消費増税見送りは、アベノミクス失敗の始まり…社会保障・税一体改革の原点に返れ

消費税率を10%にあげるべきか。安倍首相は12月初旬にも判断を迫られる。日本の税制問題について積極的な提言を行っている、森信茂樹・中央大学法科大学院教授/東京財団上席研究員のオピニオンを掲載する。

 安倍総理は、消費税率の10%への引上げを延期して解散総選挙を行うという。私は、政治論はともかく、経済政策として消費増税を先送りすることは、アベノミクスの失敗の始まりだと考える。

 理由は、今生じているわが国経済のもたつきの原因は、消費税8%への引上げの影響だけではない。アベノミクスの第1の矢により円安になっても、経済構造の変化から輸出が伸びない。第2の矢である公共事業を追加しても、資材や労働者不足から事業が進まない。これらはわが国経済の問題点が、需要不足ではなく供給側に問題があることを示している。これを解決するのが第3の矢だが、これはほとんど飛んでいない。すべて消費増税のせいにして解散することは、アベノミクス経済政策の失敗の始まりだ。

◆1.先送り論への反論
 私が消費税率引上げ延期論に反対する論拠は2つある。

 一つは、今回の消費税率引上げは、社会保障・税一体改革として行われたもの、つまり、少子高齢化の下でわが国の社会保障を持続可能なものにすることや、社会保障の財源を後世代の若者につけ回しするのではなく、可能な限り現役世代で責任を持ってまかなうようにすることが重要だという点である。

 従って、この判断は必ずしも短期的な経済情勢とは関係のないものであるということである。リーマンショック並みの経済変動が来ているなら話は別だが、経済が消費税8%への引上げから回復トレンドに復帰している限り、具体的にいえば7-9月のQE{速報値}が年率2%前後成長している限り、法律に決められた通り引上げを行うべきだと考えている。

 もう一つは、国家の信認の問題である。一度法律で決められた苦い選択を避けるということは、外国の投資家に「すき」を見せることになる。そこに付きこまれると、大きな経済リスクを招きかねない、ということである。

 例えば、「日本は経常収支が赤字、国内貯蓄も高齢化で減少、先進国最大の国債発行は国内では引きうけることができなくなった」というようなストーリーを作って日本売りを仕掛け、暴落した国債を後で買い戻すと言った投機で莫大な利益を手にしようと考えてもおかしくない。今は日銀はほぼ無制限に国債を買い支えるので、このようなことは生じ難いが、いずれ金融政策を正常化する「出口」が来るわけで、その際、底知れない国債価格暴落・金利高騰が生じるリスクは否定しがたい。

 デフレ経済下の欧州諸国で、イタリアやフランスの経済政策がうまくいっていないことを材料に、投機マネーで一儲けを企てている連中で、経済政策に一瞬のすきを作ると、投機マネーの餌食になりかねないというのは、ギリシャやスペインが陥った現実である。彼らに対抗するためには、彼らにすきを見せるような政策をとらないことだ。

 このような考え方に対して、わが国は増税なしで財政再建できるという根強い反論がなされる。その主たる論拠は、名目成長率を金利以上に高く維持できれば、経済成長による税収増の方が、国債利払いより多いので、毎年その余剰分を国の借金の返済に充てることができ、その結果財政再建は可能だという論理である。

 この論理は、社会保障費など高齢化で毎年生じる義務的経費などの増加は無視しているという大きな欠陥がある。今そこは問題にしないとして、果たして経済成長が金利より高くなるような経済運営が持続可能だろうか。確かに今は、異次元の金融政策として日銀がほぼ無制限に国債を買っているので、金利は歴史的低水準のままである。しかし、このような金融政策は、まさに異次元であり、デフレ脱却という事態が収束すれば、米国のように、「出口」を模索し始めることになる。

 つまり、今後我が国には、異次元の金融政策の「出口」という、最も厄介な事態が必ず訪れる。その際、財政健全化に向けた努力が行われていなければ、国際投機筋はそこを狙って「日本売り」を仕掛けてくる可能性が高い。国債が急落すれば金利が急上昇する。経済成長をはるかに超える金利上昇が生じれば、投機マネーにとっては格好の稼ぎ場になる。

 一方金利が上がれば、わが国財政は吹っ飛んでしまう。1%の金利上昇が、わが国の財政をどれだけ悪化するか。平均的な国債の残存期間は7-8年と考えると、その年数かかって国債残高に対して1%分増えていくので、1000兆円の国債残高があるとすれば、1%で10兆円の利払いが増えていくと考えられる。金利が2%、3%上昇すれば、財政再建は完全にアウトとなるのである。

