黒澤、小津を超える?溝口健二の評価、米で高まる“近代日本の抑圧された日本人女性を描いた”
ニューヨークのMuseum of the Moving Image で溝口健二の作品が今月上映されている。ここでは黒澤以上に、溝口は純粋な芸術家であるとして評価が高い。
しかし一方で、2012年にSight & Sound誌が発表した映画ベスト50の中に溝口健二監督のものがほとんどない。小津安二郎の「東京物語」は3位、「晩春」は15位、黒澤明の「七人の侍」は17位、「羅生門」は26位。それに対し溝口は「雨月物語」が50位にランクインしているだけである。
このことを米ザ・ニューヨーカー誌は「非常に残念なこと」とし、溝口の評価は高い。はたして溝口は黒澤・小津を超える評価を得ることができるのか。
【溝口健二の生涯】
溝口の略歴については米ユーヨーク・レビュー・オブ・ブックス誌で言及されている。
東京に生まれ、画家を志すが、家が貧しく断念。のちに姉も養女に出され芸妓になる。この経験が溝口の映画製作にも影響を与えているという。その後独学で文学と芸術を学び、映画の世界に入った。
常に本物を求める姿勢を貫き、わずか数センチのために映画のセットを作り直させたり、カメラを常に移動させ、クレーンを使用しての撮影は有名だったという。
【溝口健二の作風】
溝口の作品で評価が高いものは女性に焦点を当てたものだ。
米ザ・ニューヨーカー誌では、1930年代の作品「大阪エレジー」「祇園の姉妹」「残菊物語」をその代表作として取り上げ、さらに「マリアのお雪」「虞美人草」に至るまでこの時代の作品名を挙げ、「溝口は女性を性的に差別してきた日本の伝統的価値観を描いた。1シーン1シーンに熱い思いが込められ、熱心な溝口ファンにとっては今回彼の作品を再評価するチャンスだ」としている。
米ユーヨーク・レビュー・オブ・ブックス誌ではさらに「The 47 Ronin」(元禄忠臣蔵)、「雨月物語」「山椒大夫」「西鶴一代女」等も取り上げている。そして本当に溝口が目指したものは、「『西鶴一代女』に見られるような近代日本文学(近松門左衛門、井原西鶴)にベースを置く、寓話的物語風描写を映画の世界で表現することだ。その中で女性の自己犠牲の中に美を発見した。
女性という姓は、映画の中では尊敬されるものであると同時に畏怖されるべきものとなり、女性は男性の犠牲になるが、同時に男性よりも強い女性像を描いた」と評価している。
最後に各紙ともに溝口健二について、近代日本の女性像を描いた点で評価していることでは共通している。抑圧された時代を生きた女性を描くことで、人間の生きざまを描いた溝口の作品を掘り下げてみるのも、今回の上映の見どころではないだろうか。
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