米国のアジア回帰の危機? 中国への歩み寄りを示唆する比次期大統領…警戒する米メディア
フィリピンで9日、大統領選挙が行われ、ロドリゴ・ドゥテルテ氏が勝利した。ドゥテルテ氏は強硬発言、不適切発言で知られ、フィリピン版ドナルド・トランプとも言われる人物。地方政治家としてのキャリアは長いが、国際政治の経験はなく、今後のフィリピン外交、特に対中国政策をどのように導いていくつもりかが注目されている。これまで外交政策がまとまった形で示されておらず、選挙戦中の断片的な発言があるのみだが、それらは思いつきレベルとの印象を逸せないもののようだ。
◆強硬な言動でフィリピン国民の心をつかんだ?
フィリピンの選挙管理委員会によると、開票率が約90%の段階で、ドゥテルテ氏の得票率は約39%だった。議会による選挙結果の承認後、6月30日に大統領に就任する。
同氏が支持を得た理由の一つに、フィリピンの格差拡大の問題があったようだ。フィナンシャル・タイムズ紙(FT)の社説によると、現職のアキノ大統領が率いた6年間、フィリピンは経済的成功を収めてきた。だがその一方で所得格差が拡大し、ポピュリズムの台頭を招いたというのがFTの見方だ。
ドゥテルテ氏はダバオ市長を22年以上務めた。その間、殺人の多発していた同市の治安を大きく改善させた実績がある。ただし、その手法には疑惑が持たれている。法的手続きによらず、自警団によって容疑者を殺害することに関与していた、というものだ。ウォール・ストリート・ジャーナル紙(WSJ)によると、同氏はこの嫌疑を時に認め、時に否定しているという。
むしろ、ドゥテルテ氏はそのイメージを大統領選挙戦でも活用した。「大統領になったら犯罪者を10万人は処刑する」と公言した(NHK)。WSJによると、半年で犯罪を撲滅すると公約し、「人権に関する法律は忘れるべきだ」と訴え、法を犯す者は「虐殺する」と表明したという。
氏の人権感覚の希薄さから、フィリピンが(マルコス政権時代の)独裁政治に戻ることを批判者は心配している、とワシントン・ポスト紙(WP)は伝えている。FT社説は、同氏の当選は、フィリピンの安定への脅威である、と主張した。氏の当選は、せいぜい良く言って不確実性の時代の到来、最悪の場合では、過去の悪習慣である扇動主義とひどい統治組織への回帰を告げるものだ、と語っている。
◆外交政策はこれから作り上げるところ?
WP、WSJ、ブルームバーグといった欧米メディアで注目を集めたのは、ドゥテルテ氏の外交政策、というより今のところ一貫した外交政策の不在だ。
WPは、同氏の対中国政策は、最大の未知の問題の1つだとしている。「ドゥテルテ氏がこれまでに発表した政策要綱の中で、外交問題は大きな空白だ。彼とそのチームは、南シナ海問題へのアプローチを、まだ公にはっきりとさせていない」とフィリピン大学海洋問題海洋法研究所のジェイ・バトンバカル所長はWPに語っている。
WSJは、外交政策の経験のない地方政治家がフィリピンの次期大統領として選挙で勝利したことは、国際社会から注意深い反応を招いたが、選挙戦でざっくりと略述しただけの政策をめぐる疑問が大きくなっていた、と語る。
ブルームバーグはドゥテルテ氏が、アメリカと中国について考えを変え続けている、と語る。米戦略国際問題研究所(CSIS)の東南アジア専門家グレゴリー・ポーリング氏は「ドゥテルテ氏の発言はしょっちゅう変わっている」と語っている。
アテネオ・デ・マニラ大学のアナリストのBenito Lim氏は、「わが国と中国、アメリカとの関係について、彼はいくつかの発言をしているけれども、それらの思いつきの発言が、彼の政策の基盤になるということにはならない」「彼がより正式な声明を発表するまで、様子を見たほうがいい」と語っている(ブルームバーグ)。
◆現アキノ政権の対中国政策からの転換が念頭にある?
南シナ海問題に関するドゥテルテ氏のこれまでの発言からすると、現アキノ政権との差別化を図っているふしがある。たとえば氏は中国との2国間の直接対話も辞さない構えだ。これはアキノ大統領の長年の姿勢とは対照的なアプローチだ、とブルームバーグは語っている。
アキノ大統領は、南シナ海の近隣国や、同盟国アメリカ、日本などとの協調を通して、中国と渡り合うことを目指してきた。またアキノ大統領は国際仲裁裁判所に、南シナ海での中国の領有権主張について提訴し、国際的な枠組みでの解決を図っている。これに対して、中国は、当事国との2国間の直接対話を求め続けているが、このやり方では、(大きな経済力・軍事力を持つ)中国のほうが不当に優位に立ちやすい、との批判がある(WP)。
ドゥテルテ氏の提案は、例えば、中国がフィリピンに鉄道を建設するのであれば、領有権問題を棚上げする、というものである。また、係争海域での天然資源の合同調査の可能性もほのめかしているという(WP)。
◆領有権問題棚上げで中国と取引、中国側もこれを歓迎?
これらの発言からすると、ドゥテルテ氏はフィリピンの実利を追求して、中国との対話姿勢を取ろうとしているように見受けられる。デ・ラ・サル大学の国際問題のRichard Javad Heydarian助教授はWSJに、「ドゥテルテ政権は、アキノ政権の中国への対抗戦略から、中国政府と米政府の間でのよりバランスの取れたアプローチに転換するだろう」と語っている。
また、仲裁裁判所への申し立てによる問題の解決については、中国が受け入れないと表明している仲裁判断の価値をドゥテルテ氏は疑問視して、疑念を表明した、とWPは伝えている。「私の立場は中国と同様だ。この対立が国際裁判所を通じて解決できるとは信じていない」と語ったという。
中国からは、ドゥテルテ政権下で対話が進むことへの期待感が表明されている。中国外交部の陸慷報道官は11日、「フィリピンの新政権が、わが国に歩み寄り、関連する諸問題に適切に対処する具体的措置を取ることを期待している」と語った(WSJ)。
利益供与と引き換えでの領有権問題の棚上げというプランは、中国にとって魅力的なもののようだ。ブルームバーグは、ドゥテルテ氏が中国のほうに何らかの歩み寄りを見せれば、南シナ海の8割について自国の権利を主張する中国政府の取り組みを強化する可能性がある、と指摘している。WPは、中国は疑いなく、ドゥテルテ氏に取引する気があるらしいことを喜んでいる、と語る。またブルームバーグは、同氏に領有権問題を棚上げする気があるということが、関係改善を導くだろうと中国国営メディアが語ったことを伝えている。
◆アメリカを信用しきれていないことが背景にある?
けれどもドゥテルテ氏の発言は、親中路線一本やりというわけではない。たとえば氏は選挙戦中に、中国との2国間協議を排除しないと言っていたが、まずは中国政府が、係争地域をめぐるフィリピンの主権を認める必要があるだろうと付言していたという(WSJ)。これは、中国政府は決して認めないだろうとアナリストらは語っている、とWSJは語る。
また氏はテレビ討論で、「自らジェットスキーで中国が建設した人工島に乗り込み、滑走路にフィリピン国旗を立て、『ここはわが国の領土だ。私のことは煮るなり焼くなり好きにしろ』と言う。私なら領有権をそのように主張する」と発言したという(ブルームバーグ)。
また9日には、どうしてアメリカは、中国に異議を唱えるべく空母を派遣し、フィリピンを支持することの本気さを示さないのか疑問に思う、とも発言したという(同)。
CSISのポーリング氏は「彼はアメリカとの同盟の価値を深く疑っているように見えるが、それは主に、いざという時に、アメリカが中国に対抗してフィリピンを本当に支えるということを、彼が信じていないためだ。このことは米政府指導者らを深刻に心配させるはずだ」と語っている。アキノ大統領は中国に対抗するため、アメリカとの軍事協力を強化してきたが、この点でもドゥテルテ氏は考えを異にしているようである。ブルームバーグは、ドゥテルテ氏の政治姿勢はアメリカのアジア・リバランスにとってリスクとなる可能性がある、と語っている。