなくなったことも、音楽祭の価値低下につながっているのだろう。
◆音楽文化国としての矜持、世界最高峰を守り続けた音楽祭
ドイツは、ナチスが新しい芸術や文化活動を退廃芸術として弾圧してきた歴史からも芸術や文化に寛容だ。「ドイツは文化国である」と宣言してきたメルケル前首相は、コロナ禍にダメージを受けた文化的事業に莫大(ばくだい)な予算をつぎ込んだ。ドイツは、市立・州立だけで約300の劇場、プロオーケストラが130団体を擁するなど世界でも比類なき音楽文化の国。国家を挙げて世界に冠たるバイロイト音楽祭を世界最高峰として守り続けてきた。
それが、今では最高水準であるべきバイロイト音楽祭にドイツ中が失望している。常連だったワーグナーファンのメルケル氏もオープニングに姿を現さなかったという。
◆改革を進めるも批判は増加、予算は縮小のジレンマ
バイロイト音楽祭はワーグナーが創設。没後は妻のコジマがその運営を引き継ぎ、代々ワーグナーの子孫が総監督に就任してきた。2009年からは、カタリーナ・ワーグナーとエファ・ワーグナーが総監督のポストに就いている。カタリーナが演出した『トリスタンとイゾルデ』の不評やチケットが売れないことへの責任を一身に浴びて、2024年には、初めてシモーネ・ヤングら3人の女性指揮者を起用するなど、さまざまな改革を進めていることをアピール。2025年から3年にわたる中国への引っ越し公演も発表された。
そんななか、ドイツの文化相クラウディア・ロートが、バイロイト音楽祭でもワーグナー以外のオペラを上演するべきだ、という趣旨の発言をして物議を醸している。
さらには、ドイツ政府の支援も困難になり、とうとう予算カットを強いられた。150周年の2026年には、人件費などコスト上昇を受け、規模が大幅に縮小されることになったと発表され衝撃が走った。
これは、今、ヨーロッパ全体の劇場や音楽祭が抱える問題でもある。国の政策として手厚い保護を受けてきた文化事業への予算が年々削られている。豪華な衣装や舞台美術はもはや舞台上にはない。作品は演出家により難解に解釈され観客との乖離(かいり)が激しい。
富裕層の寄付により比較的予算が安定しているニューヨークのメトロポリタン歌劇場ですら、ミュージカルとの境目のようなカジュアルな新作が登場してきている。
バイロイト音楽祭の現状は、世界の歌劇場にも影響を与えている。もしかすると、オペラという芸術が終焉(しゅうえん)するのではないか、とさえ思わせるのである。