故郷帰れぬ被災者、“虚しい待機”…映画『フタバから遠く離れて』に海外注目

 映画『フタバから遠く離れて 第二部(英題:Nuclear Nation 2)』が、11月15日から、ポレポレ東中野で公開される。

 映画は、2011年3月の福島第一原発事故後、埼玉県加須市にある旧騎西高校へ全町避難をした福島県双葉町の住民を追ったドキュメンタリーだ。監督は舩橋淳氏。

 避難後9ヶ月を描いた第一部は、ベルリン国際映画祭でプレミア上映されたほか、香港、ベルギー、韓国、イギリス、イタリアなどの国際映画祭でも上映された。第二部は、それ以後から現在までの約3年間の記録だ。

◆深まる避難者の精神的苦痛
 舩橋監督は14日、日本外国人特派員協会(FCCJ)での試写後、伊澤史朗・双葉町長とともに記者会見に出席。双葉町の住民たちは、事故の3年後も「希望のないまま仮設住宅の生活を強いられている」(ロイター)と訴えた。

 双葉町には事故前、約7000人の住民がいた。

 『フタバから遠く離れて 第2部』は、町民が耐えねばならない、「虚しく待つ」という状況を詳細に描いている(RIAノーボスチ)。時が経つにつれ、住民が自宅に帰ることは不可能であることが鮮明になってきた。町は現在、除染で出た汚染残土の中間貯蔵施設の建設が計画されている。

 監督は、現状について「ほとんど人権の侵害と呼べるものだ」と話したという(ロイター)。同メディアは、自宅に帰れる見込みが小さくなり絶望していくさまを描き、解決が思ったように進んでいないことを示唆していると報じる。また、住民同士の対立が高まり、個々の悲しみは大きくなっていることにも触れている。

 舩橋監督は、「単に、失った家や土地を取り戻すということよりも、現在の深刻な問題になっていると思う」とし、希望のないまま待たされるという精神的苦痛が、いかに心を疲弊させていくか、と訴えたという。


 舩橋監督は、「高校の敷地に移動させられ、しかしその中に町役場まである、この双葉町という小さな町の縮図をそのままフィルムに落とし込むつもりで製作した」と、『フィルムメーカ・マガジン(2013年12月)』のインタビューに答えた。

 同映画のホームページでは、事故後の悲劇について、「そんなしっぺ返しの強烈な<痛み>に対し、僕たちは距離を置いて直視を避けている。他人のせいにする方が楽だから、国と東電を責める」、「国民と地方の市町村が一緒になって、この前近代的な、アンフェアな対話環境を変えてゆく努力をしないと、単なる金目の話に落とし込まれてしまうのだ」と、被災地の現状について関心を持つよう、促している。

 除染で出た汚染土壌などを保管する中間貯蔵施設の建設計画については6月、当時の石原伸晃環境大臣が「最後は金目でしょ」と発言したとして厳しい非難を受け、後に謝罪した。

◆鹿児島では原発再稼働が前進
 福島第一原発事故後、日本の全ての原発は運転を停止。国民の不安にもかかわらず、政府は再稼働を計画している、とRIAノーボスチは報じている。

 原子力規制委員会は9月10日、九州電力の管理する川内原発1、2号機(鹿児島県)について再稼働の申請を認めた。地元もまた、鹿児島県薩摩川内市議会の特別委員会が10月20日、再稼働に賛成する陳情を採択した。鹿児島県議会は再稼働の判断をめぐり、11月5-7日の日程で臨時議会の開催を検討しているようだ。

 映画では、年輩の女性が、原発が雇用と金を生み幸せをもたらせてくれた時代を懐かしむ。「40年間、それは幸せな贈り物でした」(ロイター)。

フタバから遠く離れて [DVD] [amazon]

Text by NewSphere 編集部