◆2.デフレ脱却は成長戦略で
 では消費税率を引き上げたとして、デフレ脱却は可能なのか。筆者は、カギを握っているのは成長戦略の成否であると考えている。とりわけ法人税率については、数年かけて20%台へ引き下げるということが骨太方針で決まっており、現在その目標に向けて大詰めの作業が続いている。またアベノミクスの効果が浸透していない地方経済の活性化も重要な政策である。

 これについては大きな不安材料がある。それは、アベノミクス第1の矢、第2の矢に「想定外」な事態が起こりつつあることである。

 一つは、円安の実体経済への影響である。第1の矢である異次元の金融緩和は、円安を通じて輸出が伸び、企業業績が改善され、株価も上昇する、ということが前提となっていた。しかし現実には、円安による輸出(数量ベース)は増加していない。また、1ドル110円台あたりで、これ以上の円安は輸入原材料価格の引上げになるので、家計の購買力を奪い望ましくないという見解が出始めた。

 失われた20年といわれた時代に、わが国企業の海外への移転は予想以上に進んでおり、また経常赤字の状況で、わが国経済にとって望ましい通貨レートは、安ければ安いほどいい、というものではなくなっているということを示しているといえよう。

 第2の矢である機動的な財政政策も同じである。公共事業拡大による需要追加により、消費税率引き上げの経済インパクトを緩和しようとしたのであるが、資材や労働者の不足などにより、公共事業の進捗は芳しくない。無理に執行するとマンション建設など民間事業の足を引っ張ることになる。このように、わが国経済の抱える問題は、需要不足ではなく、少子高齢化に伴う労働力不足という供給側に要因があることが分かってきた。

 政府が取るべき対策としては、従来型の経済政策ではなく、わが国の体質を変える構造改革を行うということである。それは、少子高齢化対策を柱とすべきだ。その意味で、冒頭述べたように、社会保障・税一体改革により、これまで高齢者に偏っていた財源を勤労世代にシフトしていくこと、これから生まれてくる若者に借金を背負わせることは可能な限り避けることである。手が付いていない政策として、女性労働力の活用のための配偶者控除の廃止や年金制度改革がある。女性就労の妨げとなっている103万円や130万円の壁を打破する改革であるが、この点について政府の動きは鈍い。

 このような成長戦略と消費税率の引き上げをパッケージで行うことが、「成長と財政再建」の両立ということになり、わが国経済は活力を取り戻しデフレ経済からの脱却につながっていく。

◆3.軽減税率は導入すべきでない
 最後に、「消費税率10%引き上げ時に導入する」という与党合意がある軽減税率について触れたい。軽減税率については、その分減収が生じるという大きな問題がある。その点以外にも、以下の2つの問題がある。

 一つ目は、軽減税率は高所得者により多くの受益額が行き低所得者対策・逆進性の解決にはならないということである。食料支出額は高所得者の方が多いので、軽減税率は金持ち優遇策ともいえる。

 次に、軽減税率を導入している欧州諸国では、適正な執行のためのコストが消費者・事業者・税務当局に生じており、消費税の持つ効率性が大きく阻害されているということである。

 具体的には、外食サービス(標準税率)とテイクアウト食料品(軽減税率)の区分である。英国では、お客の申告だけでは足りず、温度(ホット・フードはテイクアウトしても標準税率)という概念を入れて区分している。デパ地下やコンビニが発達しているわが国では、外食サービスと食料品の区分は想像もつかない難作業となる。

 欧州のコストのかかる実態を見ているわが国としては、カナダで導入されているような、低所得者に限って基礎的な消費支出に係る消費税分を還付する制度によって対処することが望ましい。この点について筆者は具体案を作っているので、参照ありたい。(※1)

 以上述べてきたように、消費税率は法律で決められた通りに引き上げ子育て支援などを実行していくこと、その際デフレ経済に逆戻りしないために、法人税改革や女性就労を妨げている103万円・130万円の壁を打破する改革を成長戦略として合わせ行うことが今求められている。

※1:東京財団「消費税増税に伴う低所得者対策は軽減税率でよいのか―軽減税率に代わる給付付き税額控除の具体案」

・著者
森信茂樹(中央大学法科大学院教授・東京財団上席研究員)
・主な著書
消費税、常識のウソ (朝日新書)
日本の税制――何が問題か

Text by NewSphere 編集部