川辺駿選手がスイスに残したもの 3年間の欧州挑戦を振り返る
スイス、イギリス、ベルギーで貴重な経験を積み、今夏3年ぶりにサンフレッチェ広島に復帰した川辺駿選手。その欧州での3年間を、現地の視点で振り返りたい。
◆スイス・グラスホッパー・クラブの「日本大使」
2021年夏、川辺駿選手がスイス・スーパーリーグ(1部)のグラスホッパー・クラブ・チューリッヒに移籍して来た。当時のオーナーが中国人ということもあり、中国人選手はいたが、日本人選手は初めてだった。グラスホッパーからの依頼で10月、最初のインタビューに出向いた。
インタビューをしている横を通るチームメイトが声をかけてきたり、完全にチームに馴染んでいる様子を微笑ましく思ったが、「最初の1〜2ヶ月間は難しかった」と川辺選手は明かした。文化、食事、言語、サッカーすべてが日本とは違う環境で、もがいていたという。加えて、労働許可が降りるまで1ヶ月ほどかかったので、日本でシーズン半分を終えて整っていたコンディションを眠らせておくことに焦りもあったという。しかし、その時間を試合分析に充て、自分の戦術を構築することができたと振り返った川辺選手に、逆境を逆手に取る力を感じた。
翌年の2度目のインタビュー時には当時のコンティーニ監督にも話を聞いたが、絶大な信頼を勝ち取っていた。
コンティーニ監督が川辺選手を「当クラブの日本大使」と呼んだように、彼が開拓した「日本人選手の高評価」により、2022年1月にはセレッソ大阪より瀬古歩夢選手が3年契約で加入し、同年12月には清水エスパルスから原輝綺選手も期限付き移籍で半年間加入した。それは川辺選手の掲げていた目標の一つでもあった。
この2回のインタビューの間に川辺駿選手の顔つきは全く変わり、責任感が増している様子が見てとれた。「故郷で見てもらえるためにはゴールするのが一番」とゴールを決め続けているうちに、2022年1月、グラスホッパーと同じオーナーが所有するウォルヴァー・ハンプトンへの移籍が決まり、夢のイングランド・プレミアリーグ行きを叶えた。「プレミアリーグに行っても、試合に出してもらえなければ意味がないから、フィジカルをもっと鍛えて、戦力になる自分を作る」として期限付き移籍でグラスホッパーにとどまり、2022-23シーズンが終わるまでチームを支えた。
◆サッカー選手の活躍とは?
しかし、前述の記事で奇しくもコンティーニ監督が示唆していたように、サッカーは非情なビジネスでもある。グラスホッパー・クラブのオーナーが替わってしまったこともあり、夢のプレミアリーグでプレーすることは夢のまま終わってしまったのだ。グラスホッパー・クラブの陥った財政難もあり、古株の選手たちが大勢去っていった。川辺選手もベルギー1部のスタンダール・リエージュに移籍が決まり、「グラスホッパー・クラブはチーム最良の核の1人を失う」(チューリッヒ湖新聞)と惜しまれた。
そしてベルギーでの2023-24シーズンは37試合に出場し、7ゴール・9アシストを達成。そんな活躍はスイスにも伝わって来ていた。
しかし、給与が払われないというスキャンダルが報じられ、残り3年の契約期間がありながら、移籍希望を提出したと現地メディア『Voetbal Belgie』が7月末に報道。そして古巣サンフレッチェ広島から、クラブ史上最高額と言われる移籍金の熱いオファーが届き、3年のヨーロッパ生活を終える決意をしたのである。
元々、第1回目のインタビューから「ヨーロッパでのサッカー体験を日本へ持って帰るとともに、成長した自分を見てもらい、小さい子たちに、プロのサッカー選手になりたいと思わせられるような選手になりたい」と語っていた川辺選手。これから故郷でそのミッションを果たしていってくれるに違いない。
◆川辺選手がスイスに残したもの
ここチューリッヒには川辺選手が残したものが沢山息づいている。爆撃を受けた経験のない現在のスイス人たちに、核兵器の悲劇を伝えた(ターゲス・アンツァイガー紙、2022年12月11日)。
そして、今もグラスホッパーで頑張っている瀬古歩夢選手も、「川辺駿大使」の恩恵を受けたと移籍当時を振り返る。現在はクラブ唯一の日本人となってしまったが、オーナーが代わり、監督も2度代わった激動のチームを支えている。
彼らを通してグラスホッパーファンになった日本人や日本選手のファンになったスイスの観客も大勢いる。2021年の秋には遠慮がちに川辺選手を応援していた日本人グループも、今ではすっかりホームグラウンドに馴染んでいる。日本人選手の名前を1文字ずつ書いた段ボール板を掲げていると、「一緒に持ってあげようか?」と申し出てくれる現地のファンもいるほどだ。テレビ中継でも、日本人ファンが映されることが多い。そして、グラスホッパーのサマーキャンプなどに参加する子供たちも増えた。チューリッヒ日本人会でも3人の日本人選手を囲んで夕食会を開いたこともあり、さまざまな交流も生まれている。サッカーはビジネスながら、サッカーでつながる人間関係や世代もあることを改めて目の当たりにした。
コンティーニ元監督は、今年の欧州選手権でスイス代表チームのアシスタントトレーナーとして活躍した。川辺選手には末長く日本のサッカー界を支えて欲しいと、スイスから皆が願っている。
在外ジャーナリスト協会会員 中東生取材
※本記事は在外ジャーナリスト協会の協力により作成しています。