吉田調書、福島第一原発所員の“美談”を否定か? 朝日スクープの行方を海外紙も注視
2011年の東日本大震災当時、東京電力福島第一原発の所長だった吉田昌郎氏は、同年、原発事故について、政府の事故調査・検証委員会から聴取を受けた。その「聴取結果書」、通称「吉田調書」は、当時の状況に最も詳しい人物が語った重要な記録だが、政府はこれを内部資料として、非公開にしている。この資料を入手した朝日新聞は、その内容をスクープとして報じている。
【“吉田調書”とは?】
朝日新聞の報道によると、政府事故調は、2011年7月から11月まで、約29時間かけて、吉田所長に対して聴取を行った。「吉田調書」は、その様子を録音し、書き起こしたもので、およそ50万字、A4判で400ページを超えるという。原本は内閣官房に保管されている。吉田氏は2013年に死去しており、事故について語った公式調書としては、これが唯一のものだ。
その内容については、政府事故調の報告書で一部が紹介されていたものの、大部分はこれまで不明だった。菅官房長官は、吉田氏より、非開示を求める上申書が提出されていることなどを理由に、今後も公開しない方針を表明している。
【朝日新聞の一大キャンペーン】
朝日新聞は、紙面での報道に先立ち、ウェブサイトで「吉田調書」特集ページを立ち上げ、今後の報道予定を予告するなど、この問題に非常に力を注いでいる。紙面での最初の報道となった20日の記事では、「吉田調書」から、地震発生4日後の3月15日の様子が紹介されている。その日の朝、吉田所長は、第一原発の所員約720人に対して、所内での待機を命令した。それにもかかわらず、9割に当たる約650人が、10キロ離れた第二原発へ避難していた、というのだ。
【“フクシマ50”報道の裏返し?】
朝日新聞の報道を引用するかたちで、海外メディアもこの問題を取り上げている。特約海外新聞として朝日新聞と提携関係にあるニューヨーク・タイムズ紙は、この問題を詳細に伝えた。
かつて、ニューヨーク・タイムズ紙を始めとする海外メディアは、第一原発に踏みとどまって、事故被害の拡大防止に努めた所員を、「フクシマ50」として高く称賛した。今回の同紙の報道は、それと裏表をなすかのようだ。目の前で原子炉がメルトダウンしつつあり、それをぎりぎりで食い止めるため、第一原発での待機を命令されたのに、パニックに襲われた所員が、持ち場を放棄して逃げた、というのだ。ちなみに、朝日新聞の記事は、そこまで断定的な表現はしていない。
これまでは、東電はすべての所員の避難命令を出したが、少数の非常に献身的な所員だけが後に残って、生命を賭して事態の悪化を防いだ、という説明がされていた。もしも今回の朝日新聞の報道が正しければ、それが否定されることになる、と記事は語る。また、事故の際に何が起こったかを、政府と東電がいまだに全面的に開示していないことについて、批判が再燃するのは確実だろう、としている。
東電側の反論も、ニューヨーク・タイムズ紙は紹介している。同社の記録によると、吉田所長の下した命令は、「放射線量の低い区域」まで撤退するという、より漠然としたものだった。これには、10キロ離れた第二原発も含まれうる。なので、東電は、命令違反はなかったと見なしている、との広報のコメントを伝えている。
【BBC、ロイターも報道】
BBCも、所員は東電の命令によって第二原発に避難したのではなく、逃げた、という側面を中心に報じている。吉田所長は、同原発内で放射線レベルが比較的低い場所に一時的に避難して、すぐに持ち場に戻れる場所で待機するよう、所員に命令していた。それなのに、部課長級のグループマネジャーを含む大勢が逃げた、と引用して伝えている。
21日には、福島第一原発で、原子炉建屋に流れ込んで汚染される地下水を減らすため、その手前で地下水を汲み上げ、海に放出する「地下水バイパス」が始まった。ロイターは、それについて報じる記事の中で、朝日新聞の報道について言及している。
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