怪作映画「燃える仏像人間」が示す“仏教の民主化”とは サブカル僧侶が解説
今回は、福生山宝善院副住職の松下弓月さんに、映画『燃える仏像人間』について語っていただきました(編集部)
先日『聖☆おにいさん』について僧侶視点からの解説を寄稿させていただきました。記事の最後で仏像と人間が融合する異形のアニメーション『燃える仏像人間』(以下、『燃え仏』)に少し触れたところ、編集部から今度は『燃え仏』について書いて欲しいという依頼を受けました。こちらは作品そのもののインパクトも絶大ですが、仏教との新しい関わり方を象徴する作品でもあります。そこで、今回は『燃え仏』の魅力を紹介しながら、その背景についても解説させていただきたいと思います。
『燃える仏像人間』は京都在住の宇G茶監督の長編アニメーションデビュー作。少しずつ違う絵を何枚も描いてそれを一コマずつ撮影していくという通常のアニメーションの手法ではなく、切り絵を背景の上で動かして動きをつける劇メーションという非常に珍しい手法を用いて創られた映画です。アニメーションの原点とも言える手法で、楳図かずおの『妖怪伝 猫目小僧』や電気グルーヴの『モノノケダンス』のPVで目にされたことのある方もいらっしゃると思います。
本作の舞台は京都。女子高生の紅子は帰ってきた実家の寺で、何者かに両親が殺され下半身だけの姿となり、ご本尊の仏像が盗まれているのを発見する。両親と親しい僧侶の円汁のところにしばらく身を寄せることになった紅子は、シーダールダという謎の集団の存在を聞かされる。仏像に興味を示さない現代人から守るため、物質転送装置を使って各地の寺から仏像を盗み集めているのだという。しかし、紅子はその夜、なぜか円汁の寺で仏像と融合し変わり果てた姿となった両親を発見する。
本作の魅力はなんといっても、仏像と人間が融合して仏像人間になるという独特の世界観です。異種の存在と人間の融合と言えば、古くはデヴィッド・クローネンバーグ監督の『ザ・フライ』で蠅と人間のそれが描かれました。本作では、より高次の存在となるために仏像と人間の融合が行われるのですが、そこに虫や他の生き物も混ざり合い、いまだかつてない異形の生物が誕生しています。
画像を観ていただければおわかりいただけると思いますが、宇G茶監督自ら一枚一枚手描きしたイラストの密度は超濃厚! 劇メーションでは描く絵の枚数が比較的少ないため、通常のアニメではありえないほどの密度を実現できているのです。監督自らひとりで作業したために、作画や撮影だけで一年半もかかったというだけあります。
さて、そんな燃え仏ですが、仏像・僧侶・寺といった仏教的な存在をこのように描き得たことには、仏教との関わり方における変化が背景に存在していると思います。その変化とは、仏教が寺や僧侶だけのものではなくなってきたということです。
近年、仏像の展覧会やお寺でのイベント、お坊さんとへの悩み相談など、様々な仏教との触れ方が人気です。中には僧侶ではなくとも、自ら仏教に関するイベントや団体を主催される方もいて、非常に熱心に取り組まれています。趣味でされている方が、そのことを仕事にしている方よりも詳しいということはしばしばあることですが、仏教好き、仏像好きの人のほうがお坊さんよりもずっと詳しいということもあるようです(私の仏像の知識も修法で触れることのある仏さんくらいです)。
みうらじゅんさんの『マイ仏教』(新潮新書)が象徴的です。みうらさんは子供の頃から仏教と縁が深く、将来はお寺の住職になりたいという夢を持っていたこともあるほど。そんなみうらさんは仏教関係の活動も色々されているのですが、以前は仏教を語ると怒られることすらあったのに、今では宗派主催のお坊さん向け講演会に呼ばれるようになったと書かれています。
***引用開始***
『見仏記』でも、「京都の三十三間堂の千体仏は『ウィー・アー・ザ・ワールド』状態」「この千手観音は『伝来ミス』だね」「四天王に踏まれる邪鬼はM男」「法隆寺の百済観音像は、ボディコン・ギャルのルーツ」など、思いつくままに言っていたら、あちこちのお寺さんから「仏像をなんだと思っているのか!」とお叱りを受けました。
以来、仏教についてあまり勝手なことを言うと怒られる、と怖くなったというのが正直なところであります。
タイム・ハズ・チェンジ
けれど、時代が変わったのでしょうか。
最近になって、こんな私の仏像や仏教の見方を、あながち間違いではない、面白いと評価してくれる、お坊さんやお寺さんも出てきたのです。
***引用ここまで***
『見仏記』の連載が始まったのが1992年です。ですからこの20年ほどの間に、お坊さんではない人も自分の視点から仏教に関わり、その体験や気持ちを公に発言することができるようになってきたと言えるでしょう。それは仏教学や宗派の教えとは違うものでしょうが、そこにはその人独特の仏教との関係性の味わいがあるように思います。
監督の宇G茶さんには、本作のお寺や登場人物のモデルとなった僧侶の友人がいるそうです。京都出身でもあり、きっとそれほど遠くないところにお寺がある中で色々な形で触れた仏教が、この作品にはあるのではないでしょうか。
本作を通じて、自分なりの仏教との関わり方、表現の仕方をされる方が増えたらと思います。
松下 弓月
福生山宝善院副住職 |
写真:入交佐紀
